リヨンにあるバシリカ、ノートル=ダム・ド・フルヴィエールと、バシリカに安置される同名の聖母子像のメダイ。信心具の素材として最も高級な銀を打刻して制作したメダイに、無色透明のガラスを被せた美しく稀少な作例です。制作時期は
1896年から 1900年頃です。
一方の面には、リヨンを一望する丘の上に建つ大きな聖堂、ノートル=ダム・ド・フルヴィエールを打刻し、周囲にフランス語で「ノートル=ダム・ド・フルヴィエールのバシリカ」(basilique Notre-Dame de Fourvière) の文字を刻みます。ノートル=ダム・ド・フルヴィエール聖堂は、1870年のリヨン・コミューンにおける社会主義的価値観に対してキリスト教が勝利をおさめた象徴として、1872年から1896年にかけて建設されました。
上の写真は実物の面積を 140倍に拡大しています。文字の高さは 0.6ミリメートルほど、バシリカの手前に突き出た二本の塔の幅は 1.2ミリメートルほどです。溶融したガラスが掛かっているせいで、細部が幾分判別しづらくなっていますが、驚くべき精緻さのミニアチュール彫刻であることがわかります。
ガラスは縦 13ミリメートル、横 11ミリメートルの小さな楕円形の上に、はみ出ることなく正確に載せられています。
19世紀末には、ガラスは摂氏二千度近い高温で溶融されていました。そのような高温のガラスを小さなメダイの両面に綺麗に載せる作業には非常な熟練を要します。そのため両面をガラスで被ったメダイは、通常であればレンズ状のガラス二枚でメダイを挟み込み、周囲に金属の帯を巻いてバラバラにならないように固定しています。しかしながら本品は、高度な技術を持つ職人により。溶融状態のガラスが銀製メダイに直接載せられています。
メダイユの文化が繚乱の相を呈した19世紀のフランスにおいて、このようなメダイは皆無ではありませんが、非常にまれな作例であり、私自身これまでに数点しか目にしたことはありません。
もう片方の面には、バジリク・ノートル=ダム・ド・フルヴィエールに安置されているバシリカと同名の聖母子像、「ノートル=ダム・ド・フルヴィエール」(Notre-Dame
de Fourvière フルヴィエールの聖母)が浅浮き彫り状に打刻されています。聖母子像を取り巻いて、聖母に執り成しを求めるフランス語の祈りが刻まれています。
Notre-Dame de Fourvière, priez pour nous. フルヴィエールの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
(上・参考画像) 聖母子像「ノートル=ダム・ド・フルヴィエール」(フルヴィエールの聖母) 古い版画より
下の写真は実物の面積を 340倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖母子像の高さは 4ミリメートル足らず、天使の高さは
2ミリメートルほどしかありませんが、メダイユ彫刻家は人間離れした職人技によって、「ノートル=ダム・ド・フルヴィエール」を実物どおりに写し取っています。この倍率まで拡大すると、聖母子の衣の襞や刺繍による装飾、冠、天使の翼の羽毛等、肉眼では見えないほどの細部が、すべて丁寧に再現されていることがわかります。ガラスのせいで少し見づらいですが、天使の横顔から判断すると、それぞれの人物像はおそらく目鼻立ちまで作り込まれていると思われます。
写真では分かりませんが、上部に突出した環状部分に、800シルバーを示す「イノシシの頭」のポワンソン(ホールマーク)が刻印されています。本品は聖堂が完成したころに制作された品であり、通常ならばめっきとして使われる銀を用いて銀無垢メダイユとした作りからは、リヨンの聖母に最高の捧げ物をしたいという当時の人々の気持ちがうかがえます。
このメダイは百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、特筆すべき問題の無い良好な保存状態です。
リヨンを見晴らす丘の上に「ノートル=ダム・ド・フルヴィエールのバシリカ」が建設されたのは、モンマルトルの丘の上に「サクレ=クールのバシリカ」が建設されたのと同時期であり、フランス・メダイユ彫刻の最高水準の技術で制作された本品の驚くべきミニアチュール彫刻には、リヨンにおける「悔悛のガリア」の祈りが籠められています。