ノートル=ダム・ド・パリ(仏 Notre-Dame de Paris パリの聖母)の美麗なメダイ。高名なメダイユ彫刻家ラウル・ラムルドデュ(Raoul
Lamourdedieu, 1877 - 1963)の作品です。
一方の面にはこの聖堂に安置されている十四世紀の丸彫り像「パリの聖母」を浮き彫りにしています。聖母は上半身をよじって幼子に向き合い、幼子イエズスは体全体を聖母に向けて、右手を母へと伸ばしています。イエズスは全宇宙の支配権を象徴する世界球(グロブス・クルーキゲル)を持っていますが、いまは慈母に抱かれる幼子として母に甘え、母子ともに睦み合っています。ひたすら神威を感じさせるロマネスク彫刻とは異なって、このような親しみやすい姿で聖母子を表現するのは、ゴシック期の人像彫刻が新たに獲得した特徴です。
本品メダイのモデルとなった像は、パリ司教座聖堂ノートル=ダムの南翼廊東側にあります。昔、司教座聖堂の北側には聖堂参事会修道院があり、聖母子像ノートル=ダム・ド・パリは、参事会修道院のサン=エニャン礼拝堂(la
chapelle Saint-Aignan)に安置されていました。司教座聖堂の聖母の門(le Portail de la Vierge)には扉口の間の柱に十三世紀の聖母子像が刻まれていましたが、この像はフランス革命期の 1793年に破壊されてしまいました。1818年、サン=エニャン礼拝堂の聖母子像は司教座聖堂に運ばれて、破壊された像と置き換えられました。さらにこの像は、1855年、ヴィオレ=ド=デュク(Eugène
Viollet-le-Duc, 1814 - 1879)により、現在の位置に移されました。
上の写真は実物の面積を数十倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖母子の顔や手、聖母の冠など、各部分のサイズはわずか 1
~ 2ミリメートルですが、、大型の作品にまったく劣らない正確さで制作されていることがわかります。
聖母子の周囲には、中世の書体を用い、ノートル=ダム・ド・パリ(仏 Notre-Dame de Paris パリの聖母)と記されています。ノートル=ダム・ド・パリは聖母子像の名前でもあり、聖母に捧げられたパリ司教座聖堂の名前でもあります。
メダイ下部、向かって左の縁付近に、メダイユ彫刻家ラウル・ラムルドデュ(Raoul Lamourdedieu, 1877 - 1963)のサインが刻まれています。ラウル・ラムルドデュはパリの国立高等美術学校(l'École nationale supérieure des beaux-arts
de Paris, ENSBA)において、アール・ヌーヴォー期のフランスを代表する多才な芸術家のひとりであるアレクサンドル・シャルパンティエ(Alexandre Louis Marie Charpentier, 1856 - 1909)に師事し、国民美術協会サロン展(Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts 別名シャン・ド・マルス展
Salon du Champs de Mars)、前衛的な傾向のサロン・ドートンヌ展(Salon d'automne)、アンデパンダン展(Salon
des Artistes Independants)にも参加して、活発に活動しました。ラウル・ラムルドデュは象徴性に富む女性像を得意とし、オーギュスト・ロダンに「彫刻界のピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」と評されています。
もう一方の面には東側から見たパリ司教座聖堂ノートル=ダムを浮き彫りにしています。ノートル=ダム・ド・パリはアルク・ブタン(arcs-boutants 飛梁、フライング・バットレス)を採用した最初期のゴシック建築として知られ、このメダイの浮き彫りにおいても、内陣外壁を支える繊細で美しい飛梁が描写されています。
上の写真は実物の面積を数十倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。浮き彫りに再現された聖堂はわずか 1センチメートルほどの高さですが、建物の細部まで完全に再現され、壮麗なゴシック建築を眼前にするかのような錯覚に陥ります。
本品はどのような服装にも違和感なく身に着けていただけるサイズの本格的美術品です。保存状態は良好で、突出部分もほとんど摩耗しておらず、細部までよく残っています。