名品 A. コナンによるブロンズの小メダイ 「マグダラのマリアと生命樹」 「この女、多くの罪を赦されたり」 直径 14.7 mm


突出部分を除く直径 14.7 mm

フランス  19世紀中頃から20世紀初頭



 敷物も敷かずにひとり荒野にすわり、顔を斜め上に向けて天を仰ぐマグダラのマリアのメダイ。





 マリアは粗衣を着て、腰の部分をベルト代わりの荒縄で括っています。豊かな髪はほどかれて、聖女の体を覆っています。メダイの縁に沿って、聖女に執り成しを求める祈りがフランス語で記されています。

  Ste Marie-Madeleine, priez pour nous.  聖マリ=マドレーヌよ、我らのために祈りたまえ。

 表(おもて)面下端にメダイ彫刻家コナンのサイン (A. CONIN) があります。




(上・参考画像) Georges de La Tour, The Repentant Magdalen, 1635 - 1640, oil on canvas, 113 x 92.7 cm, National Gallery of Art, Washington D.C.


 聖女の前には簡素な木の十字架が立てられ、十字架の根元には開かれた祈祷書と髑髏(どくろ 人間の頭骨)が置かれています。死を象徴する物品を、図像学では「メメントー・モリー」と呼びます。髑髏は「メメントー・モリー」の代表です。マグダラのマリアは娼婦であったと伝えられ、見目麗しい女性であったとも考えられています。しかしながら娼婦の拠り所である官能の喜びも、美しい女性の容姿も、宗教が説く永生に比べればほんの刹那しか持続しません。聖女の傍らに転がる髑髏は、この聖女が他ならぬマグダラのマリアであるゆえに、見る者にいっそう強烈な印象を与えます。




(上・参考画像) カニヴェ 「サント・ボームの洞窟におけるマグダラのマリア」(ボナミ 図版番号 55) 当店の販売済み商品 マリアは十字架と祈祷書の前に跪いています。


 マグダラのマリアの図像には、髑髏の他に、十字架と祈祷書もよく描かれます。上に示したカニヴェをはじめ、多数の聖画やメダイにおいて、サント・ボームに隠棲したマグダラのマリアは十字架と祈祷書の前に跪いています。この図像学的伝統に従って、本品のマリアの傍らにも十字架と祈祷書が彫られています。しかし奇妙なことに、本品に彫られた十字架からは枝葉が伸びています。「枝葉を伸ばす十字架」は再生した生命樹に他ならず、マグダラのマリアが罪を赦されて取り戻した永生を象徴しています。




(上) Piero della Francesca, "Adorazione della Croce" (dettaglio), 1452 - 66, affresco, la cappella maggiore della basilica di San Francesco, Arezzo


 ソルボンヌ大学の中世フランス文学者であるアルベール・ポーフィレ教授 (Albert Édouard Auguste Pauphilet, 1884 - 1948) は、「ゴーティエ・マップが作者に擬せられる聖杯探求物語研究」("Études sur la Queste del saint graal attribuée à Gautier Map", Paris, 1949) の付録として、パリのビブリオテーク・ナシオナル・ド・フランス(フランス国立図書館)に収蔵されている「フランス語写本 No. 1036」を収録しています。「フランス語写本 No. 1036」の内容は中世から伝わる「生命の木」の説話です。

 この説話によると、人祖アダムとエヴァが罪を犯したせいで、エデンの「生命の木」は枯死してしまいます。アダムが埋葬されるとき、息子のセトはアダムの口に「生命の木」の種を三粒、含ませます。三粒の種からは三本の木が生えて、モーセとダヴィデのもとで数々の奇蹟を惹き起こし、ダヴィデ王の時代に互いに癒着して、一本の大木になります。この木はエルサレム神殿の梁に使うために切り倒されますが、いざ使おうとすると長すぎたり短すぎたりしてうまくいかず、川に渡して橋に使われます。あるときシバの女王がソロモンの知恵の言葉を聴きにエルサレムを訪れますが、道中の橋で聖なる梁に気付いた女王は跪いて梁を礼拝し、「この木は尊き血によってふたたび緑になるであろう」と言います。梁はイエスの受難のときまで同じ場所に横たわっており、ユダヤ人たちはこの梁から十字架を作ってイエスを磔(はりつけ)にしました。

 上の写真はピエロ・デッラ・フランチェスカによるフレスコ画で、聖なる梁を礼拝するシバの女王を描きます。この作品はピエロが 1452年から 58年頃にかけてアレッツォ(Arezzo トスカナ州アレッツォ県)のサン・フランチェスコ聖堂に制作した連作の一部です。


(下・参考画像) 小聖画 「いやなことをされても、イエスさまのようにゆるしてあげましょう」 60 x 37 mm フランス 20世紀中頃 当店の商品です。




 「生命の木」に関する上記の説話はヨーロッパでよく知られており、聖画のモティーフにも現れます。上の写真の聖画において、聖水入れの十字架が芽吹いているのはその一例です。シバの女王は「生命の木」を製材して作った「聖なる梁」、すなわち後の十字架が、「尊き血によってふたたび緑になるであろう」と言いました。この言葉から分かるように、緑に芽吹いた十字架は、キリストの受難によって回復された永遠の生命の象徴であり、「救い」を象徴します。

 したがって、マグダラのマリアの傍らで枝葉を伸ばす十字架は、再生した「生命の木」であり、マリアが得た「救い」と「永遠の生命」を表します。第三者の目から見ると、マリアは荒涼としたサント・ボームの山中にいます。しかしながらマリアは救いを得た故に、実際には生命の木が生えるエデンの中心にいるのです。

 十字架の根元に髑髏が置かれているのも示唆的です。この髑髏はアダムの頭骨です。伝承によるとアダムの埋葬場所は後のゴルゴタであり、キリストの十字架はアダムの墓の上に立てられました。上に引用したビブリオテーク・ナシオナル・ド・フランス「フランス語写本 No. 1036」によると、アダムが亡くなったとき、アダムの息子セトは「生命の木」の種子を父の口に含ませて埋葬しました。ここから生え出た「生命の木」はいったん切り倒されましたが、イエスの十字架となって再び同じ場所に立ちました。イエスは十字架上に救世を成し遂げ、アダムの罪が人間にもたらした死に打ち勝ちました。




(上・参考画像) アルマ・クリスティと「ペトロの鶏」のあるクルシフィクス 46.9 x 24.5 mm フランス 19世紀中頃 当店の商品です。


 さきほど髑髏がメメントー・モリーの代表的なものであると書きましたが、アダムの骨は最も卓越的に「死」を表します。それゆえ、キリストが死に打ち勝ったことを表すために、クルシフィクスの下部にアダムの骨が表されることが多くあります。上の写真はその一例です。




(上・参考写真) Fra Filippo Lippi (1406 - 1469), Madonna and Child Enthroned with Two Angels, 1437, tempera and gold on wood, Metropolitan Museum of Art, New York


 本品の浮き彫りでは十字架の根元に祈祷書が置かれています。書物は知恵の象徴であり、イエスもまた「知恵」として表されます。エデンの中心には、「生命樹」の傍らに「知恵の木」(善悪を知る木)が生えていました。エヴァはこの木から実を取って食べ、永遠の生命を失いました。しかしながらマリアはイエスという知恵の実を食べて、永遠の生命を得たのです。

 上の写真はメトロポリタン美術館が収蔵するフラ・フィリッポ・リッピの聖母子像で、「上智の座 (SEDES SAPIENTIAE) の聖母」を描いています。聖母の右(向かって左)の天使が手にした巻物には、ヴルガタ訳「集会書」 24章 26節がラテン語で引用されています。巻物が丸まって隠れている部分を補って示します。日本語訳は筆者(広川)によります。

  VENITE AD ME OMNES QUI CONCUPISCITIS ME ET A GENERATION(IBUS MEIS IMPLEMINI)  われを欲する汝等は皆、われに来(きた)りて、われの産み出すものにて満たされよ。

