サン・ダミアノ十字
il Crocifisso di San Damiano




(上) il Crocifisso di San Damiano, circa 1100, tela incollata su legno, 190×120 cm, la Basilica di Santa Chiara, Assisi


 サン・ダミアノ十字(伊 il crocifisso di San Damiano)はアッシジの聖キアラ聖堂(la basilica di Santa Chiara)に安置されているクルシフィクス(羅 CRUCIFIXUS キリスト磔刑像)です。サン・ダミアノ(伊 San Damiano 聖ダミアノ)は薬剤師の守護聖人として知られる人物の名前で、サン・ダミアノ十字はもともと聖ダミアノの名を関した小聖堂に掲げられていたため、この名を有します。伝承によると、アッシジの聖フランチェスコ(San Francesco d'Assisi, 1182 - 1226)は崩れかけたサン・ダミアノ聖堂においてクルシフィクスのイエスから語りかけられ、「見よ。私の教会は倒れかけている。これを建て直しなさい」と命じられました。


【サン・ダミアノ十字の形態的記述】

 スペインやフランスに比べて東に位置するイタリアはビザンティン美術の影響が濃い地域です。ビザンティン美術は丸彫りの聖像を嫌いますが、イタリアにおいてもキリストの姿を二次元の絵画で表したクルシフィクス(伊 crocifisso 仏 crucifix 磔刑像)が多く見られます。サン・ダミアノ十字(伊 il Crocifisso di San Damiano)もそのような作例のひとつで、縦 190センチメートル、横 120センチメートル、厚さ 12センチメートルのクルミ材に布を貼り、クリストゥス・トリウンファーンス(羅 CHRISTUS TRIUMPHANS 勝利のキリスト)を描きます。キリストの頭上に掲げられたティトゥルス(羅 TITULUS 罪状書き)には、ギリシア文字交じりのラテン語で「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」(羅 IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM)と書かれています。

 サン・ダミアノ十字において、クリストゥス・トリウンファーンスの周辺には多数の人物が描かれています。ティトゥルスのすぐ上、大きな赤い円内にはイエス自身が、その上の半円部には神の右手が描かれています。赤い円内のイエスは両側の使徒たちに教えを説いています。イスカリオテのユダを除いて十一人いるはずの使徒が十人しか描かれていませんが、使徒ヨハネはクリストゥス・トリウンファーンスの右側(向かって左側)に描かれているので、十字架上部にはヨハネを除く十使徒を五人ずつに分け、左右対称になるように描いているのでしょう。

 サン・ダミアノ十字のパティブルム(羅 PATIBULUM 十字架の横木)は、イエスが復活して空(から)になった墓を象徴しています。パティブルムの両端に一人ずつ、聖人が描かれています。イエスが復活して墓が空になっていることに最初に気付いたのは、「マタイによる福音書」二十八章によるとマグダラのマリアとヤコブの母マリアでした。「マルコによる福音書」十六章によるとマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメでした。「ルカによる福音書」二十四章によると、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、その他数名の女性たちでした。「ヨハネによる福音書」二十章によると、マグダラのマリアが墓が空であることに気付き、知らせを受けたペトロとヨハネが駆けつけました。また「ルカによる福音書」二十四章によると、女性たちが墓を訪れた時、輝く衣を着た二人の人が現れて、イエスが復活されたことを告げました。パティブルム両端に描かれた二人の聖人は、イエスの復活の記述に登場するこれらの人物を、個人を特定せずに表しています。パティブルムの下部には左右二人ずつの天使たちが描かれ、勝利のキリストを両手で示しながら、この驚くべき出来事を論じあっています。

 パティブルムより下、キリストの右(向かって左)に大きく描かれている二人は、聖母マリアとヨハネです。キリストの左(向かって右)に大きく描かれている三人は、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、百人隊長です。この百人隊長は「マタイによる福音書」八章及び「ルカによる福音書」七章に見える人物で、イエスに対する無条件の信仰によって中風の僕(しもべ)を癒されました。百人隊長の左肩(向かって右肩)あたりに、癒された僕の姿が小さく描き込まれています。聖母の向かって左下に小さく描かれたローマ兵はイエスの脇腹に槍を突き刺した人物で、長い槍を右手に持っています。百人隊長の向かって右下に小さく描かれたローマ兵は、十字架上のイエスに酢を差し出した人物です。いずれのローマ兵の名も聖書に書かれてはいませんが、伝承によると前者の名はロンギヌス、後者の名はステファトンとされ、ビザンティン美術及びその影響を受けたカロリング朝美術、オットー朝美術において、二人一組で磔刑図に描き込まれるようになりました。

 十字架の最下部に描かれているのは使徒ヨハネ、大天使ミカエル、聖ルフィノ、洗礼者ヨハネ、聖ペトロ、聖パウロで、いずれもウンブリアの守護聖人です。


【サン・ダミアノ十字の制作年代と作者】

 サン・ダミアノ十字は十一世紀末または十二世紀初頭にウンブリアで制作されたクルシフィクスです。当時のヨーロッパ、とりわけイタリアはビザンティン美術の強い影響下にありました。サン・ダミアノ十字において人体の比例と姿勢に非写実的な様式化が見られる点、描かれている人物の重要性とサイズに強い相関性がある点、遠近感の無い平面的描法、金色の背景は、いずれもビザンティン美術の特質を示します。

 サン・ダミアノ十字の作者名は不明ですが、シリアの宗教美術の特徴が色濃く現れています。1100年頃のウンブリアにはシリア出身の修道士たちが居住していたことがわかっており、サン・ダミアノ十字は彼らによる作品と考えられています。



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