ポンマンの聖母のメダイは稀少ですが、そのなかでもとりわけ珍しい19世紀のもの。当時のメダイの標準的な材質であるブロンズで作られています。
一方の面には、中央にポンマンに出現した「希望の聖母」(Notre-Dame d'Espérance) が浮き彫りにされています。特徴的な形の帽子を被った聖母は、雲に乗って空中に浮かび、やはり特徴的な形の十字架を胸の前に掲げ持って、人々に示しています。背景には四つの燭台と多数の星が聖母を囲んでいます。アンティーク・ファイン・ジュエリーの彫金細工、ミル打ちを模した微小な点の連なりが、この図像を取り巻き、その外側には、聖母に執り成しを求める祈りの言葉がフランス語で記されています。
Notre-Dame de Pont-main, priez pour nous. ポンマンの聖母よ、われらのために祈りたまえ。
もう一方の面には、ポンマンの聖母出現を記念して当地に建設されたネオ・ゴシック式の壮麗な聖堂が浮き彫りで表され、周囲にフランス語で「ポンマンの聖母教会」(l'Église
de Notre-Dame de Pont-main) と書かれています。ポンマンの聖母教会は1873年から1877年にかけて建設されました。1908年には教皇ピウス10世によってバシリカとされますが、このメダイが制作されたのは19世紀ですので、バシリカ(フランス語で basilique)という言葉はまだ使われていません。圧倒的な災厄に否応なく巻き込まれたポンマンの人々に、「それでも祈りなさい、子供たちよ。神はあなた方の祈りをすぐに聞き入れてくださいます」("Mais
priez, mes enfants. Dieu vous exaucera en peu de temps.")、「わが息子は憐れんで心を動かします」("Mon
fils se laisse toucher...") と語りかけた聖母は、「ノートル=ダム・デスペランス」(Notre-Dame
d'Espérance 希望の聖母)と呼ばれるようになり、二度の世界大戦をくぐることになるフランスの人々に希望を与え続けました。
このメダイは19世紀後半に制作された真正のアンティーク品でありながら、突出部分にもほとんど摩耗が無く、非常に良いコンディションです。「希望の聖母」の表情はたいへん穏やかに整い、メダイ彫刻家の優れた技量を証明しています。