クピードーとプシューケー ― アープレーイウス 「メタモルフォーセース」(変身) 第五巻 21 - 23節
Cupido et Psyche (Ἔρως καὶ Ψυχή) - Apuleius, "Metamorphoses" Liber V, 21 - 23




(上) William Adolphe Bouguereau, "Cupidon et Psyche", photogravure faite en 1893


 アフリカのラテン著述家アープレーイウス(Lucius Apuleius Madaurensis, c. 123 - c. 170)は、ビルドゥンクスロマン(独 ein Bildungsroman ドイツのいわゆる「教養小説」 註1)に似た性格の長編、「メタモルフォーセース」(Metamorphoses 「変身」)、別名「アシヌス・アウレウス」(Asinus Aureus 「金でできた驢馬」あるいは「金色の驢馬」)を著しました。アープレーイウスの「メタモルフォーセース」は現在まで残っている唯一の古代ローマ小説で、その中の挿話「クピードーとプシューケー」は、特によく知られています。

 「クピードーとプシューケー」はとても長い挿話ですので、これを全訳するのは大仕事ですが、アープレイウスの高雅な散文ラテン語を味わっていただきたいと考え、この挿話の佳境と思われる場面、すなわち「メタモルフォーセース」第五巻、二十一節後半から二十三節において、姉に唆(そそのか)された少女プシューケーが、夫の言いつけに背いてその正体を見てしまう場面を選び、ラテン語原文と、筆者(広川)による日本語訳を以下に掲載しました。文意が伝わり易くするために補った語句は、ブラケット [ ] で示しました。


