高さ 3.9センチメートル、幅 2.8センチメートルと使いやすいサイズのクロワ・ジャネット。ふたつの面はほぼ同じデザインに基づいて同様の丁寧さで制作されています。
本品は表裏二枚の金板を向かい合わせに溶接し、ふくらみを持たせて制作しています。十字架の交差部には、斜めの正方形画面に蔦(きづた、ヘデラ)の若葉を様式化した意匠があしらわれています。ヨーロッパの木蔦
(Hedera helix) は常緑であるゆえに永遠の生命を象徴し、また上方へと這い上がるゆえに神への愛と信仰をも意味します。小さな点の連続が木蔦を取り囲んでいますが、これはアンティーク・ファイン・ジュエリーに見られる彫金の一種「ミル打ち」を模しています。正方形画面の背景はグリーン・ゴールドに近い色です。
十字架の末端に近く楕円形に広がった部分にも、簡略に様式化した植物文をグリーン・ゴールドに近い背景に打ち出しています。十字架の上部はフルール・ド・リス(fleur
de lys 百合文あるいはアヤメ文)を模(かたど)り、他の末端では小球状の装飾を経て細い棒状の先端部が突き出ています。
フルール・ド・リスの部分には、「雄羊の頭」のポワンソン(ホールマーク)、及び金細工工房の刻印があります。「雄羊の頭」は1819年から 1838年まで使用されていた18カラット・ゴールドのポワンソンです。本品は金無垢製品であるゆえに、酸化や硫化によるパティナ(古色)も無く、制作当時のままの状態で残っていますが、二百年近く前に制作された非常に古い品物であることがわかります。
金はそのままでは軟らかすぎて実用性に欠けるので、ジュエリーにする場合は合金にして強度を得ます。金に銅を混ぜると赤みが強くなってローズ・ゴールド(ピンク・ゴールド)になります。金に銀を加えるとグリーン・ゴールドになります。金に銅と銀を混ぜるとイエロー・ゴールドとなりますが、イエロー・ゴールドの色合いは銀と銅の比率によって異なります。
本品の場合、二色のイエロー・ゴールド、すなわちローズ・ゴールドに近いイエロー・ゴールドと、グリーン・ゴールドに近いイエロー・ゴールドが使われています。本品だけを見てもわかりませんが、他のクロワ・ジャネットの隣に並べると、本品は全体的に金の赤みが少し強く、ローズ・ゴールド(ピンク・ゴールド)のように見えます。イエロー・ゴールドとローズ・ゴールドの中間的な色合いはフランスのアンティーク金製品の特徴で、温かみを感じさせます。植物モティーフを取り囲む凹んだ部分は、グリーン・ゴールドに近いイエロー・ゴールドが使われています。
本品のように表裏二枚の金属板を合わせて制作したクロワ・ジャネットは、仮に現代まで残っていたとしても、先端部分が折れて無くなったり、十字架本体が破断している場合が多いですが、本品はよほど大切にされてきたと見えて、欠損の無い完品です。このような状態のクロワ・ジャネットは非常に稀少です。
(下) 現代まで伝わるクロワ・ジャネットの大部分は大きく破損しています。使用されている金属の種類や作りを知るために、私はこれらの資料を集めて大切に保存し、活用しています。
本品に刻印された「雄羊の頭」は 1819年から 1838年まで使用されていたポワンソン(ホールマーク)であり、このクロワ・ジャネットがブルボン第二復古王政期(1815
- 30年)、あるいはルイ・フィリップの七月王政期(1830 - 48年)に制作されたものであることを示しています。このようなサイズの金製品は奉公人の少女が買うには高価すぎるので、貴族階級あるいはブルジョワ階級の女性の持ち物であったのかもしれません。
本品は二百年近く前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、驚くほど良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。