ポンマンの聖母のメダイは稀少ですが、本品はとりわけ珍しい最初期の作例です。素材はブロンズで、34 ミリメートル超の直径、3.2ミリメートルの厚さ、百円硬貨四枚分に近い
17.8 グラムの重量があり、手に取るとかなりの重みを感じます。
一方の面には、四つ葉形と四角形を組み合わせた中央に、ポンマンに出現した「希望の聖母」(Notre-Dame d'Espérance)を浮き彫りにしています。四つ葉形と四角形の組み合わせはゴシック聖堂建築の窓や壁面装飾に多用される形で、このメダイにクラシカルな表情を与えています。
(下・参考画像) Andrea Pisano, porta sud del Battistero di San Giovanni di Firenze,
1329 - 1336, 577 x 428 cm
ポンマンの聖母は星を散りばめた長衣を着、特徴的な形の帽子を被っています。本品の浮き彫りにおいて、聖母は楕円と四つの燭台に囲まれ、特徴的な形の十字架を胸の前に掲げ持って人々に示しています。これはポンマンにおける聖母出現の第四段階の姿で、最もよく図像に表されます。
聖母を囲む楕円とゴシック装飾の間に輝く三つの星は、マリア、フランス、人類に対して恩寵の光を注ぐ三位一体の神を象徴的に表しています。聖母の周辺には雲が彫られていますが、これはポンマンの聖母が空中に出現したことを表しています。これらの浮き彫りを囲み、次の言葉がフランス語で記されています。
Notre Dame d'Espérance de Pontmain, priez pour nous. 17 janvier 1871 ポンマンの希望の聖母よ、我らのために祈りたまえ 1871年1月17日
もう一方の面には、三つ葉形と三角形を組み合わせた中央に盾形の面を配し、ポンマンにおける聖母出現の際、子供たちが空中に読み取った言葉が書かれています。内容は次の通りです。
MAIS PRIEZ MES ENFANTS. DIEU VOUS EXAUCERA EN PEU DE TEMPS. MON FILS SE LAISSE TOUCHER. 祈りなさい、子供たちよ。神はあなた方の祈りをすぐに聞き入れてくださいます。わが息子は憐れんで心を動かします。 |
ポンマンに聖母が現れるという事件が起こったのは、普仏戦争が終結する直前の1871年1月17日でした。およそ一年後の1872年2月2日には、ラヴァル司教ヴィカール師(Msgr.
Casimir-Alexis-Joseph Wicart, 1799 - 1879)によって、ポンマンでの出来事が真正の聖母出現であると認められ、その崇敬が承認されました。翌1873年から1877年にかけて、小村ポンマンにネオ・ゴシック式の壮麗な聖堂、「ポンマンの聖母教会」(l'Église
de Notre-Dame de Pontmain)が建設されました。
ポンマンに聖母が出現したのは、プロシア軍によってフランスの国土が蹂躙され、パリが陥落し、コミューンの混乱によって全土が荒廃するという、近代フランスにとって最も苛酷な時代でした。ポンマンの村人たちのみならず、個人の力を圧倒する大きな災厄に巻き込まれた当時のフランスの人々にとって、「祈りなさい、子供たちよ。神はあなた方の祈りをすぐに聞き入れてくださいます」("Mais
priez, mes enfants. Dieu vous exaucera en peu de temps.")、「わが息子は憐れんで心を動かします」("Mon
fils se laisse toucher...") と語りかけた聖母のメッセージは、マリアを母と仰ぐ人々に、どれほどの安心を与えてくれたことでしょうか。
この重厚なメダイは、「ポンマンの聖母教会」建設の資金を集めるために制作された品物であろうと思われます。立派な浮き彫り彫刻と、 打刻ではなく鋳造による本格的な作りからは、能う限り最良のメダイユを制作して、能う限り最良の聖堂を奉献したいと考えた当時の人々の篤い信仰心、母なるマリアへの愛と信頼と感謝を読み取ることができ、美術工芸品として、アンティーク信心具として、フランス近代史の実物資料として、大きな価値を有します。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は1872年頃に制作された真正のアンティーク品でありながら、突出部分にも摩耗が無く、驚くほど良好な保存状態です。「ポンマンの聖母」に関連した数少ないメダイの中でも、本品は最も手に入りにくく、非常に稀少な品物です。