アポロンに追われ、月桂樹に変身するダフネー

Apolline Daphnen persequente, haec a patre in laurum transformatur.


画面サイズ (下の文字二行を含めた概寸) 18 x 12 cm

パピエ・ヴェルジェに銅版インタリオ  パリ、シャルル・クラプレ  1790年代末



 オウィディウスの叙事詩「メタモルフォーセース」("METAMORPHOSES" ラテン語で「数々の変身」の意)に取材した作品。パリの印刷業者シャルル・クラプレ (Charles Crapelet, 1762 - 1809) が1790年代末頃に刷った銅版インタリオで、グラヴュール(エングレーヴィング)とオー・フォルト(エッチング)を併用しています。

 紙はパピエ・ヴェルジェ papier vergé (レイド・ペーパー laid paper)と呼ばれる手漉き紙で、ウォーターマーク(透かしによる製紙工房のマーク)が入っています。


【ラテン詩人オウィディウスと、叙事詩「メタモルフォーセース」】

 ラテン詩人オウィディウス (Publius Ovidius Naso, 43 B.C. - 17/18 A.D.) は紀元前後のいわゆる「アウグストゥスの時代」に生きたローマの詩人で、ウェルギリウス (Publius Vergilius Maro, B.C. 70 - B.C. 19)、 ホラティウス (Quintus Horatius Flaccus, B. C. 65 - B.C. 8) とほぼ同時代の人物です。

 「メタモルフォーセース」全15巻は、オウィディウスが紀元8年に書いた叙事詩の連作で、人間やニンフ、半神、神々が、多くの場合もとの人格、気質を保ったまま、姿かたちを変え、あるいは変えられる物語をテーマにしています。「メタモルフォーセース」はオウィディウスの作品のなかで最もよく知られており、後世の美術や文学に大きな影響を及ぼしました。


【ダフネー(ニンフ)と月桂樹について】

 ギリシア語、ラテン語の樹木名は女性名詞ですが、これは樹木と同一視されるニンフを女性と考えたためです。月桂樹 (Laurus nobilis)を指すギリシア語は「ダフネー」(ἡ δάφνη) ですが、このダフネーもニンフの名前としてギリシア神話に登場します。

 オウィディウスは「メタモルフォーセース」第一巻において、アポロンから逃げるダフネーが月桂樹に姿を変える物語を謳っています。アポロンはダフネーに恋をして、逃げるダフネーを追いかけますが、追いつかれそうになったダフネーは樹木、すなわち月桂樹に姿を変えました。

 「メタモルフォーセース」の該当箇所(第一巻第 452行から 567行)の原テキストをこちらに示し、日本語に全訳いたしました。


【この版画の画面構成】




 本品はパピエ・ヴェルジェ(手漉き紙)に刷られた1790年代末頃の銅版インタリオで、逃げるダフネーと追うアポロンを描きます。矢筒を背負ったアポロンが右手に持っているのは、デルフォイの大蛇ピュト-ンを射殺した弓です。アポロンは立派な弓を自慢し、クピドーの小さな弓を馬鹿にしたためにクピドーの怒りを買い、金色の矢を撃ち込まれて、川の神ペーネウスの娘である美しいニンフ、ダフネーを恋い焦がれます。クピドーの姿はアポロンの頭上高くに見えています。いっぽうクピドーに鉛の矢を撃ち込まれて男性を毛嫌いするダフネーは、アポロンから逃れるために全力で走っています。





 疲れを知らない青年神アポロンに追われるダフネーは、あたかも獰猛な猟犬に追われるノウサギのように死力を尽くして逃げますが、やがて力尽きて父ペーネウス(ペーネウス川の神)に助けを求めます。ペーネウスの力によって変身してゆくダフネーは、指先と髪の先がすでに月桂樹の枝に変わりつつあります。

 父ペーネウスの姿は娘ダフネーを抱きとめ守る老人として描かれています。ペーネウスの左下には壺から流れ出る水が描かれていますが、これは川の流れを象徴的に表したものです。