 アープレーイウス 「メタモルフォーセース」 第五巻
 
 21   At Psyche relicta sola, nisi quod infestis furiis agitata sola non est, aestu pelagi simile maerendo fluctuat, et quamvis statuto consilio et obstinato animo, iam tamen facinori manus admovens adhuc incerta consilii titubat multisque calamitatis suae distrahitur affectibus. Festinat, differt; audet, trepidat; diffidit, irascitur; et, quod est ultimum, in eodem corpore odit bestiam, diligit maritum. Vespera tamen iam noctem trahente praecipiti festinatione nefarii sceleris instruit apparatum:     そして[姉たちが去った後、]ひとり残されたプシューケーは ― といっても、姿を露わにしたフリア(憎しみを擬人した女神)たちに煽られている以上、一人きりではないわけだが ― 、まるで海の荒波がぶつかり合うように、同じようなことを[何度も]嘆いて心が揺れる(註3)。どれほど決心し、相反する気持ちを宥め、決意を固めた心を以て、いまは大蛇を殺す準備を進めているものの、今なお相反する気持ちを抑えきれないままに、プシューケーの心は揺れ動き、自分に降りかかった幾多の災いと苦しみに翻弄される(註4)。プシューケーは急いでいながらまごつく。大胆でいながら恐れる。疑わしく思いながら怒りに燃える。要するに、ひとつの同じ体のうち、大蛇を憎みつつ、夫を愛しているのだ(註5)。しかしながら夕刻はたいへん早く過ぎてしまって夜に変わり、[クピードーを殺害するという]罪深き涜神の支度が整う(註6)。
    nox aderat et maritus aderat priusque Veneris proeliis velitatus     深夜になり、夫もやってきた。そして性交に至る前に、前戯を済ませた夫は
 22  altum soporem descenderat. Tunc Psyche, et corporis et animi alioquin infirma, fati tamen saevitia subministrante viribus roboratur, et prolata lucerna et arrepta novacula sexum audacia mutatur.   既に深い眠りに落ちていた(註7)。そのときプシューケーは、普段であれば心も体も弱いのだが、過酷な運命の力により、[却って]強められている。そして男のように大胆に、ランプを持ち出し、ナイフをこっそりと近づける(註8)。
     Sed cum primum luminis oblatione tori secreta claruerunt, videt omnium ferarum mitissimam dulcissimamque bestiam, ipsum illum Cupidinem formosum deum formose cubantem, cuius aspectu lucernae quoque lumen hilaratum increbruit et acuminis sacrilegi novaculam paenitebat.     しかしながらベッドに光が届くや否や、秘められていた真実が明らかになった(註9)。プシューケーの目に映るのは、[獣(大蛇)であるどころか、]すべての猛き獣のうちで最も優しく最も甘美な獣、かの美しき神クピード御自身が、美しく眠り給う御姿である(註10)。クピードーを照らすランプの光までもが喜びゆえに明るさを増し、[神を殺すという]涜聖の大罪を犯そうとしたプシューケーのナイフは、自らの鋭さを恥じたのであった(註11)。
    At vero Psyche tanto aspectu deterrita et impos animi, marcido pallore defecta tremensque desedit in imos poplites et ferrum quaerit abscondere, sed in suo pectore: quod profecto fecisset, nisi ferrum timore tanti flagitii manibus temerariis delapsum evolasset. Iamque lassa, salute defecta dum saepius divini vultus intuetur pulchritudinem, recreatur animi:     プシューケーはといえば、これほどの光景を見て、恐れ、放心し、蒼ざめて力も抜けてしまい、震えながらへたりこんだ。そしてナイフを隠そうとする。つまりそのナイフを、自分の胸に沈めようとする(註12)。プシューケーは本当にそうしたであろう。もしも[神殺しという]恥ずべき行為をナイフ自身が恐れ、分別の無いプシューケーの両手から滑り落ちて逃げ出していなければ(註12)。プシューケーは疲れて、息も絶え絶えの状態でありながらも、神の御顔の美しさを一層たびたび見つめるうちに、落ち着きを取り戻す(註13)。
    videt capitis aurei genialem caesariem ambrosia temulentam, cervices lacteas genasque purpureas pererrantes crinium globos decoriter impeditos, alios antependulos, alios retropendulos, quorum splendore nimio fulgurante iam et ipsum lumen lucernae vacillabat: per numeros volatalis dei pinnae roscidae micanti flore candicant et quamvis alis quiescentibus extimae plumulae tenellae ac delicatae tremule resultantes inquieta lasciviunt: ceterum corpus glabellum atque luculentum et quale peperisse Venerem non paeniteret.     プシューケーは[クピードーの]金色の頭に生える神々しい豊かな髪、アンブロシアに酔った髪を見る。さらに乳色の頸を見、玉を結ぶ優美な巻き毛を通して垣間見える紅色の両頬を見る。巻き毛のあるものは前に下がり、あるものは後ろに下がっている(註15)。いまは巻き毛の輝きが稲光のように煌めいているので、ランプの明かりそのものも遠慮がちに光っていた(註16)。[他の]部分はというと、翼有る神の、露を帯びた羽根は煌めく花のように白い。翼の羽毛はほとんどの部分が動かなかったが、[翼の]端にある柔らかくて優美な綿毛は、震えつつ踊るように、休むことなく気ままに動いていた(註17)。体の他の部分は毛が無くなめらかであるか、あるいは光り輝いており、[このように美しいクピードーを]生んだのを、ウェヌスはどれほど誇りに思っていることであろうか(註18)。
    Ante lectuli pedes iacebat arcus et pharetra et sagittae, magni dei propitia     ベッドの足元の前に、弓と矢筒と数本の矢が置かれていた。偉大なる神の慈悲深い
 23  tela; quae dum insatiabili animo Psyche, satis et curiosa, rimatur atque pertrectat et mariti sui miratur arma, depromit unam de pharetra sagittam et puncto pollicis extremam aciem periclitabunda frementis etiam nunc articuli nisu fortiore pupugit altius, ut per summam cutem roraverint parvulae sanguinis rosei guttae: sic ignara Psyche sponte in Amoris incidit amorem. Tunc magis magisque cupidine flagrans Cupidinis, prona in eum efflictim inhians, patulis ac petulantibus saviis festinanter ingestis, de somni mensura metuebat.
   武器である(註19)。[さきほどまでは]思い乱れていたプシューケーも、いまは満ち足りて好奇心が湧いたので、それらの武器をあれこれと手に取り、調べ、夫の武器を讃嘆する(註20)。プシューケーは矢筒から一本の矢を取り出す。そして震える親指の先で鏃(やじり)の尖り具合を試してみる。しかしこのときプシューケーは、緊張して関節に力が入ってしまい、自分の親指を思わぬ深さで突き刺してしまった(註21)。最も外側の皮膚が破れて、薔薇の[ように赤い]血の、とても小さな滴が露を結んだ。このようにして愛を知らないプシューケーは、自分のせいで、アモル(クピードー)への愛に落ちる(註22)。そしてクピードーへの愛にますます焦がれつつ、プシューケーはクピードーを死ぬほど渇望し、夫の方に体を傾ける(註23)。狂ったように、矢継ぎ早に、夫の全身に甘い接吻を与えつつ、プシューケーは夫が目を覚まさないかと恐れていた(註24)。
    Sed dum bono tanto percita saucia mente fluctuat, lucerna illa, sive perfidia pessima sive invidia noxia sive quod tale corpus contingere et quasi basiare et ipsa gestiebat, evomuit de summa luminis sui stillam ferventis olei super humerum dei dexterum: hem audax et temeraria lucerna et amoris vile ministerium, ipsum ignis totius deum aduris, cum te, scilicet amator aliquis, ut diutius cupitis etiam nocte potiretur primus invenerit! Sic inustus exiluit deus visaque detectae fidei colluvie prorsus ex osculis et manibus     しかしクピードーの矢が刺さり、これほどまでに心を掻き立てられたプシューケーが平常心を失っている間に、かのランプは、最も悪しき裏切りによってか、あるいは有害な嫉妬によってか、あるいはクピードーのあまりにも美しい体に触れて、いくらかは接吻もしようとランプもまた切望したのだろうか。ランプの開口部全体から、煮えたぎる油が、少しの量ではあるが、神の右の肩に注がれたのだ(註25)。あぁ。大胆にして無分別なランプ、愛の無価値な援助者よ。あらゆる[愛の]火を灯し給う神ご自身を、お前は焼くのか。人を愛する誰かが、より長いあいだ、つまり夜の間にも恋人を愛したいと考えて、お前を最初に発明したであろうのに(註26)。このようなことが起こって、火傷を負わされた神は、信頼に基づく約束が破られた嘆かわしい状況を目にし、妻が接吻を繰り返して縋り付くのを振り払い、まっすぐ前方に飛び出した(註27)。


