ガラテア書による稀少メダイユ 《マリアの庇護のもと、キリストの印によりて勝利せよ 40.1 x 23.7 mm》 ケルト十字に刻むイエスへの信仰 フランス 二十世紀中頃


突出部分を含む縦横のサイズ 40.1 x 23.7 mm   重量 3.2 g



 ラテン十字に、その交差部を中心にとする帯状の環を重ねた十字架を、ケルト十字といいます。本品はケルト十字を模(かたど)る珍しいメダイユで、キリストを象徴する記号、マリアを象徴する記号、イエスへの信仰を告白する言葉が刻まれています。





 ギリシア語でキリストを表すクリストス(希 Χριστός)の最初の二文字は、キー・ロー(ΧΡ)です。それゆえキー・ローのモノグラム(組み合わせ文字)はクリスム(仏 le chrisme)と呼ばれ、キリストを象徴します。イエス・キリストを象徴する記号をクリストグラム(仏 un christogramme)といいますが、キー・ローのクリスムはよく知られたクリストグラムの一つです。本品の十字架交差部には、このクリスムが彫られています。


 ローマ皇帝ディオクレティアヌスはキリスト教徒に苛烈な迫害を加えましたが、これを根絶することはできませんでした。ディオクレティアヌスを継いだガレリウスも当初はキリスト教徒迫害を続けましたが、311年、コンスタンティヌス及びリキニウスと共同で布告を発し、キリスト教迫害を停止しました。ガレリウスを継いだコンスタンティヌスは 313年のミラノ勅令でキリスト教を公認するという奇策に出、弱体化し始めていたローマ帝国の再建を図りました。

 コンスタンティヌスはミラノ勅令の前年である 312年10月28日に、いまひとりの帝であるマクセンティウスをローマ近郊フラミニア街道のムルウィウス橋において討ち取り、西の正帝位を固めたのですが、伝承によると、この戦闘の前日、十字架が空に現れ、その十字架には「これにて勝利せよ」(ギリシア語 Ἐν τούτῳ νίκα)という文字が書かれていたとされます。ムルウィウス橋での戦闘については、ラクタンティウス(Lucius Caecilius Firmianus Lactantius, c. 240 - c. 320)の「迫害者たちの死について」("DE MORTIBUS PERSECUTORUM") 44章、及びエウセビオス(Eusebius Caesariensis, Εὐσέβιος ὁ Καισάρειος, c. 265 - 339)の「コンスタンティヌスの生涯」("VITA CONSTANTINI") 第1章 28節に記述があります。




(上) Piero della Francesca "Il sogno di Costantino" dalla "Leggenda della Vera Croce", c. 1466; affresco, 329 x 190 cm; San Francesco, Arezzo


 ラクタンティウス「迫害者たちの死について」("DE MORTIBUS PERSECUTORUM") 44章から、クリスムの記述がある箇所を示します。ラテン語テキストはミーニュの「パトロロギア・ラティナ」、日本語訳は筆者(広川)によります。訳文において文意が通じやすいように補った語は、ブラケット [ ] で示しました。

     Commonitus est in quiete Constantinus, ut caeleste signum dei notaret in scutis atque ita proelium committeret. Facit ut iussus est et transversa X littera, summo capite circumflexo, Christum in scutis notat. Quo signo armatus exercitus capit ferrum. Procedit hostis obviam sine imperatore pontemque transgreditur, acies pari fronte concurrunt, summa vi utrimque pugnatur:    コンスタンティヌスは、神に属する天上の印を[兵たちの]楯に描くように、そうして戦いをするように、夢の中で勧められた。コンスタンティヌスは命じられたようにする。すなわち文字 X が線で貫かれ、[Xを貫く線の]最上部の頂が曲げられている。[この印は][兵たちの]楯においてキリストを描いている。[コンスタンティヌスの]軍隊はこの印で武装して武器を取る。敵は皇帝を伴わずにこちらに進んで来、橋を渡る。両軍は[力が]同じような様子でぶつかり合い、両者とも最大限の力で戦いが行われる。




