聖母被昇天を主題に、フランスのメダイユ彫刻家ポール・セレスタン・グランドム(Paul Célestin Grandhomme,le fils, 1881 - 1978)が制作した美麗メダイユ。五百円硬貨に近い直径を有する大型の作例で、一方の面に被昇天の聖母の全身像を、もう一方の面に聖母被昇天アウグスチノ会のエマニュエル・ダルソン神父(P. Emmanuel d'Alzon, 1810 - 1880)の半身像を、それぞれ優れた浮彫彫刻で表します。
一方の面には天上に引き上げられる被昇天の聖母の全身像を、典雅な浮き彫りで表しています。大きなマントを羽織った聖母は天を仰ぎ、斜め下方に両腕を伸ばして、祈りの姿勢を執っています。周囲の帯にラテン語で「マリアは天に引き上げられたり」(ASSUMPTA
EST MARIA IN CŒLUM.)との言葉が刻まれています。
ローマ司教がその「司教座から」(羅 EX CATHEDRA)行う宣言には、全カトリック教会に共通の教義を定める効力があります。聖母マリアの被昇天(羅
ASSUMPTIO)とは、聖母がその死に際して肉体とともに天に挙げられたとするもので、カトリック教会に特有の教説です。聖母マリアの被昇天は、1950年、ローマ司教である教皇ピウス十二世が、使徒憲章「ムーニフィケンティッシムス・デウス」(羅
"MUNIFICENTISSIMUS DEUS" 「この上なく恵み深き神は」の意)をローマ司教座から発することにより、カトリック教会の正式な教義と定められました。
1950年に教義宣言が為されたといっても、聖母の被昇天は近年に生まれた教説ではなく、古代教会にまで起源を遡ります。
エチオピア語で残る新約外典「マリアの休息の書」(羅 "LIBER REQUIEI MARIÆ")は四世紀に成立したとみられ、その内容は三世紀にすでに流布していた教説を記したものと考えられますが、早くもマリアの被昇天について述べています。シリア語による「処女マリアの生涯」("VITA VIRGINIS IACOBITA", Vatican, Biblioteca apostolica, Vat. syr. 537)、シリア語とアラビア語による「幸いなる処女マリアの眠りに関する六つの書」("LIBRI VI DE DORMITIONE BEATÆ VIRGINIS MARIÆ", Edgbaston, University of Birmingham, Mingana Add. Arab. 130, ca. 830
– 850)にも被昇天の記述があり、これらを元にして六世紀初頭頃に編まれた「聖なる女王の死について」(羅 "DE OBITU SANCTÆ DOMINÆ"")、五世紀末までに成立した「処女マリアの帰天について」(羅 "DE TRANSITU VIRGINIS")にも、聖母被昇天の記述が引き継がれています。
一方で、これらと同じ五世紀末頃に成立した「聖ゲラシウスの教令」(羅 "DECRETUM GELASIANUM")は、第五章に「受容されるべき諸々の書物、および受容されるべきでない諸々の書物について」(羅 DE LIBRIS RECIPIENDIS ET
NON RECIPIENDIS)と称する書名一覧を掲げ、マリアの被昇天を記述した諸々の書物を、排除すべきアポクリファ(希 ἀπόκρυφα 外典)と断じています。
遅くとも五世紀には、キドロン川の谷にあるマリア聖堂で、聖母の永眠を記念する祝祭が、八月十五日に執り行われていました。五世紀の文書によると、マリア聖堂には空(から)の墓があり、聖母の遺体が被昇天を前にして一時的に安置された墓所とされていました。1972年にマリア聖堂クリプトの発掘調査が行われたところ、岩を掘って作った空の墓が発見されました。この墓の年代は一世紀と推定されています。
本品浮き彫りの説明に戻ります。
丸彫り彫刻が本来的に三次元性を有するのに対して、絵画的彫刻とも呼ばれる浮き彫り彫刻、とりわけ十九世紀後半以降のフランスで制作されたメダイユ彫刻は、物理的突出に頼らずに三次元性を表現します。不自然さを感じさせることなく三次元性を表現するのは、メダイユ彫刻家の腕の見せ所です。
被昇天の聖母を彫ったこの作品において、ポール・セレスタン・グランドムは聖母の頭部を側面観とし、下半身を斜めから見たように彫りながら、首から下の上体をほぼ正面観で制作しています。メダイユ彫刻家は聖母像の最上部と下半分を側面および斜めから描写することで、物理的凹凸を超える三次元的奥行を、聖母像に与えています。その一方で、正面観で制作された聖母の上体は、両腕を広げて胸に抱きとめる動きを感じさせます。罪びとを胸に抱くのは、天上において聖母が果たす執り成し手としての働きを意味します。すなわちポール・セレスタン・グランドムは聖母の上体を正面観で彫ることにより、すべての人の母であるマリアの愛を可視化しています。
聖母の両側に彫られた白百合は、清らかで強い芳香によって純潔を表すとともに、神に選ばれた身分、及び神の摂理に対する信頼を象徴します。これら三つは諸聖人が有する属性ですが、とりわけ聖母マリアに卓越的に当てはまります。「雅歌」二章のキリスト教的解釈において、聖母は「野のゆり」「茨の中に咲きいでたゆりの花」と表現されています。「雅歌」二章一節から六節を、ノヴァ・ヴルガタと新共同訳により引用します。二節は若者の歌、それ以外は乙女の歌です。
NOVA VULGATA | 新共同訳 | ||||
1. | Ego flos campi et lilium convallium. |
わたしはシャロンのばら、 野のゆり。 |
