稀少品 ウィリアム・エティ作 「クピードーとプシューケー」 物語に籠められた《幸せへの憧れ》 ジャン・フェルディナン・ジュベール・ド・ラ・フェルテによる名品エングレーヴィング 1863年

Cupid and Psyche


原画の作者 ウィリアム・エティ(William Etty R. A., 1787 - 1849)

版の作者 ジャン・フェルディナン・ジュベール・ド・ラ・フェルテ(Jean Ferdinand Joubert de la Ferté, 1810 - 1883)


画面サイズ  縦 250 mm  横 190 mm



 ヴィクトリア・アルバート博物館に収蔵されている「シープシャンク・コレクション」(The Sheepshank Collection)から、ウィリアム・エティの「キューピッド・アンド・サイキー」(クピードーとプシューケー)。本品はジャン・フェルディナン・ジュベール・ド・ラ・フェルテによるインタリオ(伊 intaglio 凹版)で、1822年にエティが描いた油彩板絵を基に、1863年の「ジ・アート・ジャーナル」("The Art Journal"で発表された作品の実物です。




(上) William Etty, "Cupid and Psyche", 1822, oil on panel, 431 x 336 mm, the Victoria & Albert Museum, London


 ヴィクトリア・アルバート博物館の「シープシャンクス・コレクション」は、ジョン・シープシャンク(John Sheepshank, 1787 - 1863)が収集した作品群です。ジョン・シープシャンクはイングランド北部ウェスト・ヨークシャーの町リーズ(Leeds)で布地メーカーを経営する裕福な一族に生まれました。青年期には家業に携わっていましたが、四十歳頃に仕事から引退して、同時代のイギリス人画家による絵画及びドローイング(線描画)の収集に専念しました。

 ジョン・シープシャンクがこの油彩画を購入した年は未詳ですが、ウィリアム・エティ(William Etty R. A., 1787 - 1849)が「キューピッド・アンド・サイキー」を制作したのは 1822年で、ちょうどジョン・シープシャンクが仕事から引退したころに当たります。エティはこの五年前、1817年に初めて好意的な批評を受け、1820年からは特に大きな注目を浴びるようになっていましたから、シープシャンクは「キューピッド・アンド・サイキー」を、おそらく 1822年の王立アカデミー夏期展覧会で迷わず購入したのではないでしょうか。シープシャンクとエティは同い年で、出身地も近く、生涯独身を通した点でも似ています。「キューピッド・アンド・サイキー」を初めて目にしたとき、シープシャンクは才能ある画家との出会いに興奮したに違いありません。




(上) William Etty, "The Coral Finder: Venus and her Youthful Satellites Arriving at the Isle of Paphos", 1820, Oil on canvas, 98.6 x 74.4 cm


 エティが 1820年の王立アカデミー夏期展覧会で高い評価を得た「コラル・ファインダー」(The Coral Finder: Venus and her Youthful Satellites Arriving at the Isle of Paphos, 1820)は、ウェヌスを画題の中心とした作品です。この作品において、船上に寝そべるウェヌス(ヴィーナス)は、息子クピードー(キューピッド)を傍に抱き寄せています。また翌 1821年の王立アカデミー夏期展覧会で称賛を浴びた「キリキアに上陸するクレオパトラ」(Cleopatra's Arrival in Cilicia, 1821)は数十人の群像ですが、空中を舞うプッティの先頭に、プシューケー(サイキー)と口づけをかわすクピードーが描かれています。

 「コラル・ファインダー」と「キリキアに上陸するクレオパトラ」は、歴史と神話の叙事詩的場面を再現した作品で、発表時にはいずれもイギリス美術界の話題をさらいました。これに対してエティは「キューピッド・アンド・サイキー」を自由な発想で描いており、サイズも小ぶりです。しかしながら制作年代に注目すれば、「コラル・ファインダー」と「キリキアに上陸するクレオパトラ」は、本品との関係においていわば習作の役割を果たしていることがわかります。それゆえ「キューピッド・アンド・サイキー」は、小さいサイズと可愛らしい画題にも関わらず、その完成度において二点の大作をむしろ凌駕する作品といえます。





