ブロンズを鋳造したクロスに、スクリュー・ハンマーを用いて組紐状のパターンを刻印し、三色の色ガラスによるエマイユ・シャンルヴェ (émail champlevé) を施した美麗な十字架。不透明の青色ガラスと半透明の赤色ガラスでエマイユを施したあと、炉から取り出して冷却し、最後に白色エマイユで仕上げています。上部の環の一部が磨滅していることから、長い年月に亙って愛用された品物であることが分かります。
キリスト教の象徴体系において、青、白、赤にはそれぞれ大きな意味があり、エマイユ製信心具においても多用されます。すなわち青は天空の色であることから天国の象徴であり、聖母マリアの象徴でもあります。さらに神に発する知恵の象徴であることから、ケルビム(智天使)は青色で描かれることがあります。赤はイエズス・キリストが十字架上で流し給うた血の色であることから神の愛の象徴であり、殉教者が流した血の色であるゆえに神への愛の象徴でもあります。
神の智恵を象徴するケルビムが青く描かれるのに対して、神の愛を象徴するセラフィム(熾天使)は赤く描かれます。下に示すのはラヴェンナ、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の身廊北壁にある「最後の審判」のモザイク画で、中央に座したキリストが、羊を右(向かって左)に、山羊を左に分けています(マタイ
25: 31ff)。キリストの右にいるのは愛を司るセラフで、赤で表されています。キリストの左にいるのは智を司るケルブで、青で表されています。
白は純潔の象徴であり、聖母マリアの衣の色でもあります。多くの受胎告知画において、天使ガブリエルは少女マリアに白百合を差し出しています。下の写真はノートル=ダム・デュ・ピュイ(ル=ピュイの聖母)のブロンズ製ブローチで、本品と同様に、青、白、赤のエマイユ・シャンルヴェが施されています。当店の商品です。
本品はフランス製ですので西ヨーロッパで用いられるラテン十字ですが、エマイユ・シャンルヴェで描き出されるパターンは、東ヨーロッパのビザンティン建築に見られる組紐文に類似しています。組紐文はビザンティン建築において神聖な場所を示すゆえに、十字架を飾るに相応しいパターンであるといえます。
本品は19世紀末から20世紀初頭に制作された古い品物ですが、非常に良好な保存状態です。十字架が曲がるとガラスが下地のブロンズから剥離してエマイユが大きく破損しますが、本品はほぼ完品であり、特筆すべき問題はありません。真正のアンティーク品ならではの美しい古色が、ブロンズ部分に重厚な表情を与えています。