キリストの聖心に捧げる《サクレ=クール教会》をパリを見晴らすモンマルトルに建てるべく、フランス全土から喜捨を集めて工事が行われていた頃のメダイ。メダイ自体の様式、及び一方の面に打刻された建設途上の聖堂の形状から、1899年頃に作られた品物であることが分かります。
一方の面には球体上に立つイエス・キリストの姿を浮彫で表します。イエスの胸には愛に燃える聖心が眩(まばゆ)い光輝を放っています。イエスは両腕を大きく開き、人知を超えた無限の愛で罪びとを招いています。周囲には次の言葉がフランス語で記されています。
Sacré Cœur de Jésus, ayez pitié de nous. イエスの聖心よ、我らを憐れみたまえ。
キリスト教の象徴体系において、「空間の一点から等距離にある点の集合」である球は、神から発出する被造的世界を表します。本品の浮彫においても、イエスの足元の球体は全宇宙を象徴します。この球体には十字架」の印が付いています。十字架が付いた球体は「グロブス・クルーキゲル」(羅
GLOBUS CRUCIGER)といって、「神とキリストによる世界支配」を表します。十字架は神の愛を卓越的に象徴しますから、グロブス・クルーキゲルは「神の愛による世界支配」の象徴である、といっても構いません。
とりわけ本品の場合、両腕を水平に伸ばしたイエスはご自身の体によって十字架すなわち神の愛そのものを象(かたど)り、さらにその胸には聖心が燃えていますから、本品の浮彫は「神の愛による世界支配」を最も強調的に表現した作品といえます。
(上・参考画像) 大きなマントの下に罪びとたちを庇(かば)う「慈悲の聖母」。ピエロ・デッラ・フランチェスカによる作例。 Piero della
Francesca, "Madonna della Misericordia", 1460 - 1462,
tempera e olio su tavola, 134 x 91 cm, Museo Civico, Sansepolcro
本品に彫られたイエス像は、足下に球体がある点でも、また万人を包み込む大きなマントを身に着けている点でも、典型的な聖母像との顕著な類似性を有します。聖母の役割は、神とイエスの義なる怒りの前に罪びとを執り成すことですが、本品のイエスは、聖母と同様に、限りない愛と優しさに溢れています。
(上・参考画像) 「執り成し手なる聖母」 フランスのメダイ 当店の販売済み商品
上の写真は「執り成し手なる聖母」をテーマに制作されたもので、「執り成し手なるマリアよ、我らのために祈り給え」(MARIA MEDIATRIX, ORA PRO NOBIS) というラテン語の祈りが、マリアを囲むように刻まれています。大きなマントを身に着けて球体の上に立つ姿は、本品のイエス像とほぼ同一です。
聖母の執り成しに縋(すが)る人々の気持ちは、あたかも父に叱られて母の陰に隠れる子供のようですが、本品ではイエスご自身がマリアと同様の姿で描かれており、当時のフランスの人々の、優しい父の愛を信じる幼子のような気持ちがよく表れています。
もう一方の面にはモンマルトルのサクレ=クール教会(聖心教会)が建設途中の姿を見せ、周囲に「フランス国民の誓いを記念して モンマルトル」(Souvenir du vœu national - Montmartre)
と書かれています。「フランス国民の誓い」(vœu national) とは、「イエスの聖心を軽んじてフランスが犯した数々の罪を悔い、フランスを聖心に奉献する」「その印として、モンマルトルに聖心教会を建設する」という「悔悛のガリア」の誓いを指します。
サクレ=クール教会の定礎、すなわち礎石が据えられて建設工事が始まったのは 1875年で、1923年にようやく完成しました。新聖堂のプランは当初から変わらず、完成後の聖堂がどのような姿となるかは分かっていましたから、モンマルトルのサクレ=クール教会をテーマに作られたアンティーク・メダイユには、現実の聖堂が未だできていなくても、完成後の建物が刻まれています。しかるに本品はメダイ制作当時の工事現場の状況をそのまま意匠とした珍しい作例で、この聖堂の特徴である立派な中央ドームが未だ姿を現していません。
(上) Eugène Atget, "Montmartre, rue du Chevalier de la Barre", 1899, Musée Carnavalet
上の写真はウジェーヌ・アッジェ(Eugène Atget, 1857 - 1927)が 1899年にモンマルトルのシュヴァリエ=ド=ラ=バール通りを撮影した作品です。この写真の遠景にはサクレ=クール教会の建設現場が写っていますが、聖堂の中央部分は足場が組んであるだけで、ドームの形は見えません。一方アッジェが
1900年に同じ場所を写した写真では、聖堂中央部の足場は取り払われ、ドームが全容を見せています。したがって本品の制作年代は、サクレ=クール教会がドームを欠いているゆえに、1900年よりも前であることが分かります。
さらに注意して観察すると、本品に彫られているのは聖堂の入口部分、ナルテクス(仏 narthex 拝廊)に続くパルヴィ(仏 parvis 玄関口)あるいはポルティーク(仏 portique 柱廊部)と、その周辺の構造物のみであることに気づきます。
上の写真は 1899年に描かれた建設現場のスケッチです。メダイの図柄に彫られた図柄では工事がこのスケッチよりも少し進行しており、ポルティーク両側の構造物上に尖塔が付加されていますが、中央ドームはまだ見当たりません。したがってこのメダイの制作年代は、上の絵が描かれたのとほぼ同じ時期であり、1899年頃と見て間違いないでしょう。
本品はおよそ百二十年前に制作された真正のアンティーク品ですが、良好な保存状態です。突出部分の摩滅もごく軽度で、細部までよく残っています。建設途中のサクレ=クール教会を描いたメダイは極めて珍しく、アンティーク工芸品としての美術的価値に加えて、「悔悛のガリア」時代のフランス精神史に関する貴重な実物資料でもあります。