 本品は 1863年の「ジ・アート・ジャーナル」(The Art Journal)に発表されたエングレーヴィングで、ジャン・フェルディナン・ジュベール・ド・ラ・フェルテ(Jean Ferdinand Joubert de la Ferté, 1810 - 1883)の作品です。

 ジュベール・ド・ラ・フェルテは「アート・ジャーナル」誌上で十点のエングレーヴィング作品を発表していますが、特に 1850年の「エイジ・オヴ・イノセンス」(Age of Innocence 「無垢の時代」)、1860年の「シンプリシティ」(Simplicity 「無垢」)、1863年の本品「キューピッド・アンド・サイキー」(Cupid and Psyche クピードーとプシューケー)を、筆者(広川)は最も高く評価しています。

 本品を制作した当時のジュベール・ド・ラ・フェルテは五十代の初めで、エングレーヴァーとして脂が乗りきった頃です。この頃のジュベール・ド・ラ・フェルテは、ロンドンの王立アカデミーで作品を発表する一方、出身地のパリでも展示を行い、1859年と 1863年にはパリでメダイユを獲得しています。筆者は二度のメダイユ受章がどの作品によるものか知らないのですが、この年に発表された作品は本品「キューピッド・アンド・サイキー」のみですので、1863年のメダイユは本品を評価して授与されたものと考えられます。





 本品は柔らかな印象の楕円形にクピードーとプシューケーを描きます。ローマ時代の原典、アプーレーイウスの「メタモルフォーセース」に書かれた物語では、クピードーとプシューケーは子供ではなく若者であり、クピードーは妻プシューケーの真っ暗な閨(ねや)に通うばかりで自分の姿を妻に見せないのですが、この作品において二人は愛らしい幼児の姿を取り、明るい牧歌的風景のなかに立っています。こちらを振り向くプシューケーの表情には、愛する夫クピードーの腕の中で幸せな笑みがこぼれています。





 ジュベール・ド・ラ・フェルテは本品の制作におよそ三年を費やしています。クピードーとプシューケーの体と髪と翼の羽毛、ふたりが纏(まと)う布、地面の手前に置かれた矢筒と矢羽根、遠景で魚釣りをするプット、背景の空は、エングレーヴィングで制作されています。近景の地面と背景の森には細密なエッチングが採用され、小さな草の葉と木の葉が丁寧に再現されています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。

 アープレーイウスの物語において、プシューケーは夫クピードーが眠っている間に、ランプの光で夫の姿を見ます。「メタモルフォーセース」 第五巻第二十二節から、該当箇所を引用します。アープレーイウスの原文はラテン語、日本語訳は筆者(広川)によります。

     videt capitis aurei genialem caesariem ambrosia temulentam, cervices lacteas genasque purpureas pererrantes crinium globos decoriter impeditos, alios antependulos, alios retropendulos, quorum splendore nimio fulgurante iam et ipsum lumen lucernae vacillabat: per numeros volatalis dei pinnae roscidae micanti flore candicant et quamvis alis quiescentibus extimae plumulae tenellae ac delicatae tremule resultantes inquieta lasciviunt: ceterum corpus glabellum atque luculentum et quale peperisse Venerem non paeniteret.    プシューケーは[クピードーの]金色の頭に生える神々しい豊かな髪、アンブロシアに酔った髪を見る。さらに乳色の頸を見、玉を結ぶ優美な巻き毛を通して垣間見える紅色の両頬を見る。巻き毛のあるものは前に下がり、あるものは後ろに下がっている。いまは巻き毛の輝きが稲光のように煌めいているので、ランプの明かりそのものも遠慮がちに光っていた。[他の]部分はというと、翼有る神の、露を帯びた羽根は煌めく花のように白い。翼の羽毛はほとんどの部分が動かなかったが、[翼の]端にある柔らかくて優美な綿毛は、震えつつ踊るように、休むことなく気ままに動いていた。体の他の部分は毛が無くなめらかであるか、あるいは光り輝いており、[このように美しいクピードーを]生んだのを、ウェヌスはどれほど誇りに思っていることであろうか。


