二十世紀初頭のイタリアで製作された銀無垢メダイ。人生の大きな区切りである初聖体の記念品で、百円硬貨とほぼ同じサイズです。上部に突出する環の基部に、純度八百パーミル(八十パーセント)を示す数字が刻印されています。
本品はアール・ヌーヴォー様式による美しい作品です。真正のアンティーク品が歳月をかけて獲得した古色と丸みが、優しい表情をメダイに与えています。
メダイの表(おもて)面には、祭壇上の聖杯と聖体が浮き彫りにされています。聖杯にはキリストの血である葡萄酒、より正確に言えば葡萄酒がキリストの血に実体変化したものが入っています。聖体は聖杯の上に浮かびつつ光輝を発しています。聖体に刻まれた十字架は、実体変化後の聖体がもはやパンではなく、コルプス・クリスティ(羅
CORPUS CHRISTI キリストの御体)であること、キリストはミサのたびに受難し給うことを示しています。聖体から発する光は、人知を絶する神の愛を可視的に表現しています。
メダイの下部から左上に、葡萄酒の原料である葡萄と、パンの原料である小麦が浮き彫りにされています。葡萄と小麦はどの時代にも見られるキリスト教図像ですが、本品の葡萄と小麦は自然主義的、写生的に描写され、小麦の穂の一本が折れているのが目を惹きます。植物のこのような描き方は日本美術の影響であり、本品の意匠がアール・ヌーヴォー様式に基づくことが分かります。
1902年、北イタリアのトリノで万国博覧会が開かれ、フランスやイギリスでひと足先に開花したアール・ヌーヴォー様式が、イタリアに紹介されました。これをきっかけにしてアール・ヌーヴォー様式はイタリア各地に一挙に広まりました。
イタリアにおいて、アール・ヌーヴォーは「アルテ・ヌオヴォ」(伊 arte nuovo 新様式、アール・ヌーヴォー)、「スティーレ・フロレアーレ」(伊
stile floreale 花の様式)とも呼ばれますが、「スティーレ・リバティ」(伊 stile Liberty リバティ様式)と呼ばれることが最も多いように感じます。この名称はロンドンで日本の美術品を扱ったアーサー・ラセンビィ・リバティ(Sir
Arthur Lasenby Liberty, 1843 - 1917)、及び同氏が設立したリバティ社(Liberty & Co.)に由来します。
裏面には百合が浮き彫りにされています。百合はメダイの裏側に刻まれることの多い図柄ですが、本品の百合は、表(おもて)面と同様に、やはり日本風です。通常のメダイにおいて、裏面の百合は、様式化された意匠がメダイの左端に小さく刻まれます。中央寄りの部分は大きく空けてあり、ここに名前や日付を刻みます。
しかるに本品の裏面に刻まれた百合はサイズも大きく、メダイの中央を大胆に横切る構図です。百合の茎を挟んで、上下の空間に名前(イニシアル)と日付を刻むことは可能ですが、他の初聖体のメダイに比べると、百合は裏面の添え物ではなく、重要な美的要素となっています。この写実的な百合にも、スティーレ・リバティ(アール・ヌーヴォー)の影響が明らかに認められます。
キリスト教の象徴体系において、百合は純潔を表すとともに、「神に選ばれた身分」と「神に対する信頼」をも象徴します。しかるに百合が表すこれらの属性は、初聖体を受ける子供が今後の人生において従うべき徳であり、大切にすべき心がけです。したがって百合は初聖体のメダイにこの上なくふさわしい図柄であるといえます。
百合は聖母マリアの象徴でもあります。クルシフィクスのなかには、裏面に聖母を刻んだ作例が時おり見られます。本品の表(おもて)面に刻まれた聖体はミサの度毎に受難し給うキリストの御体ですから、裏面に百合を刻んだ本品は裏面に聖母を伴うクルシフィクスと相同であり、同様の意味を表すと考えることができます。
本品が作られた時代、イタリアを含むヨーロッパ各国では貧富の差が極めて大きく、中産階級は事実上存在しませんでした。ごく一部の特権階級以外は、全員が貧しかったのです。そのような時代に作られた銀無垢メダイはサイズが小さく、非常に薄いのが普通です。しかしながら本品は百円硬貨と同じぐらいのサイズがあり、厚みの点でもブロンズ製のものと変わりがありません。本品は普通の人がなかなか購入できない高価な品物であり、初聖体を受ける子供に対する両親の愛情が感じられます。
本品は突出部分が磨滅して、アンティーク品ならではの優しい丸みを帯びています。アンティーク品の摩滅はその品物が辿ってきた固有の歴史の記録であり、愛惜すべき個性です。本品の浮き彫りが備える美は、細部の摩滅によっても損なわれず、却ってアンティーク特有の美を加えています。この事実は小さなメダイが有する高い芸術性の証左であるとともに、長い年月を経ることによって、本品が鑑賞者の聖心と対話する能力を獲得したことを示します。美しく摩滅した本品は、メダイを日々身に着けていた人が無事大人になり、幸福な人生を送ったことを物語る証人でもあります。