 新共同訳聖書において、この箇所は「シラ書」 24章 19節に当たります。






 上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。マリアの頭部の直径はおよそ一ミリメートルに過ぎませんが、整った顔立ちに彫られているばかりか、天を仰ぐ眼差しと、結んだ口元には、残りの生涯を信仰に捧げる決意を読み取ることができます。マリアの手の大きさは一ミリメートルに足りませんが、一本一本の指が判別可能で、どのような形に手を組み合わせているかがよくわかります。

 当店にて A. コナンによるメダイユを扱うのは本品が二点目ですが、先に扱った作品と本品を比較すると、一回り小さい本品の方が、却っていっそう優れたできばえです。すなわち、先に扱った作品と本品はいずれもスクリュー・プレスで打刻して作られており、いずれのマリア像も浅浮き彫りですが、本品のマリアは一層立体的に感じられます。長く美しい髪の流れは自然であり、胸の膨らみや、腰から腿、膝にかけての丸みなど、女性らしい体つきが薄い衣を通して巧みに表されています。メダイユ彫刻家 A. コナンは驚嘆に値する腕前により、浮き彫り彫刻の物理的突出に頼ることなく、マリアと周囲の事物の奥行、立体性を表現しているのです。本品はメダイユ彫刻の技術的蓄積があるフランスにおいてのみ生み出され得た作品であり、小さなサイズの中に近代フランス美術の歴史が詰まっています。

 さらに、先に扱った作品では、養分に乏しい荒れ野の土壌を思わせるように細い木がマリアの前に立っていましたが、本品ではこれが十字架に置き換わっています。単なる木を十字架に置き換えたことにより、本品の彫刻には中世以来のキリスト教説話に裏付けられた歴史的重みが加わり、文化的な厚みを一層強く感じさせる作品に仕上がっています。





 メダイの裏面は中央部分に次のフランス語が記されています。

  Souvenir de la Sainte Baume  ラ=サント=ボーム巡礼記念

 これを取り巻くように、次の言葉がラテン語で記されています。

  DIMISSA SUNT EI PECCATA MULTA  この者、多くの罪を赦されたり。

 これは「ルカによる福音書」 7章36節から50節に記録されている出来事に基づく言葉です。新約聖書時代のイスラエル社会では、ファリサイ派(パリサイ人)と呼ばれる人々が義人と看做され、宗教的指導者の役割を果たしていました。ファリサイ派の人の家にイエスが招かれ、食事をしておられると、「一人の罪深い女」がイエスに近寄り、泣きながらその足を涙で濡らし、自分の髪の毛でぬぐい、接吻して香油を塗りました。イエスは「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」と語り、女に向かって「あなたの罪は赦された。安心して行きなさい。」と命じられました。


(下・参考画像) Jacques-Joseph Tissot, dit James Tissot, Mary Magdalene's Box of Very Precious Ointment, 1880s/90s, Brooklyn Museum of Art, New York




 ローマ・カトリックの伝統においては、この「罪深い女」はマグダラのマリアと同一視されることが多く、特に教皇グレゴリウス1世 (Gregorius I, c. 540 - 590 - 604) がその説教で次のように述べて以来、ふたりは同一人物であるとの考え方が支配的になりました。

  Hanc vero quam Lucas peccatricem mulierem, Joannes Mariam nominat, illam esse Mariam credimus de qua Marcus septem damonia ejecta fuisse testatur. (SERMO XXXIII)

 しかるに、ルカが罪深い女、ヨハネがマリアと呼んだこの女は、七つの悪霊を追い出されたとマルコが証したマリアであると、我らは信ずる。 「説教33」





 本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品で、素材がブロンズである、ラテン語が使用されている等の古い特徴を有します。保存状態は極めて良好で、突出部分にも磨滅はほとんど見られず、浮き彫りの細部まで完全な状態で残っています。マグダラのマリアをテーマにした作品に限らず、打刻による十九世紀のメダイのなかで、本品は最も美しい作品のひとつです。





本体価格 16,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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