いまから百年以上前の19世紀後半に、フランスで制作されたブロンズのメダイ。一方の面には子供たちを祝福し給うイエズスを、もう一方の面には無原罪の御宿りを浮き彫りにしています。一見したところ、これら二つの図像には関連性が薄いように見えますが、本品の制作年代である19世紀後半の精神状況を思い起こし、このメダイを時代の文脈に置くならば、これら二つの図像が一枚のメダイの表裏に彫られている理由が見えてきます。
本品の一方の面には、イエズスと四人の子どもが浅浮き彫りで表されています。子供の年齢は向かって右から三歳、二歳、十歳、七歳くらいでしょうか。この群像は裏面の聖母像と同様に、スクリュー・プレスで打刻されています。
公生涯が終わりに近づいた頃、イエズスは全イスラエルが待望するメシアであると考えられて大勢の人々に崇められ、付き従われていました。イエズスがエルサレムに入城される直前、救い主イエズスに祝福を与えてもらおうと、親たちが子供を連れてきました。大人たちが「英雄」「偉い先生」と崇めるイエズスに、幼い子供たちは気後れもせずに近づき、弟子たちがこれを叱りますが、イエズスは逆に弟子たちを叱って、子供たちを側に引き寄せて祝福し給います。
メダイのこの面で再現された出来事は、すべての共観福音書に記録されています。(マタイ 19: 13 - 15、マルコ 10: 13 - 16、ルカ
18: 15 - 17) マルコによる福音書の記述を引用します。
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 (マルコ 10: 13 - 16 新共同訳) |
下の写真は実物の面積を75倍に拡大しており、定規のひと目盛は1ミリメートルです。イエズスの頭部は直径 1.5ミリメートルほどの範囲内に収まりますが、顔立ちは整い、表情には慈愛が溢れています。口許に微笑を浮かべたイエズスは、視線を下ろして子供たちを見遣り、右手で一人の子の頭を撫でつつ、左手で一番幼い子の手を取っています。子供たちは幼子ゆえの鋭敏な感覚でイエズスの愛を感じ取り、イエズスの顔を見上げて手を伸ばし、慕わしげにまとわりついています。
この群像を取り囲むように、次の言葉がフランス語で刻まれています。
Laissez venir à moi les petits enfants. 子供たちをわたしのところに来させなさい。
メダイの画面は小さいので、イエズスの言葉の冒頭部分しか刻まれていませんが、上記の言葉にはいうまでもなくこれに続く部分が含意されています。イエズスは既に引用したとおり、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」とおっしゃったのです。
メダイのもう一方の面には、蛇を踏みつける聖母が彫られています。この蛇は「創世記」3章1節から7節において人祖アダムの妻エヴァを唆(そその)かして原罪を犯させた悪魔を表すとともに、19世紀後半に力を得てカトリック教会を脅かした近代思想をも重層的に象徴しています。すなわちまず第一に、この浮き彫りは「無原罪の御宿り」の伝統的表現様式に則(のっと)った図像であり、蛇の支配、すなわち罪の支配を受けない聖母マリアの姿を現しています。 足下に蛇を踏みつける聖母の姿は、下に示す聖句に基づきます。
Inimicitias ponam inter te et mulierem et semen tuum et semen illius. Ipsum conteret caput tuum et tu insidiaberis calcaneo eius. ("Genesis", III 15)
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に / わたしは敵意を置く。 / 彼はお前の頭を砕き、/ お前は彼のかかとを砕く。(「創世記」 3:15 新共同訳)
これは人祖アダムの妻エヴァを誘惑した蛇に向かって神が語った言葉で、蛇の支配を受けない女、すなわちその身に罪を帯びない聖母マリアと、聖母から生まれるキリストに関する預言であるとされます。
聖母の足元の球体は地上界を表し、「恩寵の器」なる聖母の指先からは、神の愛と恵みの光が地上に降り注いでいます。聖母に執り成しを求めるフランス語の祈りが、聖母を取り囲むように刻まれています。
Marie conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous. 罪無くして宿りたまえるマリアよ、御身に頼るわれらのために祈りたまえ。
下の写真は実物の面積を75倍に拡大しており、定規のひと目盛は1ミリメートルです。聖母の顔の直径はわずか1ミリメートルですが、顔立ちは美しく整い、優しい表情を浮かべています。指の長さは
