二十世紀半ばのイタリアで製作された聖フランチェスカ・ロマーナ(ローマの聖フランチェスカ Santa Francesca Romana, 1384 - 1440)のメダイ。聖フランチェスカ・ロマーナは教会大分裂の時代に生きたローマ貴族の女性で、深い信仰に基づく献身的な慈善の業で知られます。
一方の面には、守護天使を伴う聖フランチェスカ・ロマーナの全身像を浮き彫りにしています。本品の浮き彫りにおいてフランチェスカが手に持っている本は、聖フランチェスカ・ロマーナ在俗奉献者会(伊
Le Oblate di Santa Francesca Romana 羅 CONGREGATIO OBLATARUM TURRIS SPECULORUM)の会則です。この本はフランチェスカが奉献者会の創設であることを表します。フランチェスカは本を開いて世の人々に会則を示し、修道誓願を立てない俗人であっても、真摯な信仰に日々を生きることはできると語りかけています。
聖女の足元のローマ数字は 1851年を表します。筆者(広川)はこの年号について詳しいことを知らないのですが、ローマのサンタ・マリア・ノヴァ教会(サンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会)、同じくローマのサンタ・フランチェスカ・ロマーナ・ア・ポンテ・ロット教会、あるいは他の町のサンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会にとって、区切りとなった年を表すと思われます。
(上) Artemisia Gentileschi (1593 - c. 1656), "Giuditta che decapita Oloferne", 1612/13, olio su tela, 158,8 cm × 125,5 cm, Museo Capodimonte, Napoli
聖女と天使を取り巻いて、「ローマの民の誉れ、聖フランチェスカ・ロマーナ」(羅 SANCTA FRANCISCA ROMANA, HONORIFICENTIA
POPULI SUI)と刻まれています。メダイでは "POPOLI" となっていますが、これはイタリア語の影響で "POPULI"
が誤記されたものです。
「民の誉れ」(羅 HONORIFICENTIA POPULI)という句は、無原罪の御宿り(聖母マリア)への祈りであるトータ・プルクラ・エス(羅 TOTA PULCHRA ES 御身はすべてが美しくあり給う)にも出てきますが、もともとは旧約聖書の第二正典「ユディト書」十五章九節に基づきます。「ユディト書」はアッシリアに包囲された町ベトリアが、美しい寡婦ユディトのおかげで救われる物語です。ユディトは敵将ホロフェルネスの寝首を掻いてべトリアに戻り、ベトリアは混乱に陥ったアッシリア軍を打ち破りました。「ユディト書」十五章九節では、大祭司と長老たちがユディトの功績を祝福します。ラテン語(ノヴァ・ヴルガタ)及び日本語により、「ユディト書」十五章九節を引用いたします。日本語訳は筆者(広川)によります。
Et, ut exiit ad illos Iudith, benedixerunt simul eam omnes et dixerunt ad illam: "Tu exaltatio Ierusalem, tu gloria magna Israel, tu laus magna generis nostri." | ユディト出(い)で来たれば、皆揃ひて彼(ユディト)を祝福して曰(い)はく、「汝ヱルサレムの喜びにして、イスラエルの大いなる栄光なり。汝、我らが種族の大いなる誉れなり。」 |
敵将ホロフェルネスの寝首を掻いた美女ユディトは、蛇の頭を踏み砕く「無原罪の御宿り」の前表です。
「ユディト書」十五章九節において、大祭司と長老たちは、敵将の首を取ったユディトを、「汝ヱルサレムの喜びにして、イスラエルの大いなる栄光なり。汝、我らが種族の大いなる誉れなり」と讃えています。本品メダイの銘はアッシリア軍からベトリアの町を守ったユディトに譬えて、ペストからローマの町を守る聖女フランチェスカ・ロマーナを、ローマの民の誉れ(羅HONORIFICENTIA
POPULI SUI)と讃えています。貧者と病者の救恤に心血を注いだフランチェスカ・ロマーナはキリスト者の模範であり、その点でもローマの民の誉れであるといえます。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品は二十世紀中頃のイタリアで制作された作品で、より古い時代の作品に比べると細部の単純化が進んでいますが、それでも人物の顔は直径一ミリメートルの円内にほぼ収まります。聖女の衣の流れるような襞や、守護天使の手、翼の羽毛などの細部も、たいへん丁寧に彫られています。
もう一方の面にはフランチェスカ・ロマーナと幼い頃からかかわりが深かったローマの教会、サンタ・マリア・ノヴァの聖母子像が浮き彫りにされています。この聖母子はサンタ・マリア・ノヴァ聖堂内陣のモザイク画で、使徒ヤコブ、ヨハネ、ペトロ、アンドレアスに囲まれています。
フランチェスカは子供の頃からサンタ・マリア・ノヴァ教会のベネディクト会士の霊的指導を受け、1425年にマリア奉献者会を創始した際も、奉献者会の本拠をサンタ・マリア・ノヴァに置きました。マリア奉献者会は後に聖フランチェスカ・ロマーナ在俗奉献者会となり、サンタ・マリア・ノヴァ教会はサンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会と呼ばれるようになりました。
聖母子を囲むラテン語は "D. N. TIT." の部分が略記されていますが、"D. N." はおそらく
"DOMINUS NOSTER"(私たちの主)でしょうから、"TIT." を "TITULUS"
と解すると、次のように読めます。
DOMINUS NOSTER SANCTÆ MARIÆ NOVÆ TITULUS (EST) 我等が主こそ、サンタ・マリア・ノヴァ教会のティトゥルスなれ。
"SANCTÆ MARIÆ NOVÆ" は属格と同形ですが、この場合は所属を表す与格でえしょう。なお "D.
N." を "DOMINA NOSTRA" と解することもでき、その場合は次のように読めます。
DOMINA NOSTRA SANCTÆ MARIÆ NOVÆ TITULUS (EST) 聖母マリアこそ、サンタ・マリア・ノヴァ教会のティトゥルスなれ。
教会法でいう "TITULUS" とは、サンタ・マリア・ノヴァをはじめ、ローマにある幾つかの教会に関して、名義上の主任司祭を務める枢機卿のことです。ローマ・カトリックの司祭は男性に限られますから、聖母マリアをこの意味でティトゥルスと呼ぶのは違和感がありますが、ラテン語の一般名詞ティトゥルスは称号、名義という意味であり、ティトゥルスをこの意味に解すれば、"D.
N." はむしろ聖母マリアを指すことになります。
"D. N." を "DOMINUS NOSTER" と読むか "DOMINA NOSTRA"
と読むか迷いましたが、後者の読みは同語反復的で実質的な意味が無いこと、この面の浮き彫りで幼子イエスが左手に巻物を持っており、これが聖フランチェスカ・ロマーナ在俗奉献者会に対する認可状と見えることから、前者の読みを採りました。
この面のメダイ最下部にある「ローマエ」(羅 ROMÆ)は、ローマ(羅 ROMA)の地格(locative)です。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。この面の聖母は半身像で、もう片面のフランチェスカと天使よりも大きく表現されているとはいえ、母子の顔は直径二ミリメートル程度しかありません。聖母の左腕の下に、メダイユ彫刻家のサイン(SJ)が彫られています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は数十年前のイタリアで制作された真正のアンティーク品ですが、おそらく未販売品と思われます。古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好であり、突出部分にも摩滅は認められません。ペンダントとして使うには大きすぎず、小さすぎず、日々ご愛用いただける実用的な工芸品です。