アール=ヌーヴォー様式による美麗小メダイ マルグリット=マリに現れ、聖心と受難の傷、アルマ・クリスティを示すキリスト 細密浮き彫りの名品 17.8 x 13.7 mm


突出部分を含むサイズ 縦 17.8 x 横 13.7 mm

フランス  1920年頃



 1671年6月20日にパレ=ル=モニアルの聖母訪問会に入会したマルグリット=マリ・アラコック (Ste. Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690) は、同年8月25日に着衣式を行って修練女となりましたが、翌 1672年11月6日の初誓願を控えて、直前の 10月27日から静修の期間に入りました。

 マルグリット=マリは以前から神やキリスト、聖人と日常的といえるほどに交感し、脱魂状態に陥って他の修道女たちを困惑させては、修練院長の叱責を受けていました。マルグリット=マリの神秘家的傾向は、静修を始めてすぐ目に余るようになったため、静修二日目の10月28日、修練院長はマルグリット=マリに命じて、修道院の庭でロバの母子の見張りをさせることにしました。その頃パレ=ル=モニアル修道院には病弱なスール(シスター)がいて、修道院ではその人に乳を飲ませるためにロバの母子を購入して庭に置いたのですが、庭の隣は畑になっていて、庭との間には柵が無く、二頭のロバが畑の作物を食べようとするので、ロバを見張る係が必要だったのです。この仕事を命じられたマルグリット=マリは、礼拝堂で黙想に耽るどころか、畑に入ろうとするロバの親子を一日じゅう追いかけ回すことになりました。

 初誓願を控えた静修期間の修練女にロバの見張りをさせるという修練院長の判断は、マルグリット=マリが本物の聖女であることを知っているわれわれの目には奇妙に映ります。しかしながら修練女マルグリット=マリに見られた神秘家ならではの奇行について、それが神の恵みなのか、それとも悪魔的あるいは病的なものなのか、修道会はまだ判断できずにいました。マルグリット=マリは静修のあいだロバの世話をせよという修練院長の命令に従順に従い、そのために初誓願の宣立を許されました。当時のことについて、マルグリット=マリは後に書く自叙伝のなかで、「サムエル記」上 9章の故事にからめて、「サウルが一頭のロバを追ったせいでイスラエル王国を得たのなら、私は二頭のロバを追って、二つの王国を得ても不思議ではないでしょう」と語っています。

 マルグリット=マリは実際に、キリストの出現という大きな恩寵を受けることになりました。このときのことについて、マルグリット=マリは自叙伝で次のように語っています。


 Je me trouvois si contente en cette occupation, et mon Souverain m'y tenoit si fidèle compagnie, que toutes ces courses ne m'inquiétoient pas. Ce fut là que je reçus de si grandes grâces que jamais je n'en avois expérimenté de semblables. Surtout ce qu'il me fît connoître sur le mystère de sa sainte mort et passion; mais c'est un abîme à écrire, et la longueur me fait tout supprimer.    私はロバ係の仕事に満足していましたし、主はそこでいつも私とともにいてくださったので、そのように走り回っても不満に感じることはありませんでした。私がそれまでに経験した事のないような大きな恵みを受けたのは、この場においてでした。何よりも、主はご自身の聖なる御(おん)死とご受難について私に教え給いましたが、それはあまりにも深くて言葉にできず、またあまりにも長くなるので、全て省きます。
 Je dirai seulement que c'est ce qui m'a donné tant d'amour pour la Croix, que je ne peux vivre un moment sans souffrir; mais souffrir en silence, sans consolation, soulagement ou compassion, et mourir avec le Souverain de mon âme; accablée sous la croix de toutes sortes d'opprobres, d'oublis, d'humiliations et de mépris.   ただ言えるのは、この体験のおかげで私は十字架をかくも愛するようになり、苦しみなしには、ただの一刻も生きられなくなったということです。私は沈黙のうちに、慰められず、助けられず、同情もされずに苦しみ、わが魂の主とともに死に、あらゆる種類の恥と忘却と辱めと侮蔑の十字架に押し潰されます。







 本品の一方の面には、マルグリット=マリに対するキリストの出現を精緻な彫刻で表します。二人の背景に木々が茂り、遠景には建物が見えていることから、ここが修道院の庭であることがわかります。マルグリット=マリに出現したキリストは、雲に取り囲まれた姿で表現されています。キリストの聖心に加えて、脇腹に開く槍の傷、掌に開いた釘の孔からも、神の愛の可視化である恩寵の光が聖女に向かって発出しています。