(上) Piero della Francesca, "la battaglia di Ponte Milvio" dalla "Leggenda della Vera Croce", affresco, 329 x 747 cm; San Francesco, Arezzo


  一方カイサレアのエウセビオスは「コンスタンティヌスの生涯」("Vita Constantini") 第1章 26 - 31節でムルウィウス橋の戦いを扱い、28節にこの奇跡を記録しています。エウセビオスはこの奇跡に関する証言を、コンスタンティヌス帝本人から直接聞いて記録しています。また皇帝だけではなく、コンスタンティヌスに従う全軍がこの奇跡を目撃したと伝えています。ミーニュの「パトロロギア・グラエカ」(Migne, PG vol. 20 col. 939) により原テキストを引用します。日本語訳は筆者(広川)によります。

    "Βίος Κωνσταντίνου", 1. 28   「コンスタンティヌスの生涯」
         
     Ἀνεκαλεῖτο δῆτα ἐν εὐχαῖς τοῦτον, ἀντιβολῶν καὶ ποτνιώμενος φῆναι αὐτῷ ἑαυτὸν ὅστις εἴη καὶ τὴν ἑαυτοῦ δεξιὰν χεῖρα τοῖς προκειμένοις ἐπορέξαι.    たしかに[コンスタンティヌスは]祈りつつその御方に呼びかけて、どのような方であらせられるのかを自分に対しておっしゃっていただくように、また目の前にいる者たちに右手を差し出してくださるように、大きな声で請い願った。
     Εὐχομένῳ δὲ ταῦτα καὶ λιπαρῶς ἱκετεύοντι τῷ βασιλεῖ θεοσημεία τις ἐπιφαίνεται παραδοξοτάτη,    このように熱心な願いを以て祈っているときに、ある驚くべき奇瑞が皇帝に対して現出した。
     ἣν τάχα μὲν ἄλλου λέγοντος οὐ ῥᾴδιον ἦν ἀποδέξασθαι, αὐτοῦ δὲ τοῦ νικητοῦ βασιλέως τοῖς τὴν γραφὴν διηγουμένοις ἡμῖν μακροῖς ὕστερον χρόνοις, ὅτε ἠξιώθημεν τῆς αὐτοῦ γνώσεώς τε καὶ ὁμιλίας, ἐξαγγείλαντος ὅρκοις τε πιστωσαμένου τὸν λόγον, τίς ἂν ἀμφιβάλοι μὴ οὐχὶ πιστεῦσαι τῷ διηγήματι; μάλισθ’ ὅτε καὶ ὁ μετὰ ταῦτα χρόνος ἀληθῆ τῷ λόγῳ παρέσχε τὴν μαρτυρίαν.    もしも他の人物が語ったのであれば、すぐには受け入れ難かったであろう。しかし勝利した皇帝自身からずっと後になって、筆者が皇帝の知己を得て御許に侍るようになった際に、誓いによって確言されたことであってみれば、その言葉を誰が疑い得よう。とりわけ、後の証言によってもその真正性が確かめられているのだから。
      Ἀμφὶ μεσημβρινὰς ἡλίου ὥρας, ἤδη τῆς ἡμέρας ἀποκλινούσης, αὐτοῖς ὀφθαλμοῖς ἰδεῖν ἔφη ἐν αὐτῷ οὐρανῷ ὑπερκείμενον τοῦ ἡλίου σταυροῦ τρόπαιον ἐκ φωτὸς συνιστάμενον, γραφήν τε αὐτῷ συνῆφθαι λέγουσαν· τούτῳ νίκα.    正午頃、すでに一日が終わりに向かい始めていたとき、太陽よりも上方のまさに空の上に、光を帯びた十字架の印が、皇帝自身の目に見えた。そこには「これにて勝利せよ」との文言が読めた。
     Θάμβος δ’ ἐπὶ τῷ θεάματι κρατῆσαι αὐτόν τε καὶ τὸ στρατιωτικὸν ἅπαν, ὃ δὴ στελλομένῳ ποι πορείαν συνείπετό τε καὶ θεωρὸν ἐγίνετο τοῦ θαύματος.    皇帝も、この遠征で皇帝に従い奇跡を目撃した全軍も、この光景にひどく驚いた。





(上) P.P. Rubens pinx, Couché fils et Lienard Sculp. "la Croix Miraculeuse" after Peter Paul Rubens (etching and engraving from "Galerie du Palais Royal", vol.II, 1808), 170 x 206 mm, the British Museum


 ラクタンティウスのテキストはムルウィウス橋の戦いの前夜にコンスタンティヌスが見た夢を記述しています。夢に出てきたクリストグラムはその形状が明記されており、キー・ローのクリスムとの一致が見られます。一方エウセビオスのテキストは戦場の空に現れた奇瑞を記述していますが、こちらの形状は単に十字架と書かれていて、キー・ローのクリスムではありません。しかしながら美術においてこれらの記述はしばしば混同され、あるいは意図的に合成されて、多くの作例において空に浮かぶクリスムが描かれます。上の写真はルーベンスの絵に基づくフランスのシャルコグラフィ(仏 chalcographie コッパー・エングレーヴィング)で、光を放つクリスムが戦場の空に浮かんでいます。





 それゆえ本品ケルト十字型メダイユの交差部に彫られたクリスムには、エン・トゥート・ニカ(希 Ἐν τούτῳ νίκα 汝、この印にて勝利せよ)というメッセージが籠められていると考えられます。いっぽう本品十字架の上端にはラテン文字アー(A)、下端にはラテン文字エム(M)が刻まれています。アー・エム(AM)はアウスピケ・マリアエ(羅 AUSPICE MARIAE マリアの庇護のもとに)を表します。それゆえ本品には「マリアの庇護のもと、キリストの印によりて勝利せよ」とのメッセージが込められていることが分かります。


 ケルト十字の環状部分には、「ガラテヤ書」 2:19にある使徒パウロの言葉がラテン語で刻まれています。

  CHRISTO CONFIXUS SUM CRUCI  我、キリストとともに十字架につけられたり。(広川訳)

 パウロがこのように言う意味は、「ローマ書」 6:6を併せ読むとよく理解できます。

  HOC SCIENTES QUIA VETUS HOMO NOSTER SIMUL CRUCIFIXUS EST, UT DESTRUATUR CORPUS PECCATI, UT ULTRA NON SERVIAMUS PECCATO.

  我ら識(し)る。我らが舊(ふる)き人、基督と共に十字架に架かりたるは、罪びとの身の滅びて、もはや罪に仕ふること無からむが爲なるを。(広川訳)



 すなわち本品は地上に住む人が、マリアの庇護のもと、キリストの名において誘惑に勝利するために掲げる十字架として作られているのであり、エクソルシスム(仏 exorcisme 祓魔)の十字架に準ずるものと言えます。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品は二十世紀中頃のフランスで制作された十字架です。正確な左右対称に作られたケルト十字は一見すると無機質に思えますが、マトリクス(仏 matrix 打刻の母型)の文字はひとつひとつ手作業で彫られており、手仕事の温かみを感じさせます。

 本品はアンティーク品としてそれほど古い年代の物ではありませんが、たいへん手に入りにくい作品で、当店では十数年前に一度取り扱って以来の入荷です。本品をペンダントとして装用すると裏面が服地と擦れ合いますが、裏面には何も彫られていませんので、意匠の摩滅を気にすることなく日々ご愛用いただけます。本品の保存状態は極めて良好で、特筆すべき問題は何もありません。お買い上げいただいた方には末永くご満足いただける品物です。





本体価格 18,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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