 物語の本筋に影響するほどのことではありませんが、クピードーがろうそくの蝋で火傷を負った、とどこかに書かれているのを見たことがあります。これは明らかに間違いです。本文に書かれているように、クピードーはオレウム(羅 oleum)つまりオリーヴ油で火傷を負ったのであり、照明器具はランプであったはずです。

 ラテン語「オレウム」はギリシア語「エライオン」に相当します。「オレウム」(羅 oleum オリーヴ油)、「エライオン」(希 ἔλαιον オリーヴ油)は、それぞれオレア(羅 olea オリーヴ)、エライア(希 ἐλαία オリーヴ)に由来します。オレアはオリヴァ(羅 oliva オリーヴ)の別形です。

 オレウムの意味をオリーヴ油以外に拡張する場合は、原料を示す語を常に伴います。「オレウム・アミュグダリウム」(oleum amygdarium アーモンドの油)、「オレウム・カリュイヌム」(oleum caryinum 堅果の油)という用例がプリニウスに見られます(註28)。しかしながらラテン語で単に「オレウム」という場合は、オリーヴ油を指します。



 註1 ein Bildungsroman
            ゲーテの「ヴィルヘルムマイスターの修業時代」(Wilhelm Meisters Lehrjahre, 1796)、「ヴィルヘルムマイスターの遍歴時代」(Wilhelm Meisters Wanderjahre, 1829)、トーマス・マンの「魔の山」(Der Zauberberg, 1924)のように、主人公の人格の形成と成長をテーマにした長編小説を、ドイツ語で「ビルドゥンクスロマン」(独 ein Bildungsroman)と呼ぶ。「ビルドゥンク」(独 die Bildung)は「形成」あるいは「成長」という意味、「ロマン」(独 der Roman)は「小説」という意味。

 人格を形成する作業は教育であり、教育の結果として得られる人間としての総合的な知力は教養に他ならない。それゆえ「ビルドゥンク」は教育、教養とも訳せる。わが国で「ビルドゥンクスロマン」を「教養小説」と呼ぶのは、このような理由による。
         
 註2 At Psyche relicta sola, nisi quod infestis furiis agitata sola non est, aestu pelagi simile maerendo fluctuat,
         直訳 そしてプシューケーはひとり残され ― といっても、剝き出しのフリアたちに煽られて一人きりではないわけだが ― 、海の[荒波のような]たぎりで以て、[怖がり憎んでいるのと]同様の事を嘆きつつ、[心が]揺れる。
         
         relicta solaという句は、第一義的には、「姉たちが去った後にひとり残された」という意味であろう。しかしながらこの句は、愛する夫にも心を開くことができない状況に陥ったプシューケーの孤独をも、よく表現している。
         
         infestusは、合成語に使われる古い動詞 fendoの完了分詞に、否定の接頭辞 in-が付いた形。fendoの意味は defendoに同じ。すなわち infestus(守られていない)とは、心が無防備で不安な様子、あるいは心が安逸さを剥ぎ取られて好戦的になっている様子を表す。ここでは両方の意味を併せ持って使われおり、やはりプシューケーの孤独と不安をよく表している。
         ここでプシューケーが "sola non est"(ひとりきりではない)と言われているのは、上記のような心理状態を、「フリア(Furia 復讐の女神、復讐の霊)たちが一緒にいる状態」と解する神話的思考による。