 キリストの足下には幾つかのアルマ・クリスティ、すなわち茨の冠、十字架とティトゥルス("INRI" の札)、釘、海綿を刺した棒、槍が、聖女によく見えるように示されています。本品に彫られた十字架は、上部のティトゥルスのせいで総主教十字のように見えます。

 メダイの向かって向かって左にはマルグリット(マーガレット)が、右には百合が彫られています。百合はマリアの象徴ですから、マルグリットと百合の組み合わせは「マルグリット=マリ」を象徴しています。百合には「純潔」及び「召命」(神による選び)という意味もありますから、名前との関連性は別にしても、百合は修道女マルグリット=マリにふさわしい花です。

 また百合がイエスの側に彫られていることにも意味があります。「マタイによる福音書」 6章 25節から 34節、及び「ルカによる福音書」 12章 22節から 34節において、イエスは神の摂理への信頼を弟子たちに説いておられます。そして人としてのイエスご自身も、神の摂理を信頼して、十字架の受難という苦い杯を受け給いました。イエスの姿に寄り添うように浮き彫りにされた百合は、それゆえ、イエスが父なる神を信頼して苦しみを受け容れ給うた「摂理への信頼、信仰」を表しています。

 上に引用した自叙伝を読むと、上長の厳しい命令に服する修練女マルグリット=マリの心には、十字架を受け給うたキリストと同様に、神の摂理に信頼して苦しみに耐える信仰が、この出現の際に改めて燃え上がったことがわかります。マルグリット=マリは「この体験のおかげで私は十字架をかくも愛するようになり、苦しみなしには、ただの一刻も生きられなくなった」(c'est ce qui m'a donné tant d'amour pour la Croix, que je ne peux vivre un moment sans souffrir...) と書いています。





 上の写真は実物の面積を 140倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。キリストの顔や手は 1ミリメートルにも満たないほど小さなサイズですが、大型の浮き彫り彫刻に劣らない精密さで造形されています。雲や背景の木々は輪郭がぼかされています。遠景の建物にも空気遠近法が使われていますが、細部がぼかされてはいても、おろそかにはされていません。修道院の扉や円窓は、1ミリメートル以下のサイズで正確に再現されています。





 マルグリット=マリに目を転じると、聖女の顔にもきちんと表情が作られていることがわかります。ロザリオの珠の直径は 0.2ミリメートルほどですが、一つ一つが丸くきれいに成形されています。マルグリット(植物)と百合も精緻な写実性を示し、背景の木の葉も、風にそよぐざわめきさえ聞こえてきそうな臨場感を与えます。

 本品の意匠に見られる写実的な植物模様、有機的曲線を多用する左右の非対称性は、アール・ヌーヴォー様式の特徴です。しかしながら、アール=ヌーヴォーは 19世紀末から20世紀初頭にかけて流行した様式ですが、その一方で本品のマルグリット=マリは後光を有する「聖人」として表されています。マルグリット=マリが列聖されたのは、アール・ヌーヴォー様式が最も流行した時代の十数年後、1920年のことです。それゆえ本品は、少し前の美術様式に基づきつつ、マルグリット=マリ列聖の年である 1920年、もしくはその年から数年以内に制作されたものと考えられます。「聖マルグリット=マリ」のメダイとしては最も初期に属する作例のひとつであることがわかります。





 もう一方の面は、聖心を示すキリストを浮き彫りにしています。こちらはキリスト単独の上半身を大きく制作していますが、先ほどの出現の場面と比べても、作りの丁寧さはまったく劣りません。パレ=ル=モニアル修道院の庭に出現したキリストの、人知を絶する愛の視線は、マルグリット=マリに注がれたのとまったく同様に、時と場所を超えて、このメダイを見る人にも注がれています。





 本品が制作された20世紀前半のフランスでは、19世紀に引き続き、キリストの聖心にフランスを奉献する「悔悛のガリア」の運動が盛んに行われていました。本品は制作された場所を離れ、時代も隔たりましたが、キリストの愛は不変であるゆえに、この時代、この場所においても、見る者の心を聖心に捧げることを訴えかけています。

 本品はいずれの面も柔らかい作風に仕上がっていますが、突出部分にも磨滅は無く、驚くほど良好な保存状態です。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





18,800円 販売終了 SOLD

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