一方の面にアッシジの聖フランチェスコを、もう一方の面にパドヴァの聖アントニウスを、それぞれ浮き彫りにしたフランシスコ会のメダイ。ブロンズを用いて鋳造されています。
本品の制作時期は、ヨーロッパ史と日本史のいずれにおいても近世初期に当たる十六世紀、わが国で言えば戦国期から安土桃山期頃です。自分が明日をも知れぬ身の上であることを、誰もが日々実感していたこの時代に、純然たる信心具として作られた本品には、神への叫びにも似た真摯な祈りが籠められています。
メダイの一方の面には、胸に手を当て、天を見上げて祈るアッシジの聖フランチェスコ (San Francesco d'Assisi, 1182 - 1226) を浮き彫りにしています。メダイに刻まれるフランチェスコ像にはさまざまなタイプがありますが、本品のフランチェスコ像は円形画面が許すスペースを最大限に使用した構図で、聖人の胸部から上を力強く大胆な浮き彫りで表しています。フランチェスコを取り巻くように、執り成しを求める祈りの言葉がラテン語で刻まれています。
SANCTE FRANCISCE, ORA PRO NOBIS. 聖フランチェスコよ、我らのために祈り給え。
本品はフランスにあったものですが、十九世紀半ば以降のフランス製メダイと比べると、品物が持つ雰囲気は大きく異なります。直径は 21.8ミリメートルで、後世のメダイに比べてとりわけ大きくはありません。しかしながら本体の厚さは最大
4.1ミリメートルに達し、浮き彫りの突出も大きく、測定値以上のボリュームを感じます。重量は百円硬貨と五百円硬貨の中間に相当する 5.8グラムで、手に取ると心地よい重みを感じます。
東京国立博物館には、本品に類した作りのメダイが何点か収蔵されています。それらは福知山城(京都府福知山市)の堡内で発掘されたもの、及び長崎奉行所宗門蔵に保管されていたものです。
福知山城主小野木重次は関ケ原の戦いで豊臣方に付き、徳川の勝利が確定した後、細川忠興(細川ガラシャの夫)によって城を攻められ、自刃させられました。小野木重次の家臣には多くのキリシタンがいたと思われ、城内からは多数のメダイやロザリオが発掘されています。小野木重次の妻もキリシタンでした。
(上) 日本二十六聖人の列聖カニヴェ 116 x 75 mm フランス 1862年 当店の商品です。
キリシタン禁制がわが国で厳格に実施されるようになったのは十六世紀の末で、1597年12月19日には豊臣秀吉の命により、日本二十六聖人が信仰を理由に長崎で処刑されています。長崎奉行所が保管していたメダイは長崎地方のキリシタンから没収したものですが、これらは古い作例と新しい作例に二分され、二群は一見して判別できます。制作年代が新しいメダイは十九世紀のフランス製で、幕末に行われたキリシタン取り締まりの際に没収された信心具の一部です。これに対して古いメダイはわが国でキリスト教信仰が禁じられていなかった時代にヨーロッパから渡来したものであり、すべて十六世紀の作例です。
もう一方の面には、祈祷の際に幼子イエスを幻視するパドヴァの聖アントニウス (Sant'Antonio di Padova, 1195 - 1231) を浮き彫りで表しています。アントニウスは開いた祈祷書を手に持ち、祈祷書上に出現した幼子と親しく交感しています。アントニウスを幼子イエスを取り巻くように、聖人に執り成しを求める祈りの言葉がラテン語で刻まれています。
SANCTE ANTONIE, ORA PRO NOBIS. 聖アントニウスよ、我らのために祈り給え。
十六世紀のメダイは現代人の目がら見れば大きな芸術的価値がありますが、当時のメダイユ彫刻家はこれらの品物を美術品・芸術品としてではなく、純然たる信心具として作っています。それだけに却っていっそう、当時の人々の真摯な祈りがひしひしと感じられます。
本品の両面には祈りの言葉が刻まれています。十六世紀の人々は聖人たちを通してどんなことを神に祈ったのか考えてみましょう。
ヨーロッパの十六世紀は宗教改革と宗教戦争の時代でした。カトリックとプロテスタントが互いに相手を「異端」「悪魔の手先」と攻撃し、富裕層を中心に善良な市民たちが魔術師や魔女として生きながら焼かれ、ときに大規模な殺戮も起こりました。黒死病や天然痘、麦角病なども、当時の人々には病気の原因が知られないまま、相変わらず多くの命を奪っていました。天候の異変やそれによる飢饉、自然災害に対しても、人々はまったく無防備でした。
ひるがえって日本では、応仁の乱(1467 - 77年)をきっかけに、西日本全体が戦国の世となりました。武人たちは戦に次ぐ戦で、命をいつ何時落とすか分からない状況でした。病気や飢饉、自然災害に対して誰もが無防備であったことも、ヨーロッパと同様でした。またわが国でメダイを持っていたのはキリシタンですが、十六世紀末頃には本格的なキリシタン迫害が開始されました。
自然災害や事故、戦争等にいつ何時巻き込まれるか分からないのは、現代人とて同じことです。犯罪被害にも遭いますし、病気にも罹ります。しかしながら十六世紀の人々は、ヨーロッパにおいても日本においても、現代とは比較にならない大きな不安の中で生きていたはずです。自分が明日をも知れぬ身の上であることを、誰もが日々実感していた時代に、本品は美術品でもジュエリーでもなく、純然たる信心具として作られました。「聖フランチェスコよ、我らのために祈り給え」「聖アントニウスよ、我らのために祈り給え」と執り成しを求める祈りには、命がけの訴えが有する迫真性を感じます。本品に刻まれた祈りは血の通わない決まり文句ではなく、定型化された意匠として考え無しに書かれているのでもなく、真摯な気持ちを伴った心底からの祈りです。
本品の上部にある環状部分は、長く突出した形状も、取り付けられた方向も、後世のメダイと異なります。開口部の直径はおよそ 1.5ミリメートルで、細めのチェーンを使うことが可能です。ただしチェーンを通すには、端の金具をいったん外す必要があります。当店にてチェーンを用意することも可能ですし、チェーンの代わりに革紐等を使用してもよいでしょう。実際のところ、本品が作られた十六世紀当時、人々は貴金属製の細いチェーンなど所有しておらず、メダイは環に革紐などを通して身に着けていました。
本品は四百年以上前に制作されたものです。写真ではあまり綺麗に見えませんが、実物は褐色と緑青(ろくしょう)色の重厚なパティナ(古色)に被われ、真に古い物のみが獲得する美をまとっています。特筆すべき問題は何もありません。
本体価格 35,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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