0.5ミリメートル、指の幅は 0.1ミリメートルほどですが、正しいサイズと形に彫られています。流れるような衣の襞にも不自然なところは全くありません。蛇は口を開けて苦しげに喘いでいます。アンシアン・レジーム期以来の伝統を誇るフランスのメダイユ彫刻の技術は、真に驚嘆に値します。
第二に、この浮き彫りは、教会の敵である近代思想を足元に踏みつけて勝利する聖母を表しています。
19世紀の半ば、1846年に教皇となったピウス9世 (Pius IX, 1792 - 1846 - 1878) は、1864年12月8日に回勅「クアンタ・クーラ」("QUANTA CURA") を出しています。「クアンタ・クーラ」には「誤謬表」(SYLLABUS ERRORUM) が含まれていましたが、これは自然主義、合理主義、汎神論、高等批評、社会主義、共産主義、信教の自由など、あらゆる近代思想を批判し、「異端」として断罪するものでした。また当時は帝国主義の時代であり、各地で戦争が行われていました。カトリック教会はこれら近代思想や戦争に対抗するため、ノートル=ダム・ド・フランスやノートル=ダム・ド・ラ・ガルドをはじめとする巨大な聖母像を、フランス各地に建設します。それらはヨハネの黙示録 12章において竜、すなわち教会の敵である悪魔を打ち負かす力強い聖母の姿でした。
(下・参考画像) E. プレナ社で制作中のノートル=ダム・ド・フランス。ノートル=ダム・ド・フランスは 1860年9月12日、聖母マリアの御名の祝日に祝別されました。
ピウス9世の後任として 1903年まで教皇を務めたレオ13世 (Leo XIII, 1810 - 1878 - 1903) は、1885年12月19日に出した教皇答書で、聖母に向かって次のように祈っています。
Vierge puissante, qui seule dans le monde entier avez porte le coup mortel à toutes les hérésies, délivrez l'univers chrétien enlace dans les filets du démon; | 力ある童貞マリア、この世で唯一、あらゆる異端を滅ぼし給いし御身よ。悪魔の網に絡め取られたるキリスト教世界を解放し給え。 | |||
abaissez vos regards sur les âmes séduites par les ruses de satan, afin
que, rejetant tout venin de l'hérésie, les cœurs egares viennent à resipiscence
et rentrent dans l'unité de la vérité catholique, |
サタンの策略により誘惑を受くる人々に目を留め給いて、惑わされたる魂が異端の害毒を退け、悔悛し、カトリックの真理のうちに再び入りてひとつとなるべく計らい給え。 | |||
grâce à votre intercession près de Notre-Seigneur Jésus-Christ qui vit et règne dans les siècles des siècles. Ainsi soit-il. |
世世に生きて統べ給うわれらの主イエズス・キリストの傍(かたわ)らにて、御身が為し給う執り成しによりてこそ、そは可能なれば。アーメン。 |
以上でお分かりいただけるように、19世紀後半はカトリック教会にとって戦いの時代でした。このような時代に制作された本品は、時代の空気を敏感に写し取り、伝統的様式による「無原罪の御宿り」像に、近代思想という蛇と闘い勝利する「ウィルゴー・ポテーンス」(VIRGO
POTENS)、力強い童貞マリアの姿を重ね合わせているのです。
この一枚のメダイを歴史的コンテクストの中に置いて考えるとき、両面の図像の取り合わせが指し示すメッセージは自ずから明らかになります。メダイの片面では救い主イエズスが子供たちの純粋な信仰心を祝福しています。もう片面では力強い聖母が近代思想に勝利しています。流行の近代思想に近づかず、子供たちのように素直な信仰で救いを受け入れる者こそが、神の国に入る資格を有するのです。
本品は19世紀に制作された真正のアンティークメダイですが、古い年代にもかかわらず、磨滅は全くと言ってよいほど見られません。両面の図像は浅浮き彫りであるにもかかわらず、細部に至るまで制作当時と同様の鮮明さを保っています。優れた芸術的感覚と人間離れした彫刻技術による美しい工芸品としての価値と、近代フランス精神史の実物資料としての価値を併せ持つ、美しくも稀少な作品です。