極稀少品 「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」 悔悛のガリアの総主教十字 1876年 50.0 x 34.0 mm
フランス 1876年
「トゥールの聖者」レオン・パパン・デュポンの居宅が、同氏の死後トゥール大司教区によって買い取られ、「聖顔の小礼拝堂」(l'Oratoire
de la Sainte Face) となったことを記念して制作されたブロンズ製総主教十字 (Croix patrialcale)。フランスが普仏戦争に敗れるという国難に見舞われた時代のもので、総主教十字がフランスの守護聖人ジャンヌ・ダルク、ひいてはフランスの愛国心を象徴するとともに、神に赦しを請う「悔悛のガリア」の謙虚な信仰心を表しています。
十字架の意匠は、ロブ(lobe 四つ葉形)と正方形を組み合わせた図形を中央交差部に配し、繰り型を思わせる縁取りで囲っています。さらに各先端部もロブで終わっていて、ヨーロッパの紋章を想起させます。これらのクラシカルな特徴に加え、サイズが大きめであるために、ゴシック聖堂のように重厚な趣(おもむき)に仕上がっています。
このクロスには「主の御名はほめたたえられよ」「サタンよ、退け」というふたつの言葉、及びイエスの聖顔が彫られていますが、これは「トゥールの聖者」と呼ばれる尊者レオン・パパン・デュポン (Vénérable Léon Papin Dupont, 1797 - 1876) が世に広めようと努めた「聖顔の守護の十字架」と共通する特徴です。まず、クロスの一方の面には、次のラテン語が記されています。
SIT NOMEN DOMINI BENEDICTUM 主の御名はほめたたえられよ。
これは「ヨブ記」1章21節にある聖句、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」からの引用で、無条件の信仰を表します。「ヨブ記」1章において神はサタンに義人ヨブを試すことを許し、ヨブは息子と娘の全員と、すべての財産を失いますが、それでも神に対する信仰は揺るぎませんでした。「ヨブ記」1章のうち、本品に引用されている箇所の前後のテキストを、ラテン語と日本語(新共同訳)で下に示します。
20節 | tunc surrexit Iob et scidit tunicam suam et tonso capite corruens in terram adoravit | ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。 | ||||
21節 | et dixit nudus egressus sum de utero matris meae et nudus revertar illuc Dominus dedit Dominus abstulit sit nomen Domini benedictum | 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 | ||||
22節 | in omnibus his non peccavit Iob neque stultum quid contra Deum locutus est | このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。 |
交差部の中央にはクリストグラム、すなわちギリシア文字によるイエスのモノグラム(IHS イオタ、エータ、シグマ)を、円の中に記します。
キリスト教図像において、完全な図形である円は神のおわす天上を表します。キリスト教の聖堂建築、わけてもロマネスク聖堂において、アプス(後陣)のプランが聖堂東端から半円状に突出し、また聖堂上部にドームや穹窿(円天井)が架けられるのは、これらの部分が神の座なる天を象徴するからに他なりません。したがってこの総主教十字においても、円の中にある
"IHS"は、受難の後昇天し給うたイエズスが、いまは天の玉座にて万物を主宰し給うことを表しています。
クリストグラム(IHS)の周囲には、フランス語で「贖罪」(réparation)、「ピウス九世、1847年」(Pie IX 1847) と記されています。
1845年から1852年にかけて、アイルランドでは大飢饉が起こり、およそ100万人にのぼる餓死に加え、国外への移民によって、アイルランドの人口は20ないし25パーセントの減少を見ました。これは1800年頃までおよそ400年間に亙って続いた小氷河期が終わって以来、アイルランドを襲った最大の国難でした。教皇ピウス9世
(Pius IX, 1792 - 1846 - 1878) は1847年3月25日に回勅「プラエデケッソレース・ノストロース」("PRAEDECESSORES