 画面の下にはビュランを使ったグラヴュールにより、次のラテン語が書かれています。

  Apolline Daphnen persequente; haec a patre in laurum transformatur.  アポロンがダフネーを追っているとき、ダフネーは父によって月桂樹に変えられる。


【この版画の技法】

 本品は銅板によるインタリオで、明度が低い部分を概(おおむ)ねグラヴュール(エングレーヴィング)で、残りの部分をオー・フォルト(エッチング)で制作しています。いずれの技法による部分も幅1ミリメートルあたり四本程度の線を刻み、たいへん精緻に仕上げています。

 下の写真は実物の面積を20倍に拡大しています。定規のひと目盛りは1ミリメートルです。人物の体は正確な比率で描かれ、ダフネーの顔立ちもたいへん美しく整っていますが、目や口はわずか1ミリメートルの幅しかありません。この作品を制作した版画家が、優れた芸術的感覚と卓越した技能の持ち主であったことがよくわかります。





 19世紀半ば以降にヨーロッパで制作されたインタリオは洗練された作品が多く見られます。19世紀のインタリオにおいて洗練度が増し加わった背景的要因として、「時代の美意識の要請」と「製紙や製版技術の向上」のふたつが挙げられます。このふたつの要因は相互に作用し合っています。

 写真のように写実的な絵画や彫刻はそれまでの時代にもありましたが、パピエ・ヴェルジェよりも肌理(きめ)が細かいパピエ・ヴェランpapier vélin (ウォウヴ・ペイパー wove paper 現代のものと同様の紙)が19世紀初頭に登場すると、細密版画が有する描写力に対して、大きな可能性が開けました。また1835年に最初期の写真ダゲロタイプが発明され、同じ頃にフォトグラヴュアの技法も考案されました。これらの技術革新によってあたかも実物を見るかのような図像が容易に手に入るようになると、時代の美意識が版画に求める精密さ、細密さの水準も上がってきました。

 いっぽう1820 - 30年代頃までの金属版インタリオには、彫刻しやすい銅板が主に使用されていました。しかし銅は摩耗に弱いので、多大な労力と時間をかけて細密なコッパー・エングレーヴィング版を制作しても、刷れる枚数が限られていました。銅の代わりに鋼(はがね、鋼鉄)を使うと摩耗に強いですが、当時使われていたスティール・ブロックは焼き入れの段階で歪みが生じて使い物にならなくなる可能性が常にあったので、スティール・エングレーヴィング版に多大な労力と時間をかける彫刻家はいませんでした。このような理由で、1820年頃までの金属版インタリオは、コッパー・エングレーヴィングにせよ、スティール・エングレーヴィングにせよ、あまり細密な作品を制作することはできなかったのです。しかし1821年、イギリスのエングレーヴァー、チャールズ・ウォレン (Charles Warren, c. 1766 - 1823) が理想的なエングレーヴィング用スティール・プレートの開発に成功し、ウィリアム・トーマス・フライのような版画家が、それまでの常識では考えられなかった細密さのエングレーヴィングを実現しました。


(下) ウィリアム・トーマス・フライによる初期のスティール・エングレーヴィング レンブラント 「姦淫を犯した女」 1830年代 当店の商品

 Rembrandt's "The Woman Taken in Adultery" by an earliest British steel engraver, W. T. Fry


 以上の説明でお分かりいただけるように、19世紀初頭以前に制作されたインタリオ(エングレーヴィング、エッチング)は、1830年代以降の作品ほど細密でなく、洗練もされていないのが普通です。しかるに本品は画面全体の構成も人物像の美しさも、後の時代の作品に引けを取りません。19世紀初頭以前に制作された「アポロンとダフネー」の版画を、私はこれまでにたくさん見ていますが、本品は間違いなく最も洗練された作品のひとつです。

 版画の保存状態はきわめて良好です。特筆すべき問題は何もありません。版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





グラヴュールの本体価格 38,000円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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