稀少品 J. H. S. マン作 「ザ・シティ・ベル」 麗しの令嬢 超絶技巧のスティプル・エングレーヴィング ヴィクトリア朝版画の最高峰 1880年

The City Belle


原画の作者 J. H. S. マン (Joshua Hargrave Sams Mann, R.B.A., fl.1849 - 1884)

版の作者 フランシス・ホル(Francis Holl, 1815 - 84)


楕円形画面のサイズ  縦 189 mm  横 160 mm



 ジョシュア・ハーグレイヴズ・マンによる女性の人物画を、名匠フランシス・ホルがエングレーヴィング及びスティプル・エングレーヴィングのみで仕上げた細密なスティール・インタリオ。

 スティールのインタリオ(伊 intaglio 凹版)には、エングレーヴィングとエッチングがあります。エングレーヴィングはスティール(鋼)の板を人力のみで刻む技法であり、金属を酸で腐食させるエッチングに比べると、制作にきわめて大きな労力と時間がかかります。それゆえ通常のアンティーク・インタリオでは、エングレーヴィングとエッチングが併用されます。しかるにフランシス・ホルは本品「ザ・シティ・ベル」("The City Belle", 1880)の版を、エングレーヴィングの技法のみを使って制作しています。





 本品において「ザ・シティ・ベル」すなわち「街の麗人」と呼ばれている令嬢は、花嫁衣裳に身を包み、左手に持った小さな鏡を見ています。令嬢は長い髪をネットでまとめ、香(かぐわ)しい花の冠と、花模様が浮かぶ純白のヴェールを被っています。身に着けているデミ・パリュールは真珠のジュエリーです。真珠は至福を表すとともに、生命力と豊穣の象徴でもあるので、花嫁にふさわしい宝石とされています。





 上の写真で右端に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。フランシス・ホルは背景を線状の溝のエングレーヴィングで、令嬢の髪とネットを線とスティプル(点)の併用で、令嬢の肌と真珠をスティプル・エングレーヴィングで、それそれ表現しています。





 令嬢の肌を拡大します。定規のひと目盛りは一ミリメートルです。肌の起伏と明暗は、スティプル(英 stipples 点描法の点)の大きさと密度で表現されています。





 目の周辺をさらに拡大します。眉と睫毛も線状の溝ではなくスティプルで表現されていることがわかります。このため軟焦点写真のように柔らかな描写が実現しています。





 口の部分を拡大します。直径十分の一ミリメートル前後のスティプルと、直径百分の一ミリメートル前後のスティプルが、巧みな計算によって適宜配置されていることが分かります。





 髪とヴェールには線状の溝とスティプルが混用されています。髪の流れを表すには線状の溝が必要であり、髪を線状の溝のみで描くことも可能です。しかしながら同一の明度を線状の溝で表す場合と、スティプルで表す場合を比べると、前者は後者に比べてシャープな印象になります。明度が同じでも、質感が異なるのです。フランシス・ホルは柔らかな質感の表現を得意とするエングレーヴァーであり、本品においても令嬢の肌を線状の溝ではなくスティプルで描いています。それゆえ画面全体の雰囲気を統一し、髪と肌の質感に齟齬(そご 食い違い)が起きないように、フランシス・ホルは一筋一筋の髪を線で表しながらも、線と線の間を破線状のスティプルで埋めて、柔らかな質感を表現しています。





 上に示したのは本品と同時代(1875年)のエングレーヴィングで、Ch. シューラーによる「マドンナ・デッラ・セディア」の一部です。シューラーは線状の溝のみを使って「マドンア・デッラ・セディア」を製版し、硬質の輝きを持つ作品に仕上げています。肌と髪はいずれも線状の溝のみで表現されています。





 上の写真はフランシス・ホルが本品(「ザ・シティ・ベル」)の二年後に発表した生涯最後の作品「ア・シエスタ」です。ホルは「ア・シエスタ」においても、「ザ・シティ・ベル」と同様に、肌と眉と睫毛の描写にはスティプルを、髪の描写には線状の溝とスティプルを混用する技法を、それぞれ採用しています。柔らかな質感の画面が、フランシス・ホルの持ち味であることがわかります。





 上に示したのは本品「ザ・シティ・ベル」の一部で、花模様を織り出したレースのヴェール、ネットに包まれた髪、真珠のイアリングを拡大撮影しています。レースの花模様はスティプルの密度を加減することで浮き出しています。ネットは輪郭線だけでなくスティプルの密度と並ぶ方向を変えることで、髪との識別が可能になっています。イアリングは線ではなくスティプルで陰翳を着けているため、鉱物のガラス光沢ではなく、柔らかな真珠光沢を有します。





 真珠はアラゴナイト(炭酸カルシウム)とコンキオリン(conchiolin 蛋白質の一種)が交互に層を為しています。真珠に当たった光は大部分が表面で反射しますが、一部は真珠層の内部にいったん入り込んでから、反射して外部に出ます。表面で反射した光の波と、真珠層に入り込んでから反射した光の波が重なると、波どうしが干渉を起こして、「オリエント」と呼ばれる独特の真珠光沢が見えます。大部分の宝石はガラス光沢を有します。ダイアモンドの光沢は特有の金剛光沢ですが、サファイアの光沢(亜金剛光沢)はダイアモンドに近いですし、モアサナイト等でも再現できます。琥珀やコーパルの光沢は樹脂光沢です。しかしながら真珠光沢を有する宝石は真珠しかありません。

 上の写真は本品に彫られたネックレスの拡大です。ここまで拡大すると、これがどうして真珠に見えるのか不思議に思いますが、実物の版画を肉眼で見ると、まぎれもなく真珠そのもののオリエント(真珠光沢)が認められます。まさに名エングレーヴァーのみが為せる天才的な技です。





 上の写真はネットに包んだ髪の左側、ヴェールと背景の境目を拡大しています。明暗の差がどのように表現されているのかを調べるために、赤い長方形部分をさらに拡大します。





 フランシス・ホルは溝の太さによって、あるいは溝と溝の間に彫り残した部分の幅によって、背景の微妙な明暗を表現しています。ヴェールの一部に明るい光が当たっている部分も、同様の方法で表現されています。理屈は簡単ですが、溝の幅は 0.15ミリメートルから 0.18ミリメートルのものを中心に、太さを百分の一ミリメートル単位で増減することにより、明度の差を生み出しています。

 我々は刷り上がった版画を見ていますが、エングレーヴァーに見えているのは鉄(スティール)の板だけです。フランシス・ホルはビュラン(彫刻刀)の刃先に懸ける圧力を完璧に制御して、人間業とも思えない偉業を成し遂げています。





 本品の版を制作したフランシス・ホル(Francis Holl, 1815 - 84)は、十九世紀のイギリスで最も人気があったエングレーヴァーのひとりです。市販されるヴィクトリア女王の肖像を二十五年にわたって彫り続けた人気版画家であり、女王をはじめとする王族から個人的な注文を受ける版画家でもありました。フランシス・ホルが王族から注文された版画のうちの二点、すなわち女王の夫アルバート公の肖像と、アリス女王の肖像は、市販を許可されています。

 1856年から 1879年、フランシス・ホルは十七枚のエングレーヴィングを王立アカデミーに展示しており、没するおよそ一年前にあたる 1883年1月16日には、アカデミー准会員(an associate engraver)に選ばれています。


 フランシス・ホル


 「ジ・アート・ジャーナル」("The Art Journal"はロンドンのヴァーチュー社が発行する豪華な定期刊行物で、美しいエングレーヴィングを多数収録し、ヴィクトリア時代のイギリス美術界に最も大きな影響力を持ちました。フランシス・ホルは1862年から1882年の間に、七点のエングレーヴィングを同誌上で発表しています。七点はいずれも優れた出来栄えですが、とりわけジョシュア・ハーグレイヴ・サムズ・マンの原画に基づく「ザ・カントリー・ブロッサム」(Joshua Hargrave Sams Mann, "The Country Blossom")、同じく J. H. マンの原画に基づく本品「シティ・ベル」(J. H. S. Mann, "The City Belle")、チャールズ・エドワード・ペルジーニの原画に基づく「ア・シエスタ」(Charles Edward Perugini, "A Siesta")は、いずれも柔らかな画面が魅力的な名作です。

 本品「シティ・ベル」(The City Belle)は 1880年の「ジ・アート・ジャーナル」に発表された作品で、フランシス・ホルが版を制作したうち、最後から二番目に当たります。ホルは前年に「ザ・カントリー・ブロッサム」を発表していますので、本品「ザ・シティ・ベル」はわずか一年数か月で製版されたと思われ、その名人芸には感嘆するしかありません。

 本品「ザ・シティ・ベル」は、十九世紀の大英帝国を代表するエングレーヴァー、フランシス・ホルが、版画家としての到達点に達した六十歳代半ばに、円熟の業を遺憾なく発揮した名作です。筆者(広川)の意見では、本品はフランシス・ホルの最高傑作であるだけでなく、ヴィクトリアン・エングレーヴィングの最高峰のひとつです。





 版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。下の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、緑色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装代金は、24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤や青、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 アンティーク・エングレーヴィングの細密さは、原寸大の写真によって再現することができません。コンピューターのモニターで表示するために、版画の全体像を把握しやすいサイズまで画素数を落とすと、細部はすべて失われます。細部がどのように彫られているかを示すためには、版画の数か所を選んで接写し、顕微鏡写真のような拡大写真で示すしかありませんが、拡大写真は現物のサイズとかけ離れています。これに加えて、現物のアンティーク・エングレーヴィングは、拡大写真でも判別が困難な細密さを有しており、それらの細部は版画作品の全体を肉眼で見たときの驚くべき写実性に貢献しています。

 私がここに書いていることを理解するには、現物をご覧いただくしかありません。アンティーク・エングレーヴィングの現物は写真で見るよりもはるかに美しく、購入された方には必ずご満足いただけます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





エングレーヴィングの価格 118,000円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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