NOSTROS" 「われらの祖先を」)を出し、各教区のカトリック信徒に対して、アイルランドのための祈りと三日間の祈祷と、喜捨を行うように呼びかけました。この祈祷に参加した者には七年間の贖宥が、また三日間通して参加したうえに痛悔と聖体の秘跡を受けた者には全贖宥が与えられることとしました。
国難のただ中にあった1876年当時のフランス人たちは、同じカトリック国アイルランドを襲った大飢饉を想い起こし、同情に心を痛めるとともに、神がフランスに対する鞭を収め給うように祈り、信徒たちは贖罪の業(わざ)に励んだことでしょう。そしていかなる苦難とて、いつまでも続くものではないことを想い起こし、将来に希望を繋いだことでしょう。
もう一方の面には、中央交差部にイエスの聖顔 (la Sainte Face) が転写された聖遺物「ヴェロニカの布(きぬ)」が浮き彫りにされ、その左右にフランス語で「トゥール、1876年」(Tours, 1876) と記されています。
伝承によると、十字架を担いでゴルゴタへの道をたどるイエスに、聖女ヴェロニカが布を差し出し、イエスがその布で汗を拭いたところ、イエスの聖顔 (la
Sainte Face) が奇蹟によって布に転写されたといわれています。聖遺物「ヴェロニカの布」または「マンディリオン」(Μανδύλιον,
Mandylion) は、ヴァティカンのサン・ピエトロのバシリカをはじめ、数か所の聖堂や修道院に伝えられています。
(上) Hans Memling, "Diptychon mit Johannes dem Taufer und der Heilige Veronika, rechter
Flügel", um 1470, Öl auf Holz, 32 × 24 cm, The National Gallery of Art,
Washington D. C.
イエスを十字架で苦しめたことへの償いと贖罪の業を行う信心において、「聖顔」への信心は大きな意味を持ちます。トゥールの聖者」(Le saint
homme de Tours) と呼ばれる尊者レオン・パパン・デュポンは、フランス革命時に破壊されたトゥールの聖マルタンの墓所を再発見したことでも知られますが、聖顔への信心を広めるべく三十年間に亙って教会当局と交渉を続けたことにより、「聖顔の使徒」(l'apôtre
de la Sainte Face) とも呼ばれます。1876年にデュポンが亡くなると、その居宅はトゥール大司教区によって買い取られて改装され、「聖顔の小礼拝堂」(l'Oratoire
de la Sainte Face) とされました。「イエスの聖顔」への信心は、その後 1885年に、教皇レオ13世 (Leo XIII, 1810
- 1878 - 1903) によって認可されました。
Léon Papin Dupont
この総主教十字には、上の腕木にラテン語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(INRI, IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM)
と記されています。これはイエズス・キリストが架かり給うた十字架の上部に書かれていた言葉です。(「マタイによる福音書」 27: 37他)
レモン・チュダンによる聖ベネディクトゥスのメダイ。当店の商品。
支柱の下半分にラテン語で「サタンよ、退け」(VADE RETRO, SATANA.) と記されているのは、カトリックの悪魔払いの際に使われる言葉で、聖ベネディクトゥスのメダイにも書かれています。レオン・パパン・デュポンは「聖顔の守護の十字架」にこの言葉を刻み、世に広めるのに貢献しました。
1870年から 1871年にかけて戦われた普仏戦争において、フランスはプロイセン(ドイツ)に惨敗し、アルザス、ロレーヌの一部を割譲したうえに、巨額の賠償金を課せられました。敗戦とそれに続くコミューンの動乱によってフランスは疲弊し、人々は神に救いを求めて信仰心がふたたび高揚しました。
(下) イエズスの聖心にモンマルトルのバシリカを捧げる悔悛のガリア。20世紀初頭のメダイ。当店の販売済み商品。
この総主教十字は、「トゥールの聖者」レオン・パパン・デュポンの居宅が「聖顔の小礼拝堂」(l'Oratoire de la Sainte Face)
とされた記念の十字架ですが、普仏戦争に敗れて多くを失っても信仰を棄てず、「サタンよ、退け」と命じる言葉により、神に赦しを請う「悔悛のガリア」の謙虚な信仰心と、フランス人の誇りを代弁しています。フランスが大きな国難に襲われた時代に制作された信心具に、いかにもふさわしい特徴といえましょう。
本品は140年近く前に制作された真正のアンティーク品ですが、非常に古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。細部に至るまでほぼ完全な形で残っています。
34,800円 販売終了 SOLD
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