《エッケ・ホモー 受難し給うキリストと、悲しみの聖母》 対抗宗教改革期のブロンズ製メダイ 22.4 x 19.3 mm フランス 十六世紀頃


突出部分を除くサイズ 縦 22.4 x 横 19.3 mm  最大の厚さ 2.7 mm  重量 2.9 g

おそらくフランス製  十六世紀頃



 受難し給う救い主のエッケ・ホモー像を一方の面に、マーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)像をもう一方の面に、それぞれ浮き彫りにした古いメダイ。いまから四百数十年前、わが国で言えば戦国時代から安土桃山時代頃の品物です。





 一方の面にはキリストの胸像が大きく浮き彫りにされています。キリストの頭髪は肩にかかる巻き毛で、ユダヤ人らしく立派な髭を蓄えています。ローマ兵たちは王衣を模した緋色のガウンをキリストに着せ、頭には茨の冠を被らせています。

 本品の直径は一円硬貨とほぼ同じですが、何れの面の浮き彫りも立体的で、像の部分は三ミリメートル近い厚みがあり、手に取ると心地よい重みを感じます。本品の材質はブロンズで、青銅の名の通り、メダイ全体が重厚な古色に覆われています。

 もともとメダイの上部には環が突出し、そこに紐を通すように作られていましたが、環はいつしか欠損し、メダイ本体に紐の孔が開けられています。この孔に紐を通すと浮き彫りが正面を向きません。本品を信心具として身に着けた昔の人は、メダイが向く方向など気にしなかったはずですが、この孔は小さくて細い紐しか通らない点が不便でもあるので、写真に写っている楕円形の環を追加しました。この環は不要であればいつでも簡単に取り外せます。





 イエス・キリストが受難し給うた際、ローマ兵たちから侮辱され、ローマ総督ポンティウス・ピラトゥス(ポンテオ・ピラト)によって群集の前に引き出されたときの様子は、すべての福音書に記録されています。「マタイによる福音書」には次のように書かれています。

      それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの前に集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
    「マタイによる福音書」 二十七章二十七節から三十一節 新共同訳






 通常「この人を見よ」と訳されるラテン語「エッケ・ホモー」(羅 ECCE HOMO)は、茨の冠をかぶせられ、緋色のガウンを着せられたイエスを、ピラトが民衆の前に連れ出して、「ほら、この人だ」と示したときの言葉です。すなわち「エッケ・ホモー」とはラテン語で「ほら、この人だ」「見よ、この男だ」という意味です。「ヨハネによる福音書」十九章四節から五節に次の記述があります。

      ピラトはまた出てきて、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところに引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは「見よ、この男だ」と言った。
    「ヨハネによる福音書」 十九章四節から五節 新共同訳






 もう一方の面にはヴェールを深くかぶって悲しみに沈むマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)が浮き彫りにされています。





 本品の制作国は、恐らくフランスです。フランスで作られる聖母の横顔のメダイは、近代以降であれば受胎告知をテーマにした作品が多く、軽やかな薄絹を被った十代半ばの愛らしい花嫁が浮き彫りにされます。しかしながら十六世紀に彫られた本品において、マーテル・ドローローサは暗色の厚い布を被り、喪に服しています。五十歳代に差し掛かろうとする聖母の表情は、悲しみのためにいっそう窶(やつ)れて見えます。





 表裏の意匠の組み合わせが本品と同様で、横顔の描写や後光の形状もほぼ同じメダイが、東京上野の国立博物館に収蔵されています。「宗一四七三」「一四七六」の番号が記入されている二点がそれで、いずれもキリシタンが伝来した十六世紀に日本に持ち込まれたメダイです。

 国立博物館のメダイ「宗一四七三」「一四七六」は、いずれも福知山城の堡塁内から発掘されたものです。福知山城主小野木重次は関ケ原の戦いで豊臣方に付き、徳川の勝利が確定した後、細川忠興(細川ガラシャの夫)によって城を攻められ、自刃させられました。小野木重次の家臣には多くのキリシタンがいたと思われ、城内からは多数のメダイやロザリオが発掘されています。小野木重次の妻もキリシタンでした。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 キリシタン時代のわが国は戦乱の時代でしたが、十六世紀はヨーロッパにおいても宗教戦争の時代でした。カトリックとプロテスタントが互いに相手を「異端」「悪魔の手先」と攻撃し、富裕層を中心に善良な市民たちが魔術師や魔女として生きながら焼かれ、ときに大規模な殺戮も起こりました。黒死病や天然痘、麦角病なども、当時の人々には病気の原因が知られないまま、相変わらず多くの命を奪っていました。天候の異変やそれによる飢饉、自然災害に対しても、人々はまったく無防備でした。

 自然災害や事故、戦争等にいつ何時巻き込まれるか分からないのは、現代人とて同じことです。犯罪被害にも遭いますし、病気にも罹ります。しかしながら十六世紀の人々は、現代とは比較にならない大きな不安の中で生きていたはずです。自分が明日をも知れぬ身の上であることを、誰もが日々実感していた時代に、本品は美術品でもジュエリーでもなく、純然たる信心具として作られました。救い主と聖母の似姿をメダイに刻み、メダイが破損しても紐を通す孔を開けて身に着けられた本品からは、神にすがりつつ日々を生きる人々の篤い信仰が伝わってきます。





 本品は四百年以上前、わが国で言えば戦国時代ないし安土桃山時代に、恐らくフランスで制作された真正のアンティーク品です。本品の意匠は紀元三十年ころのキリスト受難、中世の「悲しみの聖母」信仰、美術工芸を動員した対抗宗教改革の歴史によって生み出され、一枚のメダイに結実しています。

 一つの品物としての本品は、十六世紀の人の信仰心の可視化であるとともに、十六世紀以来現代までに経過した歳月の可視化でもあります。すなわち本品は肌身離さず持ち歩かれて、突出部分が摩滅しています。この摩滅は、十六世紀の人の信仰心が物質に及ぼした影響に他なりません。また本品は長い歳月をかけて美しい古色を獲得し、これに全体を覆われています。レプリカにまねのできない美しい古色は、アンティーク品ならではの歴史性が可視化したものであるといえます。





本体価格 35,800円

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