次の四枚は、イエスの聖心の面を撮影した写真。










次の五枚は、マリアの御心の面を撮影した写真。




















極稀少品 アドリアン・ヴァシェット作 《イエスの聖心とマリアの御心の銀無垢メダイ 28.8 x 23.5 mm》 大きく厚みのある心臓型 有名彫刻家による美術館水準の名品 フランス 1830年代


上部の突出を含むサイズ 縦 28.8 x 横 23.5 mm  最大の厚さ 2.0 mm  重量 5.1 g
・ラビオ



 一方の面にはイエスの聖心を、もう一方の面には聖母の御心を、それぞれ立体的に表した銀製メダイ。パリのメダイユ彫刻家アドリアン・ヴァシェット(Adrien Vachette, 1753 - 1839)が 1830年代頃に制作した作品で、メダイ自体も心臓を模(かたど)る珍しい作例です。縦横のサイズは 28.8 x 23.5ミリメートルで、五百円硬貨に近い大きめのサイズです。





 メダイの一方の面には、キリストの聖心を浮き彫りにしています。聖心は価値無き人間を愛し給う神の愛の象徴であり、心臓の上部から噴き上がる炎は人智を絶する強烈な愛を象(かたど)ります。デュ・アン・モワ(神は我が内におられる)との銘が、聖心に大きく書かれています。またクール・ド・ジェジュ(イエスの心臓)の銘が、聖心を取り巻いています。


 ラテン語の直系の子孫を、ロマンス語といいます。フランス語はロマンス語のひとつです。

 古典ラテン語には元々大文字しかありませんでした。小文字はカロリング時代の八世紀に発明されたものです。古典ラテン語の大文字 I(イー)はカロリング小文字で二種類( i と j )に分化し、その後大文字 J が作られました。古典ラテン語の大文字 V(ウー)は三種類のカロリング小文字( u と v と w )に分化し、その後大文字 V と W が作られました。





 本品の銘はすべて大文字のみで記されていますが、これは古典ラテン語のような趣があり、たいへんクラシカルな印象を与えます。

 デュ・アン・モワ(仏 DIEV EN MOY.)を現代フランス語の綴りで書けば "Dieu en moi." ですが、本品では DIEV の綴りがラテン語式であり、MOY も中世もしくは近世式に綴られています。

 クール・ド・ジェジュ(仏 COEVR DE IESVS.)を現代フランス語の綴りで書けば "Cœur de Jésus" ですが、本品では u の代わりに V を使い、また古典ラテン語時代に無かった合字 Œ とアクサン・テギュの使用を避けています。

 さらに現代フランス語では de の直後に母音が続くと必ずエリジオンが起こりますが、本品では DE と IESVS がエリジオン無しに隣接しています。本品の IESVS はラテン語イエースースではなくフランス語ジェジュですから、エリジオンが起こらないのは当然とも言えます。しかしながら DE の後にスペースを空けて母音 I が続く書記法は、やはりラテン語を思い起こさせます。





 本品が有する二面のうち、イエスの聖心を表す面は、何らかの理由で最下部が削れています。そのせいで読み取りにくくなっていますが、ヴァシェット(VACHETTE)の文字が辛うじて判読できます。

 アドリアン・ヴァシェットは十九世紀前半のパリで作品を制作した金銀細工師で、不思議のメダイを初めて制作したことで有名です。ヴァシェットは進取の気風に富む芸術家で、鼈甲を素材にメダイを作ったことでも知られています。本品の素材は鼈甲ではなく銀ですが、心臓型(ハート形)という大胆な造形であり、さらに十九世紀の銀無垢メダイとしては異例の厚さです。

 十九世紀のフランスには、多数のメダイユ工房がありました。ヴァシェットの工房はその中でも最も評価が高いですが、アドリアン・ヴァシェットの作品はそもそもの制作数が少ない上に、美術収集家からの需要が大きく、入手はほぼ不可能です。筆者(広川)は長年に亙ってフランスのアンティークメダイを取り扱ってきましたが、ヴァシェットのメダイを目にするのは本品でようやく二点目です。不思議のメダイは数百点が作られたのでインターネットでも写真を目にしますが、本品と同じメダイはインターネット上でも見つけることができず、二度と手に入らない品物であることが分かります。





 聖心の上部からは、人智を絶する強さの愛が、激しい炎となって噴き出しています。心臓は伝統的に心の座、また愛の座であると考えられてきました。激しい愛は燃え盛る火に喩えられ、その比喩は現代人にも容易に理解可能です。

 人間が有する魂(ψυχή, ANIMA, âme, soul)と霊(πνεῦμα, SPIRITUS, esprit, spirit)のうち、宗教心を司るのは霊であると考えられています。「詩篇」五十一篇十九節、及び「エゼキエル書」三十六章二十六節において、心臓を霊と同一視する修辞的表現が為されています。これらの箇所で新共同訳が「心」と訳している語(希 καρδία)は、心臓が本義です。

