稀少品 J. H. S. マン作 「ア・カントリー・ブロッサム」 田園の華 清楚な白百合の少女 フランシス・ホルによる柔らかなインタリオ 1879年

A Country Blossom


原画の作者 J. H. S. マン (Joshua Hargrave Sams Mann, R.B.A., fl.1849 - 1884)

版の作者 フランシス・ホル(Francis Holl, 1815 - 84)


楕円形画面のサイズ  縦 189 mm  横 160 mm



 ジョシュア・ハーグレイヴズ・マンによる女性の人物画を、名匠フランシス・ホルが金属版インタリオの主な技術を総動員して制作した作品。ライン・エングレーヴィングとスティプル・エングレーヴィング、及びエッチングによって、非常に細密な画面を実現しています。





 「ア・カントリー・ブロッサム」(英 A Country Blossom)すなわち「田園の華」とは、この作品に描かれている令嬢のことです。令嬢は美しい自然の風景のなかで咲く香(かぐわ)しき百合のようです。

 「カントリー」(英 country)を英和辞典で調べると「田舎」と書かれていますが、日本語の「田舎」とはイメージのずれがあります。この版画は十九世紀の作品ですが、その前世紀である1700年代のイギリスでは、貴族たちがヨーロッパの華美なバロック様式を避けて、質実な古典様式による別荘「カントリー・ハウス」を建てました。より正確に言えば、当時は唯一のあるべき古典様式と思われていたパッラーディオ(Andrea Palladio, 1508 - 1580)の様式に従って、貴族たちは自分の領地である田園地帯に別荘を建てたのでした。「カントリー」という言葉をこのような歴史的文脈に置いたとき、そこには「華美に走らず俗塵にまみれない高潔さ」、「あくまでも古典的で端正な良き趣味」が含意されていることに気づきます。

 「ア・カントリー・ブロッサム」(田園の華)と呼ばれている令嬢は洗練された服装ですが、身に着けているジュエリーは真珠のイアリングだけで、たいへん清楚な印象です。版画の画面で最も輝いて見えるのは、真珠ではなく、令嬢の若々しい肌です。「ブロッサム」(英 blossom)、「ブルーム」(英 bloom)という言葉は「満開の時期」、人の一生でいえば「最も美しい時期」「青春期」を指します。豪華なドレスやジュエリーで着飾る必要のない令嬢の清らかな美しさは、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花(野の百合)の一つほどにも着飾ってはいなかった」(「マタイによる福音書」六章二十九節)という言葉を思い出させます。





 上の拡大写真を見ると、フランシス・ホルは背景の樹木をエッチングで、令嬢の髪と帽子、ストール、令嬢が手に持つ薔薇を線状のエングレーヴィングとスティプル(英 stipples 点描法の点)の併用で、令嬢の肌と帽子の羽根飾り、薄絹のブラウスをスティプル・エングレーヴィングで、それそれ表現していることがわかります。

 本品の製版に当たり、フランシス・ホルは輪郭線を全く用いていません。肌と背景の境界、肌と布の境界、肌と薔薇の境界、布と手の境界、肌と帽子の境界等、すべての境界は輪郭が暈(ぼか)され、巧みなスフマート(伊 sfumato)で描かれています。





 顔の部分を拡大します。定規のひと目盛りは一ミリメートルです。肌の起伏と明暗は、スティプルの大きさと密度で表現されています。





 上の写真は左目の部分です。拡大倍率はお使いのモニターの種類や設定にもよりますが、A4ノートパソコンの標準的な設定で、実物の面積のおよそ九百倍に相当します。注意深く観察すると、スティプルには大小の二種類があり、直径十分の一ミリメートル前後のスティプルと、直径百分の一ミリメートル以下のスティプルが、巧みな計算によって適宜配置されていることが分かります。眉と睫毛も線状の溝ではなくスティプルで表現されており、軟焦点写真のように柔らかな描写が実現しています。





 髪とヴェールには線状の溝とスティプルが混用されています。髪の流れを表すには線状の溝が必要であり、髪を線状の溝のみで描くことも可能です。しかしながら同一の明度を線状の溝で表す場合と、スティプルで表す場合を比べると、前者は後者に比べてシャープな印象になります。明度が同じでも、質感が異なるのです。フランシス・ホルは柔らかな質感の表現を得意とするエングレーヴァーであり、本品においても令嬢の肌を線状の溝ではなくスティプルで描いています。それゆえ画面全体の雰囲気を統一し、髪と肌の質感に齟齬(そご 食い違い)が起きないように、フランシス・ホルは一筋一筋の髪を線で表しながらも、線と線の間を破線状のスティプルで埋めて、柔らかな質感を表現しています。人間の髪よりもふわふわとした質感の羽根飾りは、線状の溝が髪に比べてずっと細く、主にスティプルで表現されています。





