ペルル・ド・ジャカン
perles de Jacquin




(上) 針金の造花や紙細工と共に、アーグヌス・デイーを飾るペルル・ド・ジャカン。1920年代のフランスで制作されたもの。


 ペルル・ド・ジャカンは十七世紀から 1920年代末まで生産が続いた模造真珠の一種です。


【ペルル・ド・ジャカンの発明と生産】

 ペルル・ド・ジャカン(仏 perles de Jacquin ジャカンの真珠)は、パリでロザリオ等の信心具を作っていたジャカン(Jacquin)という名前の職人が、1680年頃に発明した模造真珠です。ジャカンはアブレット ablette (英語では、ブリーク bleak コイ科ウグイ亜科の淡水魚)を洗っているとき、樽の底に沈んだ鱗が真珠に似た輝きを発するのに気付いて、模造真珠の製造を考え付いたと伝えられます(註1)。

 ペルル・ド・ジャカンの製法は、アブレットの鱗をアンモニアで処理してエサンス・ドリャン(仏 essence d'orient 註2)、すなわち魚鱗における真珠様(よう)光沢の原因物質であるグアニンを得、これを膠に混ぜてガラス球に塗布します。ガラス球は中空で、細いガラス管の途中を膨らませて作りました。最初に作ったペルル・ド・ジャカンはエサンス・ドリャンをガラス球の外側に塗布しましたが、これでは肌と擦れ合ってエサンス・ドリャンが剥がれ落ちるので、後にはエサンス・ドリャンを中空ガラス球の内側に塗布し、白色の蝋を充填する方法に変更されました。この方法により、ジャカンは非常に高価な宝石であった真珠の模造に成功したのです。


(下) 右下がアブレット(ブリーク)。19世紀初頭にイギリスで制作されたコッパー・エングレーヴィング。




 ペルル・ド・ジャカンの製法はフランスからポーランドやドイツをはじめとするヨーロッパ諸国、及びアメリカに伝わっただけでなく、明治末年には日本でも製造が始まりました。日本製のペルル・ド・ジャカンにはニシンやタチウオ由来のグアニンが使用されていました。

 1860年頃から1930年頃にかけて、南フランスのランジャク(Langeac オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏オート=ロワール県)は、フランスにおけるペルル・ド・ジャカン製造の一大中心地でした(註3)。もともとランジャクではレース編みの制作が盛んで、女性たちが重要な労働力となっていましたが、1860年頃に始まったペルル・ド・ジャカン製造も女性の仕事でした。1910年にはランジャクにおいて220名の女性がペルル・ド・ジャカン製造製造に携わり、うち180名は自宅を仕事場にしていたとの統計が残っています。ランジャク近郊で仕事をした人たちも合わせると、500名から 600名の女性たちがこの仕事に携わっていました。女性たちは非常に細いガラス管をバーナーであぶってガラス球を作り、ペルル・ド・ジャカンを製作しました。ランジャクのペルル・ド・ジャカンはレース編みをはじめとする服飾分野ばかりでなく、ランプの笠や葬儀のミサの花輪にも使われました。


 ランジャク近辺におけるペルル・ド・ジャカン作りは 1930年頃に途絶えます。これに替わったのがガラス玉の外側にエサンス・ドリャンを塗った模造真珠で、バルセロナにおいて二十世紀初頭から製造されていました。バルセロナの模造真珠産業は 1920年頃にマジョリカ島に移り、以後、マジョリカと呼ばれる模造真珠が世界に広まります。現代の模造真珠のエサンス・ドリャンには、二酸化チタンの粉末をセルロース、酢酸ブチル、作酸メチル等の溶液に溶いたものが使用されています。



註1 真珠貝の内側や真珠の表面に形成される真珠層は、蛋白質で結合されたアラゴナイト(炭酸カルシウム CaCO3) の多層膜で成り立つ。ここに入射した光が干渉を起こすことにより、真珠光沢が生まれる。一方、魚の鱗やタチウオの体表においては、DNA, RNAを構成する塩基のひとつとして知られるグアニン(C5H5N5O)の結晶が多層膜を形成し、ここに入射した光が干渉を起こして、真珠様(よう)の光沢が生まれる。貝の真珠層と魚の鱗では干渉の原因となる層の物質が異なるが、いずれも似た仕組みで生じる構造色である。

註2 オリエント(orient) はフランス語ではオリャンと発音する。オリエント、オリャンの原意は「日の昇るところ」、すなわち東方、東洋であるが、英語においてもフランス語においても、この語には真珠光沢という意味がある。

 ヨーロッパではドイツにカワシンジュガイの淡水真珠が産するが、その輝きは海産の真珠に遠く及ばない。地中海で真珠は採れない。近世以前のヨーロッパにもたらされた真珠は、ペルシャ湾の黒蝶真珠とあこや真珠、及びスリランカ西岸マナール湾のあこや真珠である。当時のヨーロッパ人にとって、東洋の真珠は最高に価値のある品物であった。

註3 十九世紀のフランスにおける模造真珠の製造は、ブルゴーニュでも行われていたようである。ニコライ・レスコフ(Николай Семёнович Лесков, 1831 - 1895)の「真珠の首飾り」(1886年)には模造真珠の首飾りが登場するが、その留め金にはブルギニョン(仏 bourguignon ブルゴーニュ製)と書かれている。



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