 現代人の発想では、"furiae" は精神の状態を表す言葉である。しかしながら「メタモルフォーセース」は多神教ローマが生み出した文学作品であるから、むしろ「フリアたち」と擬人化して考えるほうが、アプーレーイウスが意図した意味を一層正確に捉えることになるであろう。したがって "infestis furiis agitata" は、「姿を露わにしたフリアたちに煽られて」と訳すのが最良であろうと考える。
         
     aestu pelagi simile maerendo 直訳 海の滾(たぎ)りで同じようなことを嘆きつつ
         引用箇所の直前(第五巻二十一節)で、プシューケーは大蛇を憎みつつも夫は愛しく、葛藤に苦しんでいる。波がぶつかり合う「海の滾り」は、波の力の強さ、動きの激しさ、両側から波に挟まれればその場にとどまったまま翻弄されるのみである点のいずれにおいても、互いに相容れない感情の葛藤に苦しみ、どちらにも進めないプシューケーの心を、巧みに描写した表現である。
         aestus(熱、沸騰)と pelagus(海)の二語を組み合わせて用いた先例は、カトゥルスの詩(64.127 unde aciem in pelagi vastos protenderet aestus)で、アプーレーイウスはこれに倣っている。
         maereo, ere, rui, v.n., v. a. 嘆く、悼む ※ ここではv. a.。maerendoの対格補語 simileは、「これから自分が為そうとしている行為」を指すと解釈するのが妥当であろう。
         
 註3 et quamvis statuto consilio et obstinato animo, iam tamen facinori manus admovens
         直訳 どれほど決心し、相反する気持ちを宥め、決意を固めた心を以て、いまは凶行へと手を動かしつつも、
         
 註4 adhuc incerta consilii titubat multisque calamitatis suae distrahitur affectibus.
         直訳 今なお相反する気持ちを抑えきれないままにプシューケーは揺れ動き、自分に降りかかった幾多の災いと苦しみに動揺する。
         
     adhuc incerta consilii tutibat 直訳 心の統一に未だ自信がない女は揺れ動いた。
         certus を「(自分の心の状態を)確かに知っている」の意に解した。印欧語の属格は心的作用の及び範囲を表すから、"incerta concilii" は「相反する気持ちの分裂が収まったことに自信を持てない女」という意味に解せる。「相反する気持ち」とは、大蛇を憎みつつも夫を愛する葛藤のこと。
         
 註5 Festinat, differt; audet, trepidat; diffidit, irascitur; et, quod est ultimum, in eodem corpore odit bestiam, diligit maritum.
         直訳 プシューケーは急ぎ、まごつく。大胆でいて、恐れる。疑わしく思い、怒りに燃える。そして最終的には、同じ体のうちに獣を憎み、夫を愛する。
         
 註6 Vespera tamen iam noctem trahente praecipiti festinatione nefarii sceleris instruit apparatum:
         直訳 しかしながらいまや夕刻が、深夜へと墜落の[如き]急ぎ足で続いてゆき、罪深き涜神の支度を整える。
         
         trahoはほぼ常に他動詞であるが、ここでは珍しく自動詞として使われている。類例 si quis etiam in eo morbo diutius traxit, Cels, 2, 8 med.
         praecipiti = praecipitii
         
         この nefariiは scelerisを限定する形容詞であるが、nefarium, i, n.は名詞としても使われる。 nefarium, i n. = nefas n. indecl.
         
         struo, ere, struxi, structum, v. a. 積み重ねる、整頓する、置く、構成する、生じさせる
         instruo v. a. 築く、整える、置く、用意する、導く、教える
         
 註7 nox aderat et maritus aderat priusque Veneris proeliis velitatus altum soporem descenderat.
         直訳 深夜はそこにあった。夫もそこにいた。そしてウェヌスの戦(戦闘に喩えられるべき性交)よりも先に小競り合いを済ませた夫は、深い眠りに落ちていた。
         
         Venus, neris, f. 性愛と美の女神(ウェヌス、ヴィーナス);性交;女性器 ※ ここでは二番目の意味。
         proelium, i, n. (重装歩兵による)戦闘;格闘
         Veneris proelia ウェヌスの戦闘、ウェヌスである戦闘 ※ ここでは「性交である戦闘」すなわち「戦闘に喩えられるべき性交」の意味。アプーレーイウスは前戯を軽武装兵による前哨戦、性交を重装歩兵による本格的戦闘に喩えている。
         
         velox, ocis, adj. 迅速な、機敏な
         veles, lites, m. 軽武装兵
         velitor, ari, atus sum, v. dep.  (軽武装兵が)小競り合いをする、前哨戦をする ※ この夜、クピードーは本格的な「戦闘」(性交)の前に「前哨戦」(前戯)だけを済ませて、寝入ってしまった。
         
