厳寒のなか、自らの外套を断ち切って貧者に与えるトゥールの聖マルタンを浮き彫りにした19世紀フランスのメダイ。トゥールの聖マルタンはガロ・ロマン期のローマ軍人で、フランスの守護聖人ともされ、中世ヨーロッパにおいて最も人気があった聖人の一人です。外套を与えるシーンは聖マルタンの図像表現において最もよく見られるもので、聖マルタンとほぼ同時代の人、聖シュルピス=セヴェールによる「聖マルタンの生涯」(De vita Beati Martini) が出典になっています。
メダイの一方の面には、とりわけ寒さが厳しい冬の日、アミアンの市門近くを、軍馬に乗った18歳の若者マルタンが通りかかる場面を、浅浮き彫りで描いています。マルタンはこの場所で寒さに震える半裸の乞食を見つけますが、施す物を持ちません。そこでマルタンは太刀を抜くと、自らがまとう軍用の外套を真っ二つに切り裂いて、半分を乞食の体に与えました。
本品の浮き彫りはたいへん細密で、人物の頭部が 1ミリメートル、馬の頭部が 2ミリメートルほどのサイズです。突出部分に磨滅があるせいで元もとの細密さが実感しにくくなっていますが、たいへん優れた腕前のメダイユ彫刻家による作品であることがわかります。
フランスにおいて 800シルバー製を示す「イノシシの頭」のポワンソン(ホールマーク)が、上部の環に刻印されています。
もう一方の面には「サン・マルタン・ド・トゥール巡礼記念」(Souvenir de Saint Martin de Tours) の文字が、手彫りのグラヴュール(エングレーヴィング)によって刻まれています。
トゥール(Tours サントル地域圏アンドル=エ=ロワール県)はフランス中西部の古都で、ここにある「サン・マルタン・ド・トゥール」(Saint Martin de Tours 聖マルタン教会)は、聖マルタンの墓所となっています。聖マルタンの墓所は、古来数多くの人々が参詣する一大巡礼地でした。また聖マルタンはガリアの守護聖人であるゆえに、神がマルタンの聖遺物(遺体)を通してガリアに恩寵を与え、守り給うと考えられてきました。732年、ガリア征服を図るイスラム軍は、トゥールのサン・マルタン(聖マルタン教会)を目指して進軍し、カール・マルテル率いるメロヴィング朝の軍隊がこれを阻止した史実はよく知られています。
聖マルタンの墓所 古い絵葉書から
聖マルタンのバシリカは1562年にプロテスタントの略奪に遭い、聖人の遺体は焼却されて腕の骨片一個しか残りませんでした。聖堂が壊滅的な打撃を受けたのはフランス革命時で、このときバシリカは馬小屋にされた後、完全に取り壊され、石材はすべて売り払われて、跡地は道路になりました。
「トゥールの聖者 (le saint homme de Tours)」「聖顔の使徒 (l'apôtre de la Sainte Face)」として知られるレオン・デュポン
(Léon Papin Dupont, 1797 - 1876) は聖マルタンのバシリカ跡地を発掘し、1860年12月14日に聖人の墓所を再発見しました。その後間を置かずに始まった普仏戦争
(1870 - 71) において、プロシアは圧倒的な強さを示し、1870年9月、セダンの戦いで皇帝ナポレオン3世が捕虜になると、フランス政府はパリの陥落に備えて
1870年9月から12月までトゥールに疎開しました。このとき軍人であるトゥールの聖マルタンはフランスの守護聖人とされ、教会は第二帝政の崩壊をナポレオン3世の不信仰に対する天罰であると説きました。バシリカの半壊した鐘楼ラ・トゥール・シャルルマーニュ
(la Tour Charlesmagne) は再建すべき信仰心の象徴とされ、聖人の墓の上の仮設礼拝堂には巡礼が押し寄せました。
普仏戦争の敗戦に続くコミューンの動乱が収まり、フランス全土で信仰心が復興すると、聖マルタンのバシリカ再建の機運が高まり、ヴィクトル・ラルー
(Victor Alexandre Frederic Laloux, 1850 - 1937) によって、ネオ・ビザンティン式の聖堂、ラ・バジリク・サン=マルタン
(La basilique Saint-Martin de Tours) が建設されました。ヴィクトル・ラルーはトゥール出身で、トゥール市役所やトゥール駅、パリのオルセー駅等を手掛けたフランス建築界の重鎮です。ラ・バジリク・サン=マルタンの建設は
1886年に始まり、1889年に地下聖堂が、1890年に地上の聖堂が完成しました。
(下) 再建されたバシリカと鐘楼 古い絵葉書より。
本品の裏面には「サン・マルタン・ド・トゥール巡礼記念」(Souvenir de Saint Martin de Tours) と刻まれていますので、地上の聖堂が完成した
1890年以降のものであることがわかります。本品の素材は800シルバー無垢ですが、これは信心具に使用される最も高級な素材です。20世紀に入ると社会全体が豊かになり、銀無垢メダイのサイズも大きくなりますが、19世紀の銀無垢メダイは小ぶりで、本品ぐらいの大きさのものが大多数です。したがって本品は、1890年、サン・マルタン・ド・トゥールの地上部分完成を記念して、特別に制作されたものであろうと思われます。
本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い制作年代にもかかわらず良好なコンディションです。拡大写真では突出部分の磨滅がよくわかりますが、実物を肉眼で見ると十分に美しい状態で、磨滅は気になりません。
なお、聖マルタンは乗馬をする人、バイクに乗る人、補給係の将校、兵士、宿屋、仕立屋、葡萄農家、ワイン醸造業者、貧しい人、アルコール中毒者、馬、鵞鳥、フランスの守護聖人です。