オギュスタン・デュプレ作 「リベルタース・アメリカーナ」 (アメリカの自由)
"LIBERTAS AMERICANA" par Augustin Dupré





 ベンジャミン・フランクリン (Benjamin Franklin, 1706 - 1790) は、アメリカ独立戦争における「サラトガの戦い」と「ヨークタウンの戦い」、及び 1776年のアメリカ独立宣言を記念し、アメリカとフランスの協調を讃えるメダイユを構想しました。実際のメダイユ制作はフランスの画家エスプリ=アントワーヌ・ジブラン (Esprit-Antoine Gibelin, 1739 - 1813) と、後に第14代フランス貨幣彫刻師長 (le Graveur général des monnaies) となるメダイユ彫刻家オギュスタン・デュプレ (Augustin Dupré, 1748 - 1833) に委託され、独立戦争が終結した1783年、パリ造幣局において、メダイユ「リベルタース・アメリカーナ」("LIBERTAS AMERICANA" ラテン語で「アメリカの自由」)が鋳造されました。

 このメダイユは独立戦争で共に戦ったフランスへの感謝を表すと同時に、旧宗主国イギリスを自力で打ち破った新興国アメリカの力と自信を高らかに宣言する作品となりました。


【「リベルタース・アメリカーナ」のデザイン】

 「リベルタース・アメリカーナ」のデザインを概観します。





 一方の面には、揺り籠代わりの盾に乗る幼児ヘラクレスが中央に刻まれています。二匹の蛇が幼児に近づいていますが、幼児ヘラクレスはひるむことなく蛇を退治しています。

 ヘラクレスはゼウスとアルクメーネーの間に生まれた子供です。ゼウスの不義に怒った妻ヘラは、生まれたばかりのヘラクレスを殺そうとして二匹の蛇を揺り籠に送りますが、ヘラクレスは二匹とも素手で殺してしまいました。

 メダイユ下部に二つの日付、「1777年10月17日」と「1781年10月19日」が刻まれています。「1777年10月17日」は、「サラトガの戦い」でアメリカ側がイギリス軍を打ち負かし、イギリス軍のジョン・バーゴイン将軍 (John Burgoyne, 1722 - 1792) が撤退した日です。「1781年10月19日」は、アメリカ独立戦争における最後の大規模な戦闘、「ヨークタウンの戦い」でイギリス軍が降伏した日です。

 したがって幼児ヘラクレスが二匹の蛇を殺す図像は、上記の二つの戦いにおいて新興国アメリカがイギリスを打ち負かしたことを表しています。


 向かって右側からは、ネコ科の猛獣が幼児ヘラクレスを目がけて飛びかかろうとしています。猛獣は牙をむいていますが、尻尾を後ろ脚の間に巻き込んでおり、内心の臆病さをうかがわせます。

 幼児ヘラクレスの左側にはアテナあるいはミネルヴァが立ち、その盾で幼きヘラクレスを守っています。アテナ(