         "altum soporem" は "in altum soporem" の意。
         
 註8 Tunc Psyche, et corporis et animi alioquin infirma, fati tamen saevitia subministrante viribus roboratur, et prolata lucerna et arrepta novacula sexum audacia mutatur.
         直訳 そのときプシューケーは、他の場合であれば心も体もしっかりとしていないが、運命の荒々しさが[力を]与え、その力で強められる。そしてランプが持ち出され、ナイフがこっそりと近づけられ、大胆さによって男女の別が変えられる。
         
         "fati saevitia subministrante", "prolata lucerna", "arrepta novacula" はいずれも絶対的奪格。subministro/sumministro は通例他動詞であるから、これの対格補語 vires を補って解釈した。
         
 註9 Sed cum primum luminis oblatione tori secreta claruerunt, sacrilegi novaculam paenitebat.
         直訳 しかしながら、まず初めに、光の投げかけによって、夫婦のベッドの秘密が明らかになっていた。
         
         clareo, ere, v. n. 明瞭である
         claresco, ere, rui, v. inch. n.  明瞭になる
         
 註10 videt omnium ferarum mitissimam dulcissimamque bestiam, ipsum illum Cupidinem formosum deum formose cubantem,
         直訳 プシューケーの目に映るのは、すべての野獣のうちで最も優しく最も甘美な獣、かの美しき神クピード自身が美しく眠る姿である。
         
         プシューケーはこのときまでクピードを大蛇だと思っていたので、ferus(野獣)、及び bestia(獣)という語がここに使われている。
         
 註11 cuius aspectu lucernae quoque lumen hilaratum increbruit et acuminis sacrilegi novaculam paenitebat.
         直訳 クピードーを見ることにより、ランプの光までもが快活にされて明るさを増し、涜聖女のナイフも鋭さゆえに恥じ入った。
         
          increbesco, ere, crebrui, v. inch. a. 増す、拡大する
         
 註12 At vero Psyche tanto aspectu deterrita et impos animi, marcido pallore defecta tremensque desedit in imos poplites et ferrum quaerit abscondere, sed in suo pectore:
         直訳 しかるにプシューケーはこれほどの光景を見て、恐れ、放心して、力の抜けた蒼白さによって弱くなり、震えながら一番下のひかがみへと沈み、ナイフを隠すことを ― ただし自分の胸に[突き刺して] ― 欲する。
         
         marceo, ere, v. n. 萎びている、色褪せている、無力である
         marcidus, a, um, adj しぼんだ、無力になった
         desido, ere, sedi, v. n. 沈む、衰える
         poples, litis, m.ひかがみ、ひざ
         
 註13 quod profecto fecisset, nisi ferrum timore tanti flagitii manibus temerariis delapsum evolasset.
         直訳 プシューケーは本当にそうしたであろう。もしもこれほどの恥ずべき行為を恐れるせいで、分別の無い両手からナイフが滑り落ちて逃げ出していなければ。
         
         profecto, adv. 確かに、本当に
         flagitium,i, n. 恥、恥ずべき行為 ※ ここでは神を殺害するという涜神行為のこと。
         evolo, are, avi, atum, v. n. 飛び出す、逃げ去る
         
 註14 Iamque lassa, salute defecta dum saepius divini vultus intuetur pulchritudinem, recreatur animi:
         直訳 そして疲れてしまった[プシューケー]は、息も絶え絶えの状態でありながらも、神の御顔の美しさを一層たびたび見つめるうちに、元気において再生された。
         
         deficio, cere, feci, fectum, v. a., v. n. 裏切る;衰える、尽きる、疲れる、弱る
         defectus, a, um, p. p., p. a. 裏切られた、見捨てられた(abl.);弱くなった
         "salute defecta" について。"defecta" を主格と取れば、「サルースに見捨てられた[プシューケー]は」と直訳でき、"defecta" を奪格と取れば、「サルースが尽きて」と直訳でき、文全体としてはいずれも同様の意味になる。しかるに「サルース」(salus, utis, f. 健康、無事、安全)とは心身の平常の健全な状態を指す語である。したがって "salute defecta" という句は、「(プシューケーが)サルースに見捨てられて」と考えても、あるいは「サルースが尽きて」と考えても、いずれにせよ「息も絶え絶えの状態で」という意味に解することができる。
         
         saepis, e, adj. たびたびの ※ saupiusは、副詞の比較級。
         animus, i, m. 生命、生命の根源たる魂、精神、元気さ ※ この animi は、所格。
         
