(下) 十九世紀の鍵巻き式懐中時計との組み合わせ。突出部分を除く時計ケースの直径は 51ミリメートルです。









フランス製アンティーク 《懐中時計用銀無垢チェーン ぜんまい巻き上げと時刻合わせの鍵付き》 パリの華やぎを映す高級品 全長 32センチメートル 重量 36.4グラム 十九世紀中頃



 電池で動く現代の時計は、クォーツ式時計といいます。これに対して昔の時計は全てぜんまいで動きます。ぜんまいで動く時計を、機械式時計といいます。懐中時計は昔の時計ですから、すべてぜんまいで動く機械式時計です。機械式時計のムーヴメント(時計内部の機械)は美しく、チクタクという動作音も魅力的ですが、欠点は衝撃に弱いことです。一度でも床の上に落とすと、懐中時計は必ず壊れます。これを防止するために、懐中時計を持ち運ぶときは落下防止の命綱を付ける必要があります。命綱は組み紐でできていることもありますし、金属製チェーンの場合もあります。本品は懐中時計を落下から守る命綱で、銀無垢のチェーンです。

 本品は一方の端がティー・バー(T bar)と呼ばれる丁字形のバー、もう一方の端がしずく形の環になっています。ティー・バーをボタン穴に通すと、チェーンはしっかり固定されます。本品のティー・バーは太いので、小さなボタン穴には通りません。





 懐中時計用チェーンは小豆チェーンや喜平チェーン等、ネックレスと同様の鎖を大型にしたタイプが多く見られます。ネックレスは着用中もあまり揺れないので、チェーンは摩耗しません。これに対して懐中時計用チェーンは時計を入れたポケットとボタン穴の間で常にゆらゆらと揺れているので、チェーンが細いと長年愛用するうちにリンクが摩滅し、破断します。これを避けるために本品は銀の組み紐四本を採用し、二個のクーランで束ねています。

 四本の銀製組み紐は銀の珠で固定され、そこから先は太い鎖になっています。金は軟らかく摩耗しやすいですが、銀は金よりもはるかに丈夫です。また本品の鎖は個々のリンクが太く丈夫なので、毎日愛用しても破断の心配はありません。





 クーラン(仏 courants)とはチェーン上をスライドするコマのことです。本品が有する二個のクーランは表裏とも同じデザインで、パルメット(仏 palmettes ヤシか蓮華を意匠化した文様)をボウ(蝶結び)状に組み合わせています。パルメットには鏨(たがね)で細かい彫金を施し、彫金で囲んだ内部につややかな黒色ガラスのエマイユを施しています。

 黒色ガラスは酸化銅、コバルト、鉄を加えた漆黒の不透明ガラスで、ジェ・ド・パリ(仏 jais de Paris パリのジェット)またはジェ・フランセ(仏 jais français フランスのジェット)と呼ばれます。ジェ(ジェット)は美しい光沢がある漆黒の石炭で、ジェ・ド・パリはこれを模しています。本物のジェ(ジェット)は破損しやすいですし、石炭ゆえにエマイユの炉内で燃えてしまいますから、本品ではジェ・ド・パリを採用しています。

 ジェ・ド・パリは十九世紀半ばから後半のフランスにおいて、女性のセンチメンタル・ジュエリーに多用されました。懐中時計の鎖は男性の持ち物ですが、当時流行のセンチメンタル・ジュエリーから影響を受けています。





 本品は 36.4グラムの重量があり、手に取るとずしりとした重みを感じます。36.4グラムは五百円硬貨五枚強に相当します。二つのクーランも長径 26.5ミリメートル、短径 14.7ミリメートル、厚さ 11.2ミリメートルと大きなサイズです。

 本品はティー・バーと反対側の端に、しずく形の環を取り付けています。しずく形の環は、閉じた状態を保つために、ばねが仕込まれているのが普通です。しかしながら本品はばね仕掛けではなく、ねじで固定するようになっています。





 現代のクォーツ式時計は百円ショップでも売っていますが、昔の機械式時計は現在では考えられないほど高価でした。1970年代以前に大人であった方に尋ねていただければわかるように、特に輸入腕時計の価格は初任給の二倍から三倍するのが普通でした。現在でも百貨店の時計宝飾品売り場の時計はそれぐらいの値段ですから、良質の時計の価格は変わっていないことがわかります。これは二十世紀の中頃、ほとんどの人に腕時計が普及した時代の話です。

 懐中時計の時代であった二十世紀初め以前に遡ると、時計は全ての人に普及していませんでした。そもそも外で働くのは男性だけでしたから、懐中時計を持っているのも男性だけでしたが、腕時計の時代に比べると時計そのものがはるかに高価であったので、男性といえども個人で時計を所有する人は多くなかったのです。大雑把な言い方をすれば、時計を買うのは自動車を買うようなものでした。時計は自動車のように維持費はかかりませんが、購入時の価格は自動車並みに高かったのです。

