聖心への信心をテーマに、パリの銀細工師セザール・ブロンドー (César Blondeau) の工房で作られた銀製メダイ。本品が制作された
1875年は、フランスが普仏戦争とコミューンの内乱で受けた痛手から立ち直ろうとする時期にあたります。
一方の面にはイエス・キリストの立ち姿を表します。イエスの胸には愛に燃える聖心が眩(まばゆ)い光輝を放っています。イエスは両腕を大きく開き、人知を超えた無限の愛で罪びとを招いています。周囲には次の言葉がフランス語で記されています。
Sacré Cœur de Jésus, ayez pitié de nous. イエスの聖心よ、我らを憐れみたまえ。
イエスの足元の球体は全宇宙を象徴します。聖心のイエスが球体上に立つ構図は、イエスが全宇宙の主宰者であることを表すとともに、普仏戦争とコミューンの内戦が終わった後の世界が、憎しみではなく愛によって支配されるべきことを表しています。
足下に球体がある点でも、また万人を包み込む大きなマントを身に着けている点でも、本品のイエス像は典型的な聖母像との顕著な類似性を有します。聖母の役割は、神とイエスの義なる怒りの前に罪びとを執り成すことですが、本品のイエスは、聖母と同様に、限りない愛と優しさに溢れています。
(下・参考画像) 大きなマントの下に罪びとたちを庇(かば)う「慈悲の聖母」。ピエロ・デッラ・フランチェスカによる作例。 Piero della
Francesca, "Madonna della Misericordia", 1460 - 1462,
tempera e olio su tavola, 134 x 91 cm, Museo Civico, Sansepolcro
下の写真は「執り成し手なる聖母」をテーマに制作されたもので、「執り成し手なるマリアよ、我らのために祈り給え」(MARIA MEDIATRIX,
ORA PRO NOBIS) というラテン語の祈りが、マリアを囲むように刻まれています。大きなマントを身に着けて球体の上に立つ姿は、本品のイエス像とほぼ同一です。
(下・参考画像) 「執り成し手なる聖母」 フランスのメダイ 当店の販売済み商品
メダイの最下部には "1875" の年号が彫られています。1875年6月16日、モンマルトルのサクレ=クール教会が定礎されました。本品はイエスの聖心に奉献された新聖堂の定礎記念に制作されたものであることがわかります。
本品の彫刻は非常に細密です。上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。イエスの顔や手、衣から覗く足先などの各部は 1乃至 2ミリメートルほどのサイズですが、極めて正確に造形され、大型の浮き彫り彫刻にまったく引けを取らない出来栄えとなっています。
もう一方の面にはモンマルトルのサクレ=クールのバシリカが彫られ、周囲に「フランス国民の誓いを記念して モンマルトル」(Souvenir du vœu national - Montmartre)
と書かれています。「フランス国民の誓い」(vœu national) とは、「イエスの聖心を軽んじてフランスが犯した数々の罪を悔い、フランスを聖心に奉献する」「その印として、モンマルトルに聖心教会を建設する」という「悔悛のガリア」の誓いを指します。
こちらの面も驚くべき細密さのミニアチュール彫刻となっています。1875年は定礎の年、すなわち礎石が据えられて建設工事が始まった年であり、新聖堂はまったく姿を見せていませんが、メダイユ彫刻家は設計図に基づき、完成した聖堂の姿をメダイに彫り込んでいます。キリスト像の細かさと同様に、建物の各部は
1乃至 2ミリメートルほどのサイズで設計図に忠実に再現されています。
メダイ上部に突出した環状部分の付け根には、フランスにおいて銀(800シルバー)を示す「イノシシの頭」のポワンソン(poinçon 貴金属検質所が刻印する純度のマーク、ホールマーク)があります。またオルフェーヴル(orfèvre 金銀細工師)であるセザール・ブロンドーのマークは、「CとBの間に、星とフルール・ド・リス」です。本品上部の環には、これら二つのマークが重なるように刻印されています。
銀は信心具に使われる最も高級な素材ですが、高価であるゆえに、フランス社会全体が豊かでなかった19世紀に銀製メダイは少なく、少数ながら制作された作例も薄く小さいものがほとんどです。しかしながら本品はブロンズ製メダイと同様のサイズと厚みがあります。贅沢品である銀を惜しまずに使った本品の作りには、キリストの聖心に最高の捧げ物を奉献しようとする篤い信仰が籠められています。
本品は 140年前に製作された真正のアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好です。突出部分にも摩耗は無く、制作時の状態をそのまま保っています。浅浮き彫りであるにもかかわらず、新品同様であるために、文字と図柄も細部まで完全に判別できます。アンティーク工芸品としての美術的価値に加えて、「悔悛のガリア」の信仰に形を与えた貴重な歴史資料でもあります。