極稀少品 趣ある古色のメダイ 《優しく庇い給う御母サラ、我らのために祈り給え 19.5 x 14.4 mm》 ロマの心を映す細密浮き彫りの作例 フランス 1920 - 30年代


突出部分を含むサイズ 縦 19.5 x 横 14.4 mm



 フランスの南北を結ぶ大河ローヌ(le Rhône)はスイスの氷河に発し、レマン湖を経てリヨンでソーヌと合流します。ヴァランス、アヴィニヨンを経てプロヴァンスまで流れ下ったローヌは、アルルで二つに分岐して三角州カマルグを造り、地中海に流れ込みます。

 九世紀に起源を遡り、十三世紀の「レゲンダ・アウレア」("Legenda Aurea" XCVI, c. 1260) にも収録されている伝承によると、三人の聖マリア、すなわちマリア・ヤコベとマリア・サロメ、及びマグダラのマリアは帆も舵も無い小舟に乗ってパレスティナを脱出し、天使に導かれてカマルグに上陸しました。このとき聖女たちには召使いの少女サラが随(したが)っていました。サラはエジプト人であったと伝えられます。





 メダイの表(おもて)面には、バジリク・デ・サント・マリ・ド・ラ・メール(Basilique des Saintes Maries de la Mer 海の聖マリアのバシリカ)に秘蔵されている聖サラ像を、楕円画面の中央に浮き彫りにしています。一段低く窪んだ画面に彫られたサラの像は、十九世紀のフランスで制作された石膏彫刻を想起させます。

 下の写真は 1817年のエクス・ヴォートを写したフランスの絵葉書です。このエクス・ヴォートーに描かれたサラも、本品メダイに浮き彫りにされたサラも、古代エジプト人の服装ではなくジタン(仏 une gitane ロマの女)の服装ですが、いずれにせよエキゾチックな出で立ちに違いはありません。


(下) カマルグに渡ってきた二人のマリアと、召使のサラ 当店の商品です。




 サラはサラ・カリ(Sara Kali 浅黒い肌のサラ)と呼ばれ、ジタン(仏 les gitans ロマ、ジプシー)の守護聖女とされています。十九世紀中頃以来、サント=マリ=ド=ラ=メールはサラ・カリの巡礼地として、ヨーロッパじゅうのジタンの尊崇を集めるようになりました。

 毎年五月の第四週末には、ヨーロッパ各国から何千人ものジタンがサント=マリ=ド=ラ=メールの聖堂に集います。土曜日のミサでは巡礼者たちが聖堂でサラ・カリに賛歌を捧げるなか、聖遺物の棺がゆっくりと天井から降ろされます。サラ・カリの聖像が地下の祭室から運ばれて来ると、巡礼者たちは聖像を運ぶ行列を作り、薔薇の花びらを敷き詰めた道を通って海岸まで歩きます。

 サント=マリ=ド=ラ=メールに集うジタンたちは、祭礼の終わりに次のような祈りを捧げます。「聖サラよ、我らを正しく導きたまえ。善き信仰と善き健康を与えたまえ。我らを嫌う者の心を変えて、我らに親切であらせたまえ。」





 本品メダイには、聖女サラに執り成しを願う祈りの言葉が、浮き彫りを囲むように刻まれています。

  Notre Dame de Sarrah, priez pour nous.  優しく庇い給う御母サラ、我らのために祈り給え。

 女性名サラはふつう "Sarah" と綴られますが、1140年頃の文献には "Sarra" の綴りも見られます。アカデミーがフランス語の綴りを実際の発音に近づけ、正書法の確立を目指す作業に取り掛かったのは、十八世紀のことです。それ以前には多様な綴りが統一されずに行われていましたから、"Sarrah" という綴りがあっても不思議ではありません。蓋し本品に見られるサラの綴り(Sarrah)は古い綴りのひとつでしょう。





 ノートル=ダムは聖母マリアの称号ですが、珍しいことに本品ではサラ・カリがノートル・ダムと呼びかけられています。

 初めて聖母にノートル・ダムと呼びかけたのは、クレルヴォ―の聖ベルナールです。フランス語ノートル・ダムはラテン語に直せばノストラ・ドミナ(羅 NOSTRA DOMINA)で、ドミナはドミヌス(羅 DOMINUS 主人)の女性形です。男性形ドミヌスが時に厳しさをイメージさせるのに対し、女性形ドミナは慈母のような優しさと赦し、庇護を感じさせます。

 ジタン(ロマ)は社会の周縁にあって常に不安定な暮らしをし、外部の人々との蛟龍は常に緊張をはらんでいました。生きるためにインチキな占いや盗みをはたらき、やがてそれが習い性となる場合もありました。外部からの蔑みと拒絶、差別に直面してきたジタンたちにとって、ただ一人の守護聖人であるサラは、優しく庇い給う母と感じられたことでしょう。ノートル・ダム・ド・サラ、すなわち我らのドミナであるサラという呼びかけには、緊張の日々を送るジタンたちがこの聖女に対してのみ心を開き、子どものように信頼を寄せる気持ちがよく表れています。





 裏面にはカマルグにあるサント・マリ・ド・ラ・メールのバシリカ(Basilique des Saintes Maries de la Mer)が浮き彫りにされ、聖堂の名前(Saintes Maries de la Mer)が刻まれています。複数形のサント・マリ(仏 Saintes Maries 聖マリアたち)は、マリア・ヤコベとマリア・サロメを指しています。

 伝承によると、エルサレムからプロヴァンスに逃れた聖女たちのうち、マグダラのマリアはマルセイユで福音を広めた後、サント=ボーム山塊の洞窟に籠りました。マリア・ヤコベとマリア・サロメは侍女サラとともにカマルグに残り、この地で福音を広めた後に亡くなりました。三人の聖女(マリア・ヤコベ、マリア・サロメ、サラ)の遺体はカマルグに手厚く葬られました。その墓所がサント・マリ・ド・ラ・メールのバシリカです。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。石材のサイズは 0.2 ないし 0.3ミリメートルほどですが、サント・マリ・ド・ラ・メールのバシリカはこれらをひとつひとつ積み上げるように、正確に再現されています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品は数およそ九十年ないし百年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、保存状態は良好で、浮き彫りの細部までよく残っています。特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何もありません。メダイの表裏は均一のパティナ(古色)に美しく被われています。

 カマルグのバシリカはサント・マリという名の通りマリア・ヤコベとマリア・サロメに捧げられた聖堂であって、少女サラは脇役に過ぎません。サラ・カリを崇敬するジタン(ロマ)が少数民族であることも手伝って、サラのメダイはほとんど制作されず、本品は稀少な作例となっています。





本体価格 8,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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