サンタンヌ・ドーレ ブルターニュの聖アンナとバシリカ 六角形の小メダイ 18.0 x 11.6 mm
突出部分を含むサイズ 縦 18.0 x 横 11.6 mm
フランス 1930年代頃
聖アンナと娘マリアのメダイ。六角形の珍しい形をしています。
母娘はともに戴冠し、母アンナは中央に、娘マリアは母の左(向かって右)に立っています。母が右、子が左に並ぶ図像は、聖母マリアと幼子イエズスの聖母子像と共通しています。母娘の周囲には、聖アンナに執り成しを求める祈りの言葉がフランス語で記されています。
Sainte Anne d'Auray, priez pour nous. オーレの聖アンナ(サンタンヌ・ドーレ)、我らのために祈りたまえ。
「サンタンヌ・ドーレ」(Sante-Anne-d'Auray) とはブルターニュ地域圏モルビアン県の村の名前、及びこの村にある同名のバシリカの名前です。サンタンヌ・ドーレのバシリカは、ブルターニュにおいて篤く崇敬される聖アンナの大巡礼地です。
裏面には西側から見たサンタンヌ・ドーレのバシリカが、直径わずか11ミリメートルの円内に、細密彫刻によって浮き彫りにされています。西側正面は高さ6ミリメートルしかありませんが、薔薇窓、タンパン、三つの入り口等の細部が判別できます。「バジリク・ド・サンタンヌ・ドーレ」(Basilique
de Sainte Anne d'Auray サンタンヌ・ドーレのバシリカ)の文字が、バシリカの浮き彫りを取り囲んでいます。
伝承によると、聖アンナは 1624年、当地の農夫イヴ・ニコラジク (Yves Nicolazic, 1591 - 1645) に対して何度も出現し、自分(聖アンナ)にゆかりの地である彼の村に、聖アンナに献じた礼拝堂を建設することを求めました。1625年3月7日、自身に対する聖アンナの出現を証明するために、ニコラジクは大勢の村人が見守る場で地中から一体の像を掘り出します。この像は後に当地のカプチン会の修道士たちによって手が加えられて聖アンナの像として認知されるようになり、やがてヴァンヌ司教は当地における聖アンナ崇敬と礼拝堂建設を許可しました。 礼拝堂が建てられたニコラジクの村はサン=タンヌ=ドーレ
(Sainte-Anne-d'Auray) と呼ばれて、聖アンナはブルターニュの守護聖人となりました。この地で毎年行われるパルドン祭はブルターニュのパルドン祭のなかでも最大の規模で、ルルド、リジューに次ぐフランス第三の巡礼地となっています。
(下・参考画像) ブルターニュのパルドン祭 1890年頃の彩色フォトグラヴュア 画面サイズ 23 x 18 cm 当店の商品です。
本品が制作された1930年代は、フランスとドイツの対立が再び激化し、暗雲がヨーロッパを被い始めた時代です。妊産婦と子供の守護聖人である聖アンナが、このメダイの持ち主と子供たちを、間もなく起こる第二次世界大戦の惨禍から守り給うたことを、願わずにはいられません。
4,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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