 特に本品は十九世紀中頃の品物ですから、1900年前後の時代に比べると時計はさらに高価でした。このチェーンの持ち主がどんな時計を使っていたのかはわかりませんが、現在の貨幣価値に直すと二、三百万円は降らなかったであろうと思います。本品がばね式の環ではなく、少々面倒でもねじ式の環を採用しているのは、掏摸(すり)を初めとする盗難や落下事故の可能性を減らし、高価な財産である時計を確実に守るためです。







 本品が現代人が想像するよりも高価な品物であったことは、十九世紀中頃という制作年代からも裏付けられます。

 フランスをはじめ第一次世界大戦前のヨーロッパでは、富の大半が富裕層に集中していました。たとえば 1910年のフランスにおいて、上位 1パーセントの富裕層が富の70パーセント近くを所有していました。富裕層の範囲を上位10パーセントに広げると、この階層が富の九割を独占し、残りの一割を90パーセントの国民が分け合う状況でした。「一部の富裕層以外は、全員が下層階級」というように、社会が極端に二極分化していたのです。

 この時代の銀はたいへん高価でした。十九世紀以前のアンティーク品として時折みられる銀食器のセットは、家族の財産です。クリストフルなどの高級店が扱う銀食器は、めっき製品であってもセットで買えば数十万円しますが、昔の銀製品はさらも高価でした。

 懐中時計の鎖は銀めっきが多く、銀無垢であっても細いものがほとんどであるなか、本品は大きなサイズの銀無垢製品で、多量の銀を惜しみなく使っています。本品に合わせる時計は大きな銀時計しかあり得ません。このように考えると、本品は普通の人の持ち物でなかったことがお分かりいただけるでしょう。





 本品のティー・バーは太く、時計のぜんまいを巻く鍵が仕込んであります。本品は全体が銀でできていますが、力が掛かる鍵だけは鋼鉄製です。

 二十世紀の機械式時計は竜頭(りゅうず)を操作してぜんまいを巻き上げ、時刻を合わせます。クォーツ式時計はぜんまいがありませんが、やはり竜頭を操作して時刻を合わせます。しかるに最初期の懐中時計以来十九世紀中頃に至るまで、時計のぜんまい巻き上げと時刻合わせには鍵が必要でした。





 上の写真では直径 51ミリメートルの鍵巻き式懐中時計に本品を取り付けています。この時計は本品と同時代の品物で、竜頭がありません。ぜんまいの巻き上げは、下の写真のように鍵を用いて行います。ムーヴメント中央には角柱状の軸が突出していて、時刻を合わせる際はこの軸を鍵で回転させます。





 十九世紀後半になって懐中時計に竜頭が付くと、鍵は不要になります。懐中時計に竜頭が付いている場合、これを回転させるとぜんまいが巻き上がります。ねじ式ベゼルを外すと現れるレバーを引いた状態で、または一時の位置からケース外に突出したピンを押し込んだ状態で竜頭を回転させると、時刻合わせができます。

 懐中時計の巻き上げ・時刻合わせ機構をさらに改良したのはパテック・フィリップ社のアドリアン・フィリップ(Adrien Phillipe, 1815 - 1894)で、現代の時計はこれを引き継いでいます。しかし懐中時計に竜頭が付き、操作性がこのように改良されるのは後の時代のことです。本品が作られた時代の懐中時計には、鍵がどうしても必要でした。





 しずく形の環の側面には、テト・ド・サングリエ(仏 la tête de sanglier イノシシの頭)及びフランスの銀製品工房のマークが刻印されています。テト・ド・サングリエはティー・バーの中央に取り付けた環の基部と、銀の組み紐状チェーンを両側で挟む珠の環にも刻印されています。クーランに刻印はありませんが、いずれも銀でできています。

 テト・ド・サングリエはモネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Paris パリ造幣局)の検質印(ホールマーク)で、純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)の銀無垢製品であることを表します。銀無垢製品とは銀めっき製品でなく、銀そのもので作られた製品のことです。八百パーミル(八十パーセント)はフランスで制作されたアンティーク銀製品の標準的な純度です。銀は鉄や銅の二倍近い比重があるので、本品を手に取るとずしりとした手ごたえを感じます。

 なお本品は同時代のフランスで制作された女性用銀無垢ブレスレットとペアで使うことができます。銀無垢ブレスレットは別売りです。





 本品は百五十年以上前のフランスで制作された品物です。十九世紀半ばのフランスの商工業資料を見ると、銀細工職人もエマイユ職人も、パリに最も集中していました。テト・ド・サングリエはパリ貴金属検質所(モネ・ド・パリ)の刻印ですから、本品の制作地も富裕層が集中していたパリと考えて間違いないでしょう。

 本品はもともと鍵巻き式懐中時計を安全に持ち歩くために作られたチェーンですが、他の方式の懐中時計を取り付けても、懐中時計以外の品物を取り付けても構いません。本品はたいへんしっかりと作られているうえに、摩耗した箇所や破損した箇所も全くありません。ジェ・ド・パリ(黒色ガラスのエマイユ)も完全な状態で、レプリカには真似のできない十九世紀ならではの品物となっています。





本体価格 58,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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