 註15 videt capitis aurei genialem caesariem ambrosia temulentam, cervices lacteas genasque purpureas pererrantes crinium globos decoriter impeditos, alios antependulos, alios retropendulos,
         直訳 プシューケーは[クピードーの]金色の頭に生える神々しい豊かな髪、アンブロシアに酔った髪を見る。さらに乳色の頸を見、髪の優美に巻かれた玉(塊)を通して垣間見える紅色の両頬を見る。[髪の優美に巻かれた玉の]あるものは前に下がり、あるものは後ろに下がっている。
         
         caesaries, ei, f. ふさふさした頭髪、長い頭髪、縮れ毛
         temlentus, a, um, adj. 酩酊した
         ambrosia, ae, f. 神々の食物あるいは膏薬
         purpureus, a, um ※ この語は紫だけでなく、赤、赤茶、クリムゾン、カーミンなども含む。
         pererro, are avi, atum, v. a. …を通ってさ迷う、…を遍歴する
         crinis, is, m. 髪、編み下げ髪、尾
         impedio, ire, ivi, itum, v. a. 巻き付ける、くるむ、巻き込む、鎖につなぐ
         "crinium globos decoriter impeditos"(優美に巻かれて玉を結んだように見える巻き毛)は、pererrantesの直接補語。「巻き毛の間をさ迷う」とは、「巻き毛の間に垣間見える」の意。
         
 註16 quorum splendore nimio fulgurante iam et ipsum lumen lucernae vacillabat:
         巻き毛の輝きがいまや稲光のように煌めいて、ランプの光そのものもためらっていた。
         
         nimio = nimium = nimis adv. 過度に、非常に、はるかに
         fulgro v. n. 稲光がする
         vacillo, are, avi, aum, v. a. ためらう、ぐずつく、ふらふらする
         
 註17 per numeros volatilis dei pinnae roscidae micanti flore candicant et quamvis aliis quiescentibus extimae plumulae tenellae ac delicatae tremule resultantes inquieta lasciviunt:
         直訳 [他の]部分はというと、翼有る神の、露を帯びた羽根は煌めく花のように白く、たとえ他の諸部分が動かずにいても、[翼の]端にある柔らかくて優美な綿毛は、震えつつ踊るように、休むことなく気ままに動いていた。
         
         nummus, i, m. 貨幣、銀貨
         numerus, i, m. 部分;調子、韻律、詩句;数、大量、集団
         ros, roris, m. 露、水滴、湿り気
         roscidus, a, um, adj. 露を帯びた、湿った
         candico, are v. n. 白い、白っぽい
         quamvis adv. どれだけでも / conj. たとえ…でも
         resulto, are, avi, atum, v. freq. n. et a. 跳ね返る、弾む、反響する、反抗する
         
         inquietaを形容詞 inquiesの中性複数主格・対格形と取っても、形容詞 inquietusの女性単数主格・奪格形または中性複数主格・対格形と取っても、文中の機能がわからない。本文のこの箇所は inquietaとなっているが、inquietae(女性複数主格形に置かれて "plumulae" を限定する形容詞)または inquiete(現在分詞 "resultantes" を修飾する副詞)の間違いではないか。本稿ではやむを得ず inquietaを inquieteと読み替えて訳した。
         
         lascivio, ire, vii, vitum, v. n. 気ままである、傲慢である
         
 註18 ceterum corpus glabellum atque luculentum et quale peperisse Venerem non paeniteret.
         直訳 他の体[の部分]は毛が無くなめらかであるか、あるいは光り輝いており、[このように美しいクピードーを]生んだことは、どれほどにかウェヌスを恥じ入らせないだろう。
         
         glaber, bra, brum, adj, 毛のない、滑らかな
         blabellum, a, um, adj. dim. 毛のない、滑らかな
         luculentus, a, um, adj. 明るい、光り輝く、立派な、華美な
         non paenitet 嫌っていない、満足している
         
 註19 Ante lectuli pedes iacebat arcus et pharetra et sagittae, magni dei propitia tela;
         ベッドの足元の前に、弓と矢筒と数本の矢、すなわち偉大なる神の慈悲深い武器が置かれていた。
         
         prope, adv. 近くに
         prpitius, a um, adj. (近くに来させる→)親切な、慈悲深い、吉兆の
         telum, i, n. 矢、投げ槍、剣、太陽光線
         propitia tela 通常の武器は生命・健康・幸福を奪うが、クピードーの武器は人を傷つけないので、「慈悲深い武器」と言っている。
         
 註20 quae dum insatiabili animo Psyche, satis et curiosa, rimatur atque pertrectat et mariti sui miratur arma,
         直訳 心において満ち足りることのなかったプシューケーも、いまは満ち足りて好奇心が湧いたので、それらの武器をあれこれと手に取り、調べ、自分の夫の武器を讃嘆する。
         
         insatiabili animoとは、これまで夫の正体を知らないゆえにプシューケーの心が満たされていなかった様子、あるいは夫を大蛇と思い込まされて、プシューケーの心が幸福でなかった様子を言っている。しかるにこのすぐ後の satisは、夫の正体を知って満足し、幸福になっている様子を言っている。夫の正体を知り、危険に曝されていないことも理解すると、プシューケーの心は満ち足りて落ち着き、好奇心が頭をもたげてきたのだ。
         
         rima, ae, f. 裂け目
         rimor, ari, atus sum, v. dep. 破って開く、掘り返す、くまなく探す、検査する、深く研究する
         pertrecto = pertracto, v. a. 触れる、探求する
         