 上に示したのは本品と同時代(1875年)のエングレーヴィングで、Ch. シューラーによる「マドンナ・デッラ・セディア」の一部です。シューラーは線状の溝のみを使って「マドンア・デッラ・セディア」を製版し、硬質の輝きを持つ作品に仕上げています。肌と髪はいずれも線状の溝のみで表現されています。

 しかるに本品を制作したフランシス・ホルは、肌と眉と睫毛の描写にはスティプルを、髪の描写には線状の溝とスティプルを混用する技法を、それぞれ採用しています。柔らかな質感の画面が、フランシス・ホルの持ち味であることがわかります。





 真珠の輝きは他の宝石よりも柔らかいので、線ではなくスティプルで陰翳を着けられています。髪の流れは線状のエングレーヴィングにスティプルが加わっていますが、帽子の内側は線のみで彫られています。





 右肩付近の拡大。布と背景の間は、実線で区切られてはいませんが、点線状のスティプルによる弱い輪郭線があります。しかるに肌と背景との間にはいかなる種類の輪郭線もありません。肩の輪郭が布よりもさらに暈されているせいで、陽光に照らされた令嬢の肌の、薫風の中に微光を放つかのような瑞々しさが巧みに表現されています。





 両手と薔薇の拡大写真。定規のひと目盛りは一ミリメートルです。ここにも輪郭線は無く、柔らかな質感が優しく表現されています。





 左手と左の前腕部です。ブラウスは柔らかな薄絹で、狭い範囲に複雑な衣文を作っています。ここまで拡大すると、明暗の僅差は却って判別しづらくなりますが、ブラウスの袖は透けていて、布越しに前腕部が見えています。





 上の写真は令嬢の右袖(向かって左の袖)です。透けた袖越しに見える令嬢の腕は、スティプルの密度を周囲よりもわずかに下げるとともに、一つ一つの点をわずかに小さくし、単位面積当たりのインク量を減らすことで、ブラウスと判別できるように彫られています。

 我々は刷り上がった版画を見ていますが、エングレーヴァーに見えているのは鉄(スティール)の板だけです。版画家はビュラン(線を刻む彫刻刀)の刃先と、ルーレット及びマトワールに懸ける圧力を完璧に制御し、人間業とも思えない偉業を成し遂げています。


 フランシス・ホル


 本品の版を制作したフランシス・ホル(Francis Holl, 1815 - 84)は、十九世紀のイギリスで最も人気があったエングレーヴァーのひとりです。市販されるヴィクトリア女王の肖像を二十五年にわたって彫り続けた人気版画家であり、女王をはじめとする王族から個人的な注文を受ける版画家でもありました。フランシス・ホルが王族から注文された版画のうちの二点、すなわち女王の夫アルバート公の肖像と、アリス女王の肖像は、市販を許可されています。

 1856年から 1879年、フランシス・ホルは十七枚のエングレーヴィングを王立アカデミーに展示しており、没するおよそ一年前にあたる 1883年1月16日には、アカデミー准会員(an associate engraver)に選ばれています。

 「ジ・アート・ジャーナル」("The Art Journal"はロンドンのヴァーチュー社が発行する豪華な定期刊行物で、美しいエングレーヴィングを多数収録し、ヴィクトリア時代のイギリス美術界に最も大きな影響力を持ちました。フランシス・ホルは1862年から1882年の間に、七点のエングレーヴィングを同誌上で発表しています。七点はいずれも優れた出来栄えですが、とりわけジョシュア・ハーグレイヴ・サムズ・マンの原画に基づく本品「ザ・カントリー・ブロッサム」(Joshua Hargrave Sams Mann, "The Country Blossom")、同じく J. H. マンの原画に基づく「シティ・ベル」(J. H. S. Mann, "The City Belle"、チャールズ・エドワード・ペルジーニの原画に基づく「ア・シエスタ」(Charles Edward Perugini, "A Siesta"は、いずれも柔らかな画面が魅力的な名作です。




 版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、緑色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装代金は、24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤や青、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 アンティーク・エングレーヴィングの細密さは、原寸大の写真によって再現することができません。コンピューターのモニターで表示するために、版画の全体像を把握しやすいサイズまで画素数を落とすと、細部はすべて失われます。細部がどのように彫られているかを示すためには、版画の数か所を選んで接写し、顕微鏡写真のような拡大写真で示すしかありませんが、拡大写真は現物のサイズとかけ離れています。これに加えて、現物のアンティーク・エングレーヴィングは、拡大写真でも判別が困難な細密さを有しており、それらの細部は版画作品の全体を肉眼で見たときの驚くべき写実性に貢献しています。

 私がここに書いていることを理解するには、現物をご覧いただくしかありません。アンティーク・エングレーヴィングの現物は写真で見るよりもはるかに美しく、購入された方には必ずご満足いただけます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





エングレーヴィングの本体価格 65,800円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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