 「詩篇」五十一篇十九節と「エゼキエル書」三十六章二十六節を、コイネー・ギリシア語による七十人訳、及び新共同訳によって引用します。

         七十人訳    新共同訳
             
     「詩篇」 51: 19    θυσία τῷ Θεῷ πνεῦμα συντετριμμένον, καρδίαν συντετριμμένηνκαὶ τεταπεινωμένην ὁ Θεὸς οὐκ ἐξουδενώσει. (PSALMI L 19)    しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。
             
     「エゼキエル書」 36: 26    καὶ δώσω ὑμῖν καρδίαν καινὴν καὶ πνεῦμα καινὸν δώσω ἐν ὑμῖν καὶ ἀφελῶ τὴν καρδίαν τὴν λιθίνην ἐκ τῆς σαρκὸς ὑμῶν καὶ δώσω ὑμῖν καρδίαν σαρκίνην. (Ezechielis XXXVI 26)    わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。






 本品のもう一方の面には、マリアの御心が浮き彫りにされています。モワ・アン・デュ(仏 MOY EN DIEU 私は神の内にある)との銘が、聖母の御心に大きく書かれています。またクール・ド・マリ(仏 COEUR DE MARIE マリアの心臓)の銘が、聖母の御心を取り巻いています。

 モワ・アン・デュ(私は神の内にある)は、使徒パウロが「ガラテヤ書」二章二十節に書いた言葉の間接的引用です。同所のラテン語テキストをヴルガタ訳で、日本語テキストを新共同訳で引用します。

     vivo autem iam non ego vivit vero in me Christus quod autem nunc vivo in carne in fide vivo Filii Dei qui dilexit me et tradidit se ipsum pro me    生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を捧げられた神の子に対する信仰によるものです。






 火は近付くものを加熱し、ひいては燃え移ります。本品の浮き彫りにおいて、イエスの聖心から噴き上がる炎をマリアの御心から噴き上がる炎と比べると、イエスの炎がいっそう大きく燃えていることが分かります。イエスの聖心から噴き上がる炎は、神の愛の象(かたど)りです。神の愛は信仰の座であるマリアの心臓を加熱し、マリアの心臓に燃え移ります。その結果マリアの心臓も炎を上げ始めているのです。






 トマス・アクィナスは「スンマ・テオロギアエ」第1部108問5項 「天使たちの位階には適切な名が付けられているか」("Utrum ordines angelorum convenienter nominentur.") セラフについて論じ、神の愛を炎に喩えています。この項の異論五に対する回答の前半を、以下に示します。ラテン語テキストはレオニナ版、日本語訳は筆者(広川)によります。

    Ad quintum dicendum quod nomen Seraphim non imponitur tantum a caritate, sed a caritatis excessu, quem importat nomen ardoris vel incendii. Unde Dionysius, VII cap. Cael. Hier., exponit nomen Seraphim secundum proprietates ignis, in quo est excessus caliditatis.    第五の異論に対しては、次のように言われるべきである。セラフィムという名前は単なる愛ゆえに付けられたというよりも、愛の上昇ゆえに付けられているのである。熱さあるいは炎という名前は、その上昇を表すのである。ディオニシウスが「天上位階論」第七章において、熱の上昇を内に有するという火の属性に従って、セラフィムという名を解き明かしているのも、このことゆえである。
         
    In igne autem tria possumus considerare. Primo quidem, motum, qui est sursum, et qui est continuus. Per quod significatur quod indeclinabiliter moventur in Deum.
   ところで火に関しては三つの事柄を考察しうる。まず第一に、動き。火の動きは上方へと向かうものであり、また持続的である。この事実により、火が不可避的に神へと動かされることが示されている。
    Secundo vero, virtutem activam eius, quae est calidum. Quod quidem non simpliciter invenitur in igne, sed cum quadam acuitate, quia maxime est penetrativus in agendo, et pertingit usque ad minima; et iterum cum quodam superexcedenti fervore. Et per hoc significatur actio huiusmodi Angelorum, quam in subditos potenter exercent, eos in similem fervorem excitantes, et totaliter eos per incendium purgantes.    しかるに第二には、火が現実態において有する力、すなわち熱について考察される。熱は火のうちに単に内在するのみならず、外部のものに働きかける何らかの力を伴って見出される。というのは、火はその働きを為すときに、最高度に浸透的であり、最も小さなものどもにまで、一種の非常に強い熱を以って到達するからである。火が有するこのはたらきによって、この天使たち(セラフィム)が有するはたらきが示される。セラフィムはその力を及ぼしうる下位の対象に強力に働きかけ、それらを引き上げてセラフィムと同様の熱を帯びるようにし、炎によってそれらを完全に浄化するのである。
    Tertio consideratur in igne claritas eius. Et hoc significat quod huiusmodi Angeli in seipsis habent inextinguibilem lucem, et quod alios perfecte illuminant.    火に関して第三に考察されるのは、火が有する明るさである。このことが示すのは、セラフィムが自身のうちに消えることのない火を有しており、他の物どもを完全な仕方で照らすということである。


