リヨンにあるバシリカ、ノートル=ダム・ド・フルヴィエールの鐘楼上に立つ金色の聖母の大型メダイ。バジリク・ノートル=ダム・ド・フルヴィエールは 1884年に完成しました。本品はバシリカの完成から間もない時期に制作されています。
一方の面にはメダイの天地いっぱいにマンドルラ形(紡錘型)の画面が設けられ、両腕を斜め下に伸ばして広げた聖母が、被造的世界の象徴である球体上に立っています。両腕を斜め下に伸ばして広げ、球体上に立つ聖母像は、無原罪の御宿リの伝統的表現です。
ノートル=ダム・ド・フルヴィエールの聖母像は、リヨンの彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812
- 1886)が 1852年に制作したものです。ファビシュによる有名な作品としては、フルヴィエールの金色の聖母の他に、ルルドの岩場に安置された大理石の聖母像(1864年)、及びルルドのバシリカの聖母子像(1868年)が挙げられます。
本品において、聖母像の周囲には、次の言葉がラテン語で刻まれています。
POSVERUNT ME CUSTODEM CIVITATIS. 我、リヨンの守護聖女と為されたり。
マンドルラの内側、及びメダイ外周の内側はミル打ちを模して連続する点で装飾されています。
もう片方の面にはノートル=ダム・ド・フルヴィエールのバシリカが浮き彫りで表されています。ノートル=ダム・ド・フルヴィエールのバシリカは、リヨンの建築家ピエール・ボサン(Pierre-Marie
Bossan, 1814 - 1888)により、1872年から 1884年にかけて建設されました。バシリカの向かって左、鐘楼の頂上には、本品表(おもて)面の聖母像が立っています。バシリカの周囲には次の言葉がフランス語で刻まれています。
Sanctuaire de Notre-Dame de Fourvière 聖地ノートル=ダム・ド・フルヴィエール
本品は信心具のメダイとしては大型の部類に属しますが、それでも直径は二十五ミリメートルほどであり、浮き彫り彫刻のスペースは限られています。本品に彫られたバシリカの幅は十六ミリメートルですが、メダイユ彫刻家の優れた技量により、建物上に据えられた聖母像や大天使ミカエル像をはじめとする細部が忠実に再現されています。
聖堂後陣の屋根の上に据えられた大天使ミカエル像は、ボサンとファビシュの弟子である彫刻家ポール=エミール・ミルフォー(Paul-Émile Millefaut,
1848 - 1907)の作品で、ゲイェ=ゴーティエ社(Gayet-Gauthier)によって制作されました。ゲイェ=ゴーティエ社はリバティ島の「自由の女神」像を鋳造した会社としても知られています。
本品は 2.3ミリメートルの厚さ、5.9グラムの重量があります。ゴシック風の意匠とブロンズの鈍い輝き、メダイ全体を均一に被う古色には、小さくとも重厚な美術品の貫禄があります。
本品は百二十年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらずたいへん良い保存状態です。突出部分の磨滅はごく軽微で、十九世紀の薫りを今に伝えています。