百年以上前のフランスで制作された銀製ブレスレット。組紐状チェーンの両端に被さる金具のそれぞれ、及び引き環の基部を合わせた三か所に、テト・ド・サングリエ(仏 la tête de sanglier イノシシの頭)が刻印されています。
テト・ド・サングリエはモネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Paris パリ造幣局)の検質印(ホールマーク)で、純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)の銀無垢製品であることを表します。銀無垢製品とは銀めっき製品でなく、銀そのもので作られた製品のことです。八百パーミル(八十パーセント)はフランスで制作されたアンティーク銀製品の標準的な純度です。
組紐状の鎖部分には二個のコマが付いています。コマは表裏とも同じデザインで、鎖に沿って自由に滑ります。本品の在庫数は一点で、上の写真はコマの位置を変えて撮影しています。
引き環をもう一方の端の環に掛けた場合、本品の有効長、すなわち装着可能な手首周りのサイズは最大になります。この状態の有効長は 19.5センチメートルで、かなりゆったりとしたサイズです。
両端の金具は固定されていて間の距離を変えることはできませんが、引き環をもう一方の端の輪に掛けるのではなく組紐状の鎖の途中に掛ければ、簡単にサイズ調整ができます。可動式のコマはそのための仕掛けです。
自由に滑って移動できるコマはそれぞれ一センチメートルの長さがあります。上の写真のように引き環と反対側の端にコマ一個を移動させ、その手前に引き環を掛ければ、装着時の長さは一センチメートル短くなります。この状態の有効長は
18.5センチメートルです。
上の写真は女性モデルによる着用例で、引き環と反対側の端にコマ一個を移動させ、その手前に引き環を掛けています。この状態の有効長は 18.5センチメートルです。
上の写真のように引き環と反対側の端にコマ二個を移動させ、その手前に引き環を掛ければ、装着時の長さは二センチメートル短くなります。この状態の有効長は
17.5センチメートルです。コマは引き環よりも大きいので、着用中のブレスレットが外れることはありません。
上の写真は女性モデルによる着用例で、引き環と反対側の端にコマ二個を移動させ、その手前に引き環を掛けています。この状態の有効長は 17.5センチメートルです。
引き環側には愛らしいプット(伊 putto 有翼の童子、エンジェル)の小メダイが取り付けられています。メダイの裏側には何も彫られていません。肘をついて顎を掌に載せ、退屈そうな表情を浮かべるプットはたいへんユーモラスで可愛らしく、微笑みを誘います。
(上) Raffaelo Sanzio, "Madonna Sistina", 1512 - 14, Öl auf Leinwand, 265 x 196 cm, Gemäldegalerie Alte Meister,
Dresden
このプットはラファエロ作「サン・シストの聖母」の画面下端に描かれた二人のうち、向かって左側の天使です。「サン・シストの聖母」は三十八歳の若さで亡くなったラファエロが、自らの手で仕上げた最後の聖母子像です。1754年以来ずっとドレスデンにあり、第二次世界大戦当時はヒトラーの命により地下室に保管されていたために、連合軍のドレスデン空襲による破壊を免れました。第二次世界大戦後、いったんモスクワに運ばれましたが、その後ドレスデンに返却され、現在に至っています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。十八世紀のロカイユ風植物文に囲まれた幼い天使は、高さが四ミリメートル弱、顔の直径が二ミリメートル弱の細密浮き彫りで表現されています。顔かたちは言うに及ばず、指や巻き毛、翼の羽毛、ロカイユの植物等の細部も丁寧かつ正確に再現されており、フランスの浮き彫り芸術には驚嘆するほかありません。
小メダイの左側に写っている環に、テト・ド・サングリエの検質印が見えます。
本品は同時代のフランスで制作された懐中時計用銀無垢チェーンとペアで使うことができます。懐中時計用銀鎖は別売りです。
本品は十九世紀後半から二十世紀初頭のフランスで制作されたものです。
フランスをはじめ第一次世界大戦前のヨーロッパでは、富の大半が富裕層に集中していました。たとえば 1910年のフランスにおいて、上位 1パーセントの富裕層が富の70パーセント近くを所有していました。富裕層の範囲を上位10パーセントに広げると、この階層が富の九割を独占し、残りの一割を90パーセントの国民が分け合う状況でした。「一部の富裕層以外は、全員が下層階級」というように、社会が極端に二極分化していたのです。このような時代に作られた銀無垢のブレスレットは大多数の人々にとってたいへん高価であり、日常的に購入できる品物ではありませんでした。本品は人生の大きな節目にふさわしいジュエリーであり、筆者(広川)が推測するに、おそらく初聖体またはコミュニオン・ソラネルの記念品ではないかと思います。
本品は百数十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。実用上、美観上とも特筆すべき問題は何もありません。銀の清楚な輝きははどのような服装にも良く似合います。銀製品を長期間使わずに放置すると表面が硫化して黒ずみますが、時々使っていれば表面が他の物と擦れ合うことで自然に磨かれ、黒ずむことはありません。優れたアンティーク工芸品としても、実用的なジュエリーとしても、日々楽しんでいただけます。