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2. | Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. |
おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 |
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3. | Sicut malus inter ligna silvarum, sic dilectus meus inter filios. Sub umbra illius, quem desideraveram, sedi, et fructus eius dulcis gutturi meo. |
若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。 わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。 |
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4. | Introduxit me in cellam vinariam, et vexillum eius super me est caritas. |
その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。 |
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5. | Fulcite me uvarum placentis, stipate me malis, quia amore langueo. |
ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。 わたしは恋に病んでいますから。 |
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6. | Laeva eius sub capite meo, et dextera illius amplexatur me. |
あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。 |
それゆえ本品において、二株の百合に挟まれて立つ聖母自身こそが、最も美しく香しい百合であることがわかります。周囲の帯に彫られた数輪の薔薇は、棘の無いロサ・ミスティカとして無原罪の御宿りを表すとともに、「雅歌」の上記引用箇所に出てくる「百合を囲む茨」をも重層的に表し、百合で象徴される聖母の特殊な身分を強調しています。
向かって右に咲く百合の右側、文字を彫った環状の帯に接する部分に「グランドム」(GRANDHOMME)の署名があります。グランドムという名の彫刻家はポール・ヴィクトル・グランドム(父)とポール・セレスタン・グランドム(息子)の二名がいますが、本品はおそらく息子ポール・セレスタン・グランドムの作品です。
その下にあるジ・ベ(J B)のモノグラムは、フランス北西部ソミュールのメダイユ工房、ジャン・バルム(Jean Balme, Saumur)の刻印です。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。聖母の顔や手の細部、薔薇の花や百合の細部はいずれも数分の一ミリメートル以下の精密さで彫られています。衣文(えもん 衣の襞)の自然な流れや、不定形の雲の表現もたいへん美しく、大型の作品と比べても、如何なる点において勝るとも劣らない芸術性を達成しています。
もう一方の面にはエマニュエル・ダルソン神父(P. Emmanuel d'Alzon, 1810 - 1880)の胸像が大きく浮き彫りにされ、周囲に神父の名前と生没年が刻まれています。エマニュエル・ダルソン神父は聖母被昇天アウグスチノ会および聖母被昇天献身者会を設立したフランスのカトリック聖職者で、教育及び社会活動に生涯を捧げたことで知られています。
ダルソン神父は三十九年間に亙り、南フランスのニーム司教区で司教総代理を務めました。その間に幾度もニーム司教の座を提示されましたが、ダルソン神父は司教になることを拒み続け、司牧、社会活動の現場に身を置き続け、とりわけ教育問題に熱心に取り組みました。
本品に浮き彫りにされたダルソン神父の表情には、神への信仰、及び信仰に裏付けられた弱者への愛を読み取ることができます。キリスト教のカーリタース(羅
CARITAS)は「愛」と訳されますが、この語の意味は一時的、偶有的な情動ではなく、持続的な強い意志的愛を指します。強い意志を持つ神父の愛(カーリタース)のまなざしは、貧者、病者、子供たちに向けられています。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品はおよそ九十年ないし百年前のフランスで制作されたアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。突出部分の銀めっきがところどころで剥落し、ブロンズの色が感じさせる温かみは、歳月をかけて獲得されたアンティーク品ならではの美です。
ポール・セレスタン・グランドムは優れた才能を持つ芸術家で、多方面で活躍しましたが、信心具のメダイを制作することは極めて稀であり、本品は貴重な作例となっています。