キリストの聖顔を大きく浮き彫りにしたフランスのプラケット。プラケット(仏 une plaquette)とは四角いメダイのことで、本品は飾り紐で吊るした長方形の幡(はた)を模ります。紐上部の環にフランスの文字(FRANCE)、及びメダイユ工房の印が刻まれています。6.6グラムの重量は五百円硬貨に近く、手に取ると心地よい重みを感じます。
一方の面には肩から上部分の聖顔を浮き彫りにし、フランス語で次のように記します。
SAINTE FACE DE JÉSUS, copie du saint suaire de Turin イエスの聖顔 トリノの聖骸布を写したもの
受難するイエスの顔を写し取った布はヴェロニカの布(きぬ)と呼ばれ、聖遺物としてあちこちの教会に安置されています。ヴェロニカの布に写るイエスの顔は聖顔、フランス語でラ・サント・ファス(仏 la Sainte
Face)と呼ばれます。聖顔は救い主が被り給うた苦しみと悲しみの視覚化であり、見る者の良心に訴えかけて、救い主に対する償いの業を引き出します。
トリノの聖骸布は全身像であるゆえに、ヴェロニカの布ではありません。しかしながら本品の浮き彫りは救い主の顔部分を切り取り、ヴェロニカの布と同様の聖顔像としています。
各地に遺るヴェロニカの布は、激しい劣化変質ゆえにほとんど真っ黒で判別不可能であったり、人の手で描かれたことが一見して明らかであったりし、十全の力で観る者の感情に訴えかけるとはいえません。これに対してトリノの聖骸布は、人物像が比較的鮮明です。本品プラケットは聖骸布の不鮮明な部分を彫刻家の手で補い、さらに立体化しているゆえに、大きめの浮き彫りであることも相俟って、観る者の胸に迫る聖顔像となっています。
イエスを十字架で苦しめたことを償おうとする信心において、聖顔への崇敬は大きな意味を持ちます。
本品はフランスで制作された品物です。1864年9月18日、聖心の信仰で知られるフランスの修道女マルグリット=マリがローマで列福され、1867年8月にはその第九十八書簡が公開されました。1871年、普仏戦争の敗戦後に起きたコミューンの混乱を経て、フランスの政体は第三共和政に変わりましたが、悔悛のガリア(羅 Gallia pœnitens/pænitens)の思想は信仰深い人々の心に訴求し続け、聖顔と聖心の信心はますます力を持ちました。
(上) 聖務日課書を持つリジューの聖テレーズ。向かって右のページに、ヴェロニカの布が刷られています。この聖遺物はヴァティカンのサン・ピエトロのバシリカに安置されています。
上の写真は聖務日課書を持つリジューの聖テレーズで、1897年6月7日に撮影されました。テレーズは聖務日課書(修道者用の祈祷書)の挿絵を示しており、左側のページには聖心を示す幼子イエス像、右側のページにはヴェロニカの布が見えます。
聖務日課書に載っているヴェロニカの布はヴァティカンの聖遺物で、本品メダイに彫られた聖顔とは意匠が異なりますが、聖顔の聖テレーズ(仏 Ste.
Thérèse de la Sainte Face)と名乗った聖女が聖心と聖顔を示す写真は、フランスの信仰深いカトリック信徒を取り巻く精神的雰囲気を分かりやすく示しています。なおテレーズは被昇天の聖母、ジャンヌ・ダルクとともにフランスの守護聖人のひとりです。
プラケットのもう一面には次の言葉がフランス語で記されています。
Fais briller sur moi ta face et aie pitié de moi. | わが上に御顔を輝かせ、われを憐みたまへ。 | |||
(Psaume) | (詩篇) | |||
御顔を輝かせるとは王が拝謁を許すという意味で、これは臣下にとってたいへんな名誉です。聖書においてこの表現は王なる神が人を顧み、恵みを下さるという意味で使われ、「詩篇」を中心に頻出します。幾つかの用例を新共同訳で引用します。最後は「民数記」の例です。 | ||||
あなたの僕(しもべ)に御顔の光を注ぎ、慈しみ深く、わたしをお救いください。(詩篇 31篇17節) | ||||
神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。(詩篇 67篇2節) | ||||
神よ、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください。(詩篇 80篇4節) | ||||
万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください。(詩篇 80篇8節) | ||||
万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください。(詩篇 80篇20節) | ||||
御顔の光をあなたの僕(しもべ)の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。(詩篇 119篇135節) | ||||
主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。 (民数記 6章25節) |
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一まわり大きなサイズに感じられます。
本品は数十年前のフランスで制作された品物で、美しい古色に覆われています。聖顔の浮き彫りは立体的ですが。突出部分にも摩滅はほとんど見られず、極めて良好な保存状態を保っています。特筆すべき問題は何もありません。
メダイを日々愛用すると、裏面が肌や服地と擦れ合って摩滅します。しかるに本品の裏面には文字しか書かれていませんし、文字の高さも均一で摩滅しにくい意匠となっています。浮き彫りの聖顔はあたかも生身の救い主を相まみえるかのような迫真性を有し、観る者の心を揺さぶる作品です。