直径百十四ミリメートルという大きなサイズのメダイユ。歳若き聖母マリアの横顔を、美しい浮彫で表します。十九世紀半ばのパリで発明された素材「ボワ・デュルシ」による極めて珍しい作例です。
フランスはメダイユ彫刻がもっとも発達した国です。とりわけ第一帝政期に入ると、肖像メダイユの政治的重要性が注目され、「ローマ賞」にメダイユ彫刻部門が創設されました。本品の聖母像はこの頃のメダイユを髣髴させる様式で制作されており、たいへんクラシカルな印象を与えます。背景が無数の斜子(ななこ)で艶消し処理されているゆえに、マリアはいっそう手前に浮き出して見え、サイズの大きさ、及び浮彫の三次元的突出と相俟って、あたかも生身の聖母が眼前におられるかのような錯覚に陥ります。
優雅な雰囲気をまとう本品の聖母像は、フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406 - 1469)やサンドロ・ボッティチェリ(Sandro
Botticelli, 1445 - 1510)の作品を思わせますが、特定の作品に取材したものではありません。フィリッポ・リッピやボッティチェリは同時代の女性をモデルに聖母を描きました。十五世紀のイタリア人女性はオーピメント(砒素Asの鉱石)と石灰の混合物を額に塗って脱毛し、生え際を高くしていましたから、フィリッポ・リッピやボッティチェリの聖母像も高い額で描かれています。しかるに本品の聖母は、額の生え際が近代の女性と同じ位置にあります。それゆえに、本品の聖母像はルネサンス絵画のコピーではなく、十九世紀のオリジナルであることが分かります。
しかしながら本品の聖母像は伝統的イコノグラフィの規則に従っています。本品に彫られた歳若いマリアは受胎告知の聖母の単身像であり、マリアが被る薄絹は花嫁のヴェールに他なりません。半ば目を閉じ、神との対話に沈潜するマリアの表情はあくまでも穏やかで、口元には微かなほほえみさえ浮かんでいます。純白のヴェールを被った神の花嫁は、茨に囲まれた香(かぐわ)しき白百合(「雅歌」二章二節)であり、人々に生命と神の恩寵を齎す「新しきエヴァ」です。
本品の素材は 1856年にパリで発明された「ボワ・デュルシ」(仏 bois durci)です。ボワ・デュルシは合成樹脂以前の時代のプラッスティクスで、パリ、及びフランス東部のセザンヌ(Sézanne グラン・テスト地域圏マルヌ県)で、製品が作られていました。
十九世紀後半のフランスではボワ・デュルシを使って美しい工芸品が作られましたが、二十世紀に入るとボワ・デュルシは合成樹脂との競争に敗れ、急速に衰退しました。セザンヌのアトリエ(工場)が
1926年に火災に遭い、操業を停止すると、ボワ・デュルシは二度と復活しませんでした。現代まで破損せずに残っているボワ・デュルシ製品はたいへん稀少であり、アンティーク品として高く評価されます。
本品は九十年以上前、おそらく十九世紀に製作された真正のアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好です。特筆すべき問題は何もありません。
本品の出来栄えは極めて優れており、十分に美術品と呼べる水準に達しています。それと同時に本品は二十世紀以降の合成樹脂とは全く異なる素材で製作されており、工芸史、産業史の実物資料としても大きな価値を有します。