十九世紀中頃または後半のフランスで制作された銀製メダイ。フランチェスコ会の修道服に身を包んだふたりの聖人、アッシジの聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニウスをあしらいます。写真では分かりづらいですが、フランスにおいて純度八百パーミル(八十パーセント)の銀を示す蟹のポワンソン(仏 poinçon 貴金属の検質印)が、メダイ上部の突出部分に刻印されています。
本品の浮き彫りは打刻によりますが、人体の丸みや衣の襞は優れた立体感を伴って表現され、鋳造されたメダイユに劣らない名品です。
一方の面には、クルシフィクスを胸に抱いて祈るアッシジの聖フランチェスコが浅浮き彫りで表されています。十字架上のイエスと同じ位置に聖痕を受けた聖人は、地上に身を置きながらも神とキリストにのみ心を向け、魂を天上に憩わせています。穏やかな表情の口許に浮かぶ微笑みは、聖人の魂が神への愛と親しみに満たされていることを物語っています。
茶色の粗衣をベルト代わりのロープで縛ったフランチェスコは、上体をわずかに前に屈め、クルシフィクスに身を近寄せています。ひたすらに神のみを愛し、神におのずから親しく寄り添う聖人の姿勢は、会堂や往来で祈るパリサイ人の大げさな身ぶり(「マタイによる福音書」
6: 5 ff.) と、どれほど大きく異なることでしょうか。
フランチェスコの前には祈祷書と頭骨が置かれています。祈祷書は祈りを象徴します。頭骨はメメントー・モリーの典型であるとともに、古いクルシフィクスの下部に取り付けられることのある「人祖アダムの骨」を連想させます。「生命樹」ともいうべき十字架と、「罪と死」を象徴する頭骨あるいはアダムの骨の間には、あたかもキアロスクーロ(伊 chiaroscuro 明暗法)のように、聖と罪、生命と死の劇的な対比が描き出されています。
聖フランチェスコに執り成しを求める祈りが、周囲にフランス語で書かれています。
SAINT FRANÇOIS D'ASSISE, PRIEZ POUR NOUS. アッシジの聖フランチェスコよ、我らのために祈り給え。
上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。フランチェスコの顔の高さは三ミリメートルにも足りませんが、彫刻の出来栄えは大型の浮き彫り作品と比べても、まったく見劣りがしません。本品を制作したグラヴール(仏
graveur メダイユ彫刻家)は、優れた芸術的才能と職人的手腕により、神のみを見つめるフランチェスコの、目には見えない信仰心を見事に形象化しています。
もう片面には祈祷の際に幼子イエスの幻視を体験するパドヴァの聖アントニウスが、浮き彫りで表されています。祈祷書から現れた幼子イエスは、全身に親しみを表して聖アントニウスへと歩み寄ろうとしています。聖アントニウスは左手に白百合を持ち、右腕を伸ばして、わが子を慈しむかのように幼子を抱き寄せています。イエスの目をまっすぐに見るアントニウスは、神とキリストへの愛のみに生きています。
聖フランチェスコは心のたいへん優しい人で、小鳥に説教し、町の人々に恐れられ嫌われた狼の立場に立って人々と狼の仲立ちをしたと伝えられていますが、聖フランチェスコを慕った聖アントニウスも同様に優しく、生き物を愛し、魚に説教したと言われています。このメダイに刻まれた聖アントニウスの表情にも、神の愛の反映、限りなく優しい愛情を読み取ることができます。
アントニウスは1231年6月13日にパドヴァ近郊アルチェッラ(Arcella)の聖クララ会修道院で亡くなりました。この日、町の子供たちは泣き、聖人ために地上に降りた天使たちによって、町のすべての教会の鐘がひとりでに鳴ったと伝えられています。聖アントニウスが死んだとき、パドヴァとアルチェッラのすべての教会の鐘は天使によらずとも鳴ったでしょうし、子供たちが優しいアントニウスとの別れを悲しんで泣いたのも事実でしょう。メダイの周囲には、聖アントニウスに執り成しを求める祈りがフランス語で書かれています。
SAINT ANTOINE DE PADOUE, PRIEZ POUR NOUS. パドヴァの聖アントニウスよ、我らのために祈り給え。
上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。こちらの面の浮き彫りも細密且つ丁寧で、如何なる部分もおろそかにされていません。聖アントニウスの表情と手の仕草には、神に対するひたむきな愛が溢れています。
たいていの十九世紀のメダイは、スクリュー・プレスで打刻して作られています。スクリュー・プレスによる打刻は硬貨の製造にも使われた方法で、作業効率は上がりますが、メダイの物理的立体性には限度があり、図柄も簡易になりがちです。スクリュー・プレスで打刻したからといって、図柄が簡易にならなければならない必然性はありませんが、鋳造によるメダイと打刻によるメダイを比べると、前者の方が芸術性に優れる場合がほとんどです。その理由は、おそらく、打刻によるメダイには「不思議のメダイ」や「ルルドのメダイ」のように大量に作られるものが多く、貨幣彫刻に似た感覚で、簡易な表現となる場合が多かったせいと思われます。
しかしながら本品の場合、打刻した作例であるにも関わらず、浮き彫りは非常に丁寧で、まるで生身の聖人たちを見ているかのような錯覚さえも覚えます。打刻した作品であるゆえに物理的な突出は少ないですが、メダイユ彫刻家が「物理的な突出に頼らずに三次元性を表現する」ことは優れた技量と芸術性の証しです。フランスのメダイユ彫刻は十九世紀後半に非常な発達を成し遂げましたが、本品は物理的な突出に頼らずに三次元性を表現する優れた作例であり、この時代のフランス美術のみが為し得た彫刻表現であるといえます。
本品は百数十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い品物であるにもかかわらず保存状態は良好で、細部までよく残っています。
銀は信心具に使用される最高級の素材です。十九世紀のフランスでは貧富の差が非常に大きく、普通の人は本品のような銀無垢メダイをなかなか購入できませんでした。特別な品物であった本品は大切に保管され、制作当時の状態のまま現在に伝えられています。