 「熱は火のうちに単に内在するのみならず、外部のものに働きかける何らかの力を伴って見出される。というのは、火はその働きを為すときに、最高度に浸透的であり、最も小さなものどもにまで、一種の非常に強い熱を以って到達するからである」(羅 Quod quidem non simpliciter invenitur in igne, sed cum quadam acuitate, quia maxime est penetrativus in agendo, et pertingit usque ad minima; et iterum cum quodam superexcedenti fervore.)という部分で、トマスは神の愛のペネトラティヴィタース(羅 penetrativitas 浸透性)を記述しています。神の愛は卓越的な浸透性を有するゆえに、あたかも火のように人の心に燃え移り、人の心を神への愛に燃え立たせます。





 火すなわち神の愛が有する浸透性に関連して、もう一つのテキストを挙げます。

 十字架の聖ヨハネ (San Juan de la Cruz, 1542 - 1591) による詩、「愛の活ける炎」("Llama de amor viva")を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。原テキストは美しい韻文ですが、私の和訳はスペイン語の意味を正確に日本語に移すことを主眼としたため、韻文になっていません。極力逐語的に訳しましたが、不自然な訳文にしないために、句の順番が原文通りでない部分がいくつかあります。なお第四連の "morar"は、カスティリア語の "quedar(se)", "permanecer" (とどまる)の意味です。

    Canciones del alma en la íntima comunicación,
de unión de amor de Dios.
神の愛の結びつきについて、
神との親しき対話のうちに、魂が歌った歌
     
    ¡Oh llama de amor viva,
que tiernamente hieres
de mi alma en el más profundo centro!
Pues ya no eres esquiva,
acaba ya, si quieres;
¡rompe la tela de este dulce encuentro!
愛の活ける炎よ。
わが魂の最も深き内奥で
優しく傷を負わせる御身よ。
いまや御身は近しき方となり給うたゆえ、
どうか御業を為してください。
この甘き出会いを妨げる柵を壊してください。
         
    ¡Oh cauterio suave!
¡Oh regalada llaga!
¡Oh mano blanda! ¡Oh toque delicado,
que a vida eterna sabe,
y toda deuda paga!
Matando. Muerte en vida la has trocado.
  やさしき焼き鏝(ごて)よ。
快き傷よ。
柔らかき手よ。かすかに触れる手よ。
永遠の生命を知り給い、
すべての負債を払い給う御方よ。
死を滅ぼし、死を生に換え給うた御方よ。
         
    ¡Oh lámparas de fuego,
en cuyos resplandores
las profundas cavernas del sentido,
que estaba oscuro y ciego,
con extraños primores
calor y luz dan junto a su Querido!
  火の燃えるランプよ。
暗く盲目であった感覚の
数々の深き洞(ほら)は、
ランプの輝きのうちに、愛する御方へと、
妙なるまでに美しく、
熱と光を放つのだ。
         
    ¡Cuán manso y amoroso
recuerdas en mi seno,
donde secretamente solo moras
y en tu aspirar sabroso,
de bien y gloria lleno,
cuán delicadamente me enamoras!
  御身はいかに穏やかで愛に満ちて、
わが胸のうちに目覚め給うことか。
御身はひとり密かにわが胸に住み給う。
善と栄光に満ち給う御身へと
甘美に憧れる心に住み給う。
いかに優しく、御身は我に愛を抱かせ給うことか。


 十字架の聖ヨハネは「愛の活ける炎」において、第一連と第二連では火の浸透性、第三連では火による照明、第四連では火の上昇性を比喩的な手掛かりとし、神が人を愛し給う愛を謳っています。十字架の聖ヨハネが神の愛を火に喩えて謳うとき、火の属性として取り上げられたこれら三つの属性は、トマスが火について論じた三つの属性と完全に一致しています。





 本品メダイの上部には、環を取り付けるための突出があります。この突出部分には、二つの小さなくぼみが見えます。向かって左はモネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Paris パリ造幣局)の検質印で、純度八百パーミル(八十パーセント)の銀を表します。向かって右は銀細工工房の刻印です。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 二十世紀初頭以前のヨーロッパは貧富の差が極端に大きく、富の大半が富裕層に集中していました。1910年のフランスにおいて、上位一パーセントの富裕層が富の七十パーセント近くを所有していました。富裕層の範囲を上位十パーセントに広げると、この階層が富の九割を独占し、残りの一割を九十パーセントの国民が分け合う状況でした。一部の富裕層以外は、全員が下層階級というように、社会が極端に二極化していたのです。

 本品が制作された十九世紀前半のフランスで、本品のように大きく分厚い銀無垢メダイを買うことができたのは、アドリアン・ヴァシェットの顧客層のように、ごく少数の富裕な人々に限られました。銀無垢メダイは 1830年代にも存在していましたが、大抵は小さなサイズである上にごく薄く作られており、本品のように贅沢な作りのものはありません。フランスにはメダイユや信心具専門のミュゼ(美術館、博物館)がいくつかありますが、本品は彫刻の出来栄え、保存状態のすばらしさに加え、稀少性の点でもミュゼ収蔵品の水準に達しています。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 54,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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