いまからちょうど百年前、第一次世界大戦期のフランスで制作されたプラケット(四角いメダイ)。「ノートル=ダム・デ・ゼール」(大空の聖母)を主題にした極めて珍しい作例です。
本品の中央には、湧き立つ群雲(むらぐも 層積雲)を背景に、球体上に立つ無原罪の御宿りを浮き彫りにしています。群雲の間には、聖母の左右に二機ずつ、合計四機の飛行機が飛んでいるのが見えます。これら四機の飛行機は手前の二機が複葉機、遠景の二機が単葉機で、おそらくいずれも軍用機です。画面の最下部に、フランス語で「ノートル=ダム・デ・ゼール」(仏
Notre-Dame des airs 大空の聖母)と記されています。
近代の科学技術は、戦争のたびごとに大きく発達しました。飛行機は第一次世界大戦によって目覚ましい発展を遂げたもののひとつです。四年続いた戦争によって軍用機の性能は飛躍的に向上し、各国軍の保有機数は百倍以上に増えました。
しかしながらノートル=ダム・デ・ゼール(大空の聖母)は、軍用機の発達を喜んではいません。球は空間の一点から等距離にある点の集合であり、「点から発出するもの」であるゆえに、神から発出する被造的世界、すなわち全宇宙を象徴します。したがって無原罪の御宿リが球体の上に立つ姿は、聖母が神に造られたすべての人の母であることを示します。戦時のフランスとドイツは飛行機を使って空中戦や爆撃を行いましたが、聖母から見ればフランス兵もドイツ兵も等しく「わが子」です。子供同士が争い殺し合うのを見て、聖母は心を痛め、涙を流しています。
聖母は胸に一羽の鳩を抱きしめています。「創世記」八章の記述によると、洪水の豪雨が治まって七日目にノアの箱舟から放たれた鳩は、嘴(くちばし)にオリーヴの葉を咥(くわ)えて帰還しました。この故事にちなみ、オリーヴと鳩は神との和解の象徴、平和の象徴とされています。これに加えて鳩は、キリスト者の魂の象徴でもあります。
したがって本品の浮き彫りにおいて鳩を抱くノートル=ダム・デ・ゼールは、フランス兵の魂、ドイツ兵の魂、すべての国の人々の魂を母の胸に抱きしめるとともに、争う子供たちが和解すること、平和が再び訪れることをひたすら願い、その祈りを胸に抱いているのです。
このプラケットは八角形で、ロマネスク様式による洗礼堂の平面プランを思い起こさせます。洗礼堂が八角形である理由は、キリスト教において「八」は新生の象徴であるからです。さらに「八」は全方位、地の諸方の象徴でもあります。それゆえ八角形の本品には、いずれも諸国民が生まれ変わって愛し合うようになって欲しい、また愛と平和が遍(あまね)く行きわたってほしい、というノートル=ダム・デ・ゼールの願いが籠められています。
本品はおよそ百年前に制作されたプラケット(メダイ)です。元の持ち主は分かりませんが、戦闘機のパイロットか、その妻であったかもしれません。浮き彫りの摩滅は、いつ命を奪われるかも知れない軍務の中で、聖母に頼った持ち主の祈りが形になって残ったものです。それと同時に、摩滅によって優しい丸みを帯びたノートル=ダム・デ・ゼールの姿は、母の愛をむしろいっそう強調し、聖母の変わらぬ願いを今に伝えています。
ノートル=ダム・デ・ゼールを主題にした信心具は、制作された時期も数もごく限られており、現在は入手不可能です。本品は筆者(広川)自身が摩滅と古色の美しさを愛して、長いあいだ手許に留めていたものです。これを手許に留めたまま、二点目が手に入ればそちらを商品にしようと考えていましたが、十年探しても二点目は見つかりません。どのようなアンティーク品も同じものは見つかりませんが、本品の場合は「大空の聖母」というモティーフそのものが珍しく、この範疇(はんちゅう ジャンル、カテゴリー)に属する信心具がまったく見つからないのです。
そのようなわけで筆者は本品を長く愛蔵してきました。しかしながら子供が大きくなっていろいろと必要なものも出てきたので、今回やむを得ず手放すことにしました。本品が有するアンティーク品ならでは美しさと、通常のアンティーク品以上の稀少性は、ご購入いただいた方に必ずご満足いただけます。