ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール 大いなる回復の聖母
Notre-Dame du Grand Retour
多色刷り石版によるカード 「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」 当店の商品です。
1943年から 1948年にかけて、
「ノートル=ダム・ド・ブーローニュ」(Notre-Dame de Boulogne ブーローニュの聖母)を象った四体の聖母子像がフランス全土を巡回し、平和の回復と捕虜の帰還を祈るとともに、神への立ち返り、回心を呼びかけました。聖母子像が立ち寄った場所は
88司教区の 16,000教区、その行程は12万キロメートルに及びました。このときフランス全土を巡った「ノートル=ダム・ド・ブーローニュ」は、「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」(Notre-Dame
du Grand Retour 大いなる回復の聖母)と呼ばれています。
「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」がフランス全土を巡るに至った歴史的経緯を、以下に概説いたします。
【1938年の「ル・コングレ・マリアル・ナシオナル」】
英仏海峡に面するブーローニュ=シュル=メール(Boulogne-sur-Mer ノール=パ=ド=カレー地域圏パ=ド=カレー県) は、19世紀以前のフランスにおいて最も有名な聖母マリアの巡礼地で、ちょうど今日のルルドのような地位にありました。ルルドが有名になった19世紀半ば以降も、ブーローニュ=シュル=メールは大勢の人々を惹き付ける一大巡礼地であることに変わりはありませんでした。
1938年7月21日から24日までの四日間、ブーローニュ=シュル=メールでは、教皇ピウス9世を代理する使節の下、「ル・コングレ・マリアル・ナシオナル」(le
Congrès Marial National 全仏マリア会議)が開催されました。
「ル・コングレ・マリアル・ナシオナル」では、1300年前にブーローニュの聖母が小舟に乗って到着した場面が60隻の漁船を伴って再現され、ふたりの枢機卿、40名の司教と大司教、多数の司祭が参加した「教皇のミサ」が、バシリカと野外で行われたほか、25000人が参加した子供たちのための催し、一家の柱である成人男性に向けた集会も開かれ、最後はボーイスカウトたちやノール=パ=ド=カレーの民族衣装を着た人々、歴代のフランス国王に扮した人々も参加して、閉会式が盛大に行われました。
「ル・コングレ・マリアル・ナシオナル」の終了後、四体の聖母子像のうちの一体は、記録を9世紀に遡る非常に古い聖母の巡礼地、
ル・ピュイ=アン=ヴレ (Le Puy-en-Velay オーヴェルニュ地域圏オート=ロワール県)に向けて出発し、さらにル・ピュイからルルドまでの行程を運ばれました。聖母子像は 1942年9月8日、聖母誕生の祝日に、最終目的地ルルドに到着しました。
【フランスを聖母に奉献する誓い】
「ル・コングレ・マリアル・ナシオナル」に先立って、「ブーローニュの聖母」を写した四体の聖母子像が制作され、パ=ド=カレー県の全域、及びノール県の一部を巡回しました。このとき聖母子像が通った経路は「ラ・ヴォワ・アルダント」(La
Voie Ardente)、すなわち「熱烈なる信仰の道」と呼ばれました。
「ラ・ヴォワ・アルダント」沿道の人々は、小舟を象った聖母の輿(こし)に、黄色い紙で象った「金の心臓」を置きました。この紙はルイ11世がブーローニュの聖母に奉献した金の心臓を象ったもので、「ルイ13世の誓い」が書かれていました。
・ルイ11世が奉献した金の心臓
1477年、ブーローニュ=シュル=メールを手に入れたルイ11世は、重量2000エキュの金の心臓をブーローニュの聖母に捧げ、将来即位するフランス国王たちも同様の捧げ物をすることを誓いました。1938年当時のフランスの人々は、これをルイ11世の私的信心として捉えず、ブーローニュの聖母に対するフランス国民の誓い
(le voeu national) と考えました。
・ルイ13世の誓い
1638年2月10日、三十年戦争でスペインと交戦していたフランス国王ルイ13世 (Louis XIII, 1601 - 1643) は、跡継ぎの息子が生まれればフランスを聖母に捧げることを誓いました。翌月9月5日に、後のルイ14世となる男の子が無事に産まれ、ルイ13世はフランスを聖母に捧げました。
(下) Philippe de Champaigne,
"Le voeu de Louis XIII à la Vierge", 1638
「ラ・ヴォワ・アルダント」沿道の人々がブーローニュの聖母に捧げた「金の心臓」には、以上のような意味合いがあります。沿道の人々が奉献した多数の「金の心臓」は、ブーローニュの聖母のバシリカに持ち帰られ、糸で連ねて聖堂内に飾られました。
【ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール 大いなる回復の聖母】
ブーローニュからル・ピュイを経てルルドに到着した「ブーローニュの聖母」は、ふたたびルルドを出発し、全フランスを巡る「ル・グラン・ルトゥール」が始まりました。「ルトゥール」(retour)
とはフランス語で「再来」「回復」「帰還」「立ち返り」という意味です。「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」が全フランスを巡ったのは、平和の再来、戦争による荒廃からの回復、捕虜の帰還を神と聖母に嘆願し、神へと立ち返る信仰の覚醒を促すためでした。
19世紀以来、フランスでは
「悔悛のガリア」という言葉が盛んに使われ、フランスがこれまでに神に背いて犯した数々の罪を悔いる精神的運動が続いていました。「ブーローニュの聖母」の「ル・グラン・ルトゥール」は、19世紀から続く「悔悛のガリア」の水脈が、第二次世界大戦という国難に際し、新たな形で発現した出来事でした。1942年10月31日、教皇ピウス12世は
聖母の汚れ無き御心に全世界を奉献しましたが、そのおよそ半年後、1943年3月28日に、フランス司教団は聖母の汚れ無き御心にフランスの全司教区を奉献しています。
「ル・グラン・ルトゥール」は当初一体聖母子像で始まりましたが、聖母は訪問する先々でたいへんな人気を呼び、あらゆる教区から聖母訪問の要望が寄せられたため、1938年7月の「ル・コングレ・マリアル・ナシオナル」に際して制作された「ブーローニュの聖母」四体が、すべて「ル・グラン・ルトゥール」に投入されることになりました。
全フランスの町や村では、「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」を地元に迎えて熱狂しました。大人や若者たちは裸足になって聖母の台車を牽き、子供たちはその周りを歩き、女性たちも沿道に出て、住民総出で聖母子像を迎えたのです。フランス本土における「ル・グラン・ルトゥール」は
1947年に終了しましたが、四体の「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」がそれまでに立ち寄った場所は 88司教区の 16,000教区、その行程は12万キロメートルに及びました。聖母像は行く先々で祈りと熱狂を以って迎えられ、回心をもたらし、奇蹟を起こしました。
【「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」の現在】
「ル・グラン・ルトゥール」に参加した「ブーローニュの聖母」四体のうち三体は、現在もフランス各地で崇敬を集めています。
ルルドを出発して「ル・グラン・ルトゥール」を始めた一体目の聖母子像は、現在、フランスの海外県であるカリブ海の島マルティニーク (Martinique)
の、この像のために建てられた新しい教会 (Eglise St. Cœur de Marie Notre-Dame du Grand Retour,
Rivière Pilote) に安置されています。この「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」は 1948年にマルティニークに到着した後、三か月に亙って島内を巡り、重篤な病気の治癒や無神論者の回心など、数々の奇蹟を惹き起しました。
マルティニークにおける「ノートル=ダム・デュ・グラン・ルトゥール」に関しては、マルティニーク出身の作家ラファエル・コンフィアン (Raphaël
Confiant, 1951 - ) が、「グラン・ルトゥールの聖母」という本を書いています。(Raphaël Confiant,
"La vierge du grand retour", Grasset, 1996, ISBN 2-246-51251-4)
二体目の聖母子像は、本土を巡った後、コルシカに渡りました。この聖母子像は、西暦2000年の大聖年を控えた1995年から2000年までに世界の
120か国を巡り、祈りの振興に寄与しました。フランス国内においては52の大司教区を巡った後、2000年のクリスマスに聖地に到着しました。この聖母子像はナザレの受胎告知教会の向かい側に建てられる国際マリアセンターに安置されることになっています。
なおこの聖母子像については、コルシカ出身の作家ジャック・ティエール (Jacques Thiers, 1945 - ) が、コルシカ語で「小舟の聖母」という本を書いています。(Jacques
Thiers,
"A Barca di a Madonna", Albiana, 2003, ISBN 978-2905124234)
三体目の聖母子像は 1948年にブーローニュ=シュル=メールに戻り、ブーローニュの聖母のバシリカに安置されています。
四体目の聖母子像はフランス中央部、東部、北部を巡回した像ですが、現在は所在不明になっています。
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