 註21 depromit unam de pharetra sagittam et puncto pollicis extremam aciem periclitabunda trementis etiam nunc articuli nisu fortiore pupugit altius,
         直訳 プシューケーは矢筒から一本の矢を取り出す。そして震える親指の先で刃の端(鏃の先端)を試す女は、さらに今、関節の[普段よりも]一層強い緊張によって、[自分の親指を、通常の力で刺した場合よりも]一層深く刺してしまった。
         
         pollex, licis, m. 親指
         periclitor, ari, atus sum, v. dep. 試みる、試験する、吟味する
         periclitabundus, a, um, adj. (対格または属格補語を取って)…を試している
         nisus, us, m. 抵抗、緊張、よじ登ること、陣痛、星の回転
         
 註22 ut per summam cutem roraverint parvulae sanguinis rosei guttae: sic ignara Psyche sponte in Amoris incidit amorem.
         直訳 いちばん上の皮膚を貫いて、薔薇の[ように赤い]血のとても小さな滴が露を結んだ。このようにして愛を知らないプシューケーは、自分のせいで、アモル(クピードー)への愛に落ちる。
         
         cutis,is, f. 外皮、上皮
         ros, roris, m. 露、水滴
         roro, are, avi, atus sum, v. n., v. a. (雪や氷が)融ける、露を生じる
         spons, ontis, f. 自由意志
         
          「イーグナーラ・プシューケー」(ignara Psyche 物事を知らないプシューケー、未経験のプシューケー)について。夫の正体を未だ知らない間も、プシューケーは夫を愛していた。しかしその愛は少女の憧れ、未熟な初恋であり、確固たるものではなかった。だからこそ、少女プシューケーの初恋は、姉の唆しで簡単に揺らいだ。アープレーイウスがここで使っている「イーグナーラ・プシューケー」(愛を知らないプシューケー、愛を経験していないプシューケー)という表現は、これまでのプシューケーの愛が、真の愛ではなかったことを示している。

 しかるにいまやプシューケーは、夫が誰であるかを分かったうえで、自覚的に愛するようになった。

 プシューケーは不注意によってクピードーの矢を指に刺した、とアープレーイウスは書いている。しかしながらクピードーの矢は、突然どこからとも知れずに飛んできたのではない。無理矢理に突き刺したのではないにせよ、プシューケーが自ら指を傷つけたことに変わりはない。実際アープレーイウスはここで「スポンテ」(sponte 自ら欲して、自由意志を以て)の語を使っている。

 それゆえ筆者(広川)の解釈によると、プシューケーが自ら指を傷つけた出来事は、自覚的、意志的に夫を愛するようになったことの暗喩である。鏃が外皮を貫通して、プシューケーの「薔薇のような血」が体外に出たという描写も、アニムス(animus 心、魂、生命)を取り巻く厚い膜が破れたことにより、プシューケーの魂が意志的・自覚的・能動的に夫を求めるようになったことを象徴している。
         
 註23 Tunc magis magisque cupidine flagrans Cupidinis, prona in eum efflictim inhians,
         直訳 そしてクピードーへの愛にもっともっと焦がれつつ、プシューケーはクピードーを死ぬほど渇望し、夫の方に体を傾ける。
         
         effligo, ere, flixi, flictum, v. a. 殺す、撲殺する
         efflictim = efflicte, adv.
         flagro, are, avi, atum, v. n. 燃える、輝く、焦がれる
         inhio, are, avi, atum, v. n. 大口を開ける、欲しがる、渇望する、大口を開けて見とれる
         
 註24 patulis ac petulantibus saviis festinanter ingestis, de somni mensura metuebat.
         直訳 あらゆるところへの狂ったような甘い接吻が急いで為されつつ、[プシューケーは][夫の]眠りの度合いについて恐れていた。
         
         (pateo →) patulus, a, um, adj. 開いている、広がった、普通の
         (peto →) petulans, antis, adj. 活発な、手に負えない;ずうずうしい
         (suavis →) savium = suavium, n. 接吻
         ingero, ere, gessi, gestum, v. a. 持って入る、投げ込む、流し込む
         metuo, ere, metui, metutum, v. n. 恐れる、気遣う(de aliqua re);v. a. …を恐れる、懸念する
         
 註25 Sed dum bono tanto percita saucia mente fluctuat, lucerna illa, sive perfidia pessima sive invidia noxia sive quod tale corpus contingere et quasi basiare et ipsa gestiebat, evomuit de summa luminis sui stillam ferventis olei super humerum dei dexterum:
         直訳 しかし[クピードーの矢によって]心が傷けられ、これほど十分に掻き立てられて興奮した女が揺れ動く間に、かのランプは、最も悪しき裏切りによってか、あるいは有害な嫉妬によってか、あるいはこれほど美しい体に触れて、いくらかは接吻もしようとランプもまた切望したのか、ランプ自身の開口部の全体から、煮えたぎる油の少量を、神の右の肩(または二の腕)へと吐き出した。
         
         percieo, ere, v. a. 大いに動かす、搔き立てる、動揺させる
         percitus, a, um, adj. 興奮した、激した、怒りやすい
         
         saucius, a, um, adj. 傷ついた、損害を受けた
         saucio, are, avi, atum, v. a. 傷つける、殺す、滅ぼす
         "saucia mente"(心が傷を負って)は、絶対的奪格。ピューケーの心にクピードーの矢が刺さった状態を言っている。
         
         invidia, ae, f. 嫉妬、羨望
         quasi, adv. 幾分か、ある程度;ほとんど、ほぼ
         gestio, ire, ivi, itum, v. n. 欣喜雀躍する;(inf. を伴って)切望する
         
         evomo, ere, vomui, vomitum, v. a. 吐き出す
         
         "lumen" の原意は「光」だが、管や漏斗の開口部も "lumen" という。また "summa" には「全体」という意味と「最上部」という意味がある。本稿では "summa luminis" を「開口部の全体」と訳した。"stilla" の原意は「一滴」だが、「少量」を指す場合もある。本稿では "stilla" を「少量」の意味に解した。つまり本稿では「ランプの開口部全体から少量の油が噴き出した」と読んだわけだが、このように解釈した理由は、このあとクピードが何日間も寝込んでいたという叙述に基づき、或る程度の量の油で或る程度の範囲に熱傷を負ったものと判断したからである。

 しかしながら "summa luminis" は「ランプの最上部」、つまり灯心の先とも解せる。灯心の先から落ちた油は、一滴でも重度の火傷を起こすであろうし、真皮まで破壊される重度の火傷であれば、たとえ傷が小さくても、感染によって重篤な症状を起こし易い。クピードーは完璧な身体を有する神だから、小さな傷であっても人間の場合よりも大きな害を被るのかもしれない。そのように考えると、灯心の先から一滴または数滴の油がこぼれたとの解釈も排除できない。この部分の原文をどのように解するのが最も妥当であるかは、読者の判断に任せることにする。
         
         humerus = umerus, i, n. 肩、上膊骨
         
 註26 hem audax et temeraria lucerna et amoris vile ministerium, ipsum ignis totius deum aduris, cum te, scilicet amator aliquis, ut diutius cupitis etiam nocte potiretur primus invenerit!
         直訳 あぁ。大胆にして無分別なランプ、愛の無価値な援助者よ。あらゆる火の神ご自身を、お前は焼くのか。お前を、ある恋人が、より長く、夜をも享受するべく、最初に発明したであろうのに。
         
         temerarius, a, um, adj. 無分別な、軽率な
         vilis, e, adj. 安価な、無価値な
         aduro, ere, ussi, ustum, v. a. 火をつける、焼く
         diutius, adv. より長く
         potior, iri, potitus sum, v. dep. 支配者となる、享受する
         
 註27 Sic inustus exiluit deus visaque detectae fidei colluvie prorsus ex osculis et manibus.
         直訳 このようにして、焼き印を押された神は、覆いを取られた誓約という廃物が見られると、まっすぐ前方に、数々の接吻と両手から、飛び出した。
         
         inuro, ere, ussi, ustum,v. a. 焼き印を押す
         exilio = exsilio, ire, silui, sultum, v. n. 飛び出る、逃げ去る
         fides, ei, f. 約束、誓約
         colluvies, ei, f. 合流、混合、廃物
         prorsus, adv. 前方へ、直線的に / adj. まっすぐな;散文的な prorsa (sc. oratio) 散文
         
 註28 ラテン語「オレウム」(OLEUM オリーヴ油)は、各種の液状油を指す近代諸語(oil, huille, Öl, óleo, olio 等)の語源である。エルサレムのオリーヴ山は、ドイツ語で「エルベルク」(der Ölberg)という。

 ちなみに石油は古典ラテン語で "oleum vivum" といい、グラティウス(Gratius Faliscus)に用例がある。後世の造語「ペトロレウム」(petroleum 石のオレウム)は、 OEDによると 1348年または 49年に初出する。



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