 クピードーを描くにあたって、エティはアープレーイウスの原典に忠実に従い、豊かな巻き毛の輝く輝かしさ、翼の付け根近くを覆う柔らかな綿毛、瑞々しい露を帯びた羽根を表現していますが、油彩で描かれた原画は絵具の劣化によって細部が見えづらくなっています。ジュベール・ド・ラ・フェルテのエングレーヴィングはこれらの細部をすべて忠実に反映していますし、油彩画と違って経年による劣化が起こらないので、輝くような巻き毛の艶や、翼に宿る露の玉も、すべて 1863年当時のままです。クピードーの髪や翼は上の拡大写真に写っていませんが、実物を肉眼で見れば、美しい描写を楽しんでいただけます。





 クピードーに柔らかな白い布を被せてもらうプシューケーは、喜びに目を輝かせています。これはきっと花嫁のヴェールなのでしょう。

 拡大写真を注意深く観察すると、二人の髪を表現するのはエングレーヴィングの溝だけでなく、ところどころに破線も使われ、中間の明度による極めて微妙な調整が為されていることがわかります。目は直径二ミリメートル強の光彩の中心に、直径一ミリメートル弱の瞳孔が描かれ、上まぶたとの境目は実線の溝、下まぶたとの境目は破線状に並んだ点で表現されています。上まぶたとの境目と下まぶたとの境目が異なる方法で表現されている理由は、光が上方から当たっているために、二つの境目における光の反射の仕方が異なるからです。





 さらに拡大します。写真に写っている定規のひと目盛りは、すべて一ミリメートルです。髪の毛の一本一本が丁寧に彫られていることがわかります。陰になった肌の部分には、一辺 0.2ミリメートルから 0.4ミリメートルの菱形内部に慎重に点を打ち、明度を落としています。エングレーヴァーが一点の製版に一年から数年、手がかかる場合は十年近くを費やす事情が、拡大写真を見るとお分かりいただけるでしょう。


 アプーレーイウスの「メタモルフォーセース」は文字で書かれた小説ですが、小説中の挿話「クピードーとプシューケー」は口承文学に取材していると考えられ、グリム兄弟以降の研究者たちが指摘するメルヒェン(独 das Märchen 昔話)の特徴をすべて備えています。

 グリム童話研究の第一人者として知られるゲッティンゲン大学のクルト・ランケ(Kurt Ranke, 1908 - 1985)は、昔話と伝説がそれぞれに反映する人間の心性に注目しました。メルヒェンの主人公は、ザーゲ(独 die Sage 伝説)の主人公とは違って、超自然的な力の助けを借り、おしまいには必ず幸福を手に入れます。このことに注目したクルト・ランケは、メルヒェンには「神話的な高みから人生の困難を克服しよう」と考えて《憧れる心性》が反映されている、と考えました。

 クルト・ランケに従って考えれば、ザーゲではなくてメルヒェンである「クピードーとプシューケー」には、人生の困難は克服し得るものだという心的姿勢が反映されています。愛する人と一緒になりたいと願い、幾多の困難を経てそれを実現するプシューケーの物語は、愛する人を見出し、ともに人生を送りたいと願うすべての人のために語られていることがわかります。本品に描かれたプシューケーの微笑みは、ともすれば希望を失いがちな我々に、メルヒェンに籠められた「幸せへの憧れ」を思い起こさせてくれます。





 本品は劣化しない中性紙に刷られています。そのため、百五十年以上前のアンティーク版画であるにもかかわらず、たいへんきれいな状態を保っています。版画は未額装のシートとしてもご購入いただけますが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、緑色ヴェルヴェットまたは青色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装の価格はいずれも 24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤やベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。

 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





エングレーヴィングの本体価格 85,000円 (額装別) 在庫切れ 取り寄せの可否はお問い合わせください。

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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