ジャンヌ・ダルクは 1909年4月18日、教皇ピウス10世により、パリ司教座聖堂ノートル=ダム(ノートル=ダム・ド・パリ)で列福されました。本品はジャンヌの列福を記念して制作されたメダイです。
ジャンヌはリジューのテレーズやルイ9世と並ぶ「フランスの守護聖人」(une patronne secondaire) であるゆえに、フランスではこれまでに数々の美しいメダイが作られてきました。しかしながらジャンヌが正式に「フランスの守護聖人」とされたのは
1922年のことです。ジャンヌは 1920年に列聖されましたから、数多く作られた「フランスの守護聖人ジャンヌ」のメダイも、そのほとんどは「聖ジャンヌ・ダルク」のメダイということになります。ジャンヌが「福者」であったのは、1909年から
1920年の約11年間に過ぎません。したがって「福者ジャンヌ・ダルク」のメダイは稀少です。
メダイの表(おもて)面において、騎士の甲冑を着けた少女ジャンヌは、美しく整った横顔と、若い女性のつややかな髪を惜しみなく見せています。ジャンヌは剣のガードがメダイの面と平行になるように保持しているゆえに、ジャンヌの剣は「聖ヤコブ十字」のようにも見えます。聖ヤコブがスペインを守るように、ジャンヌはフランスを守っているのです。
ジャンヌはオリーヴの枝を剣に添えています。剣とオリーヴの組み合わせは、力に裏付けられた平和、あるいは平和のうちにも警戒を怠らない姿勢を表します。この意匠は本品の制作時期と深い関係があります。
ジャンヌが「福者」であったのは、上述した通り、1909年から 1920年までの間です。当時は列強が覇権を競い合った帝国主義の時代で、元々仲が良くなかったフランスとドイツも各地で利害を衝突させました。1914年から
1918年の第一次世界大戦では、両国の国民同士が死力を尽くして戦うことになります。本品が制作されたジャンヌの列福時、すなわち 1909年は、その前夜ともいうべき時代であり、剣とオリーヴを持つジャンヌの姿は、平和のうちにも警戒を怠らない決意を表して、いかにもこの時代にふさわしい意匠となっています。
この浮き彫りにおいてジャンヌの剣は十字架に見えます。それゆえ剣とオリーヴの組み合わせた本品の図像は、十字架をオリーヴと組み合わせた図像と同様に、「イエスの受難によって達成された神との平和」という純粋に宗教的な意味をも、重層的に表しています。
ジャンヌの甲冑には、胸の部分にフルール・ド・リス(百合文)があしらわれています。フルール・ド・リスはフランスの象徴であるとともに、三枚の花弁によって三位一体の神をも象徴します。したがって甲冑に刻まれたフルール・ド・リスは、胸のうちに神を抱(いだ)く聖女ジャンヌの信仰心を表すとともに、ジャンヌが神の庇護を受けてフランスのために戦ったことをも表しています。
ジャンヌの背後に、「福者ジャンヌ・ダルク」(Bienheureuse Jeanne d'Arc) とフランス語で書かれ、ジャンヌの生年である
1412年と、ジャンヌが火刑に処された年である 1431年のふたつの年号が内側に記されています。
メダイの裏面にはオリーヴと十字架の組み合わせを中心にして、これを囲むように、フルール・ド・リスをあしらった盾とオリフラム(軍旗)、及び殉教者の象徴であるナツメヤシの葉が配置されています。これらすべては雲の上、すなわち天上界に置かれています。
第一次世界大戦の開戦前夜、フランス国民は後に「フランスの守護聖人」とされる少女ジャンヌの列福を、国を挙げて歓迎しました。このメダイは時代の空気をよく映し、当時の状況の証しとなっています。
本品はおよそ百年前にフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず極めて良好な保存状態です。最も突出した部分であるジャンヌの側頭部においても、柔らかな髪の流れは十分に判別できます。商品写真は実物の面積を数十倍から百倍以上に拡大していますので、非常に小さな疵(きず)がよく見えますが、肉眼で実物を見るとたいへん美しく、お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。
本体価格 11,800円 販売終了 SOLD
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
聖ジャンヌ・ダルクのメダイ 商品種別表示インデックスに戻る
天使と諸聖人のメダイ 一覧表示インデックスに戻る
天使と諸聖人のメダイ 商品種別表示インデックスに移動する
メダイ 商品種別表示インデックスに移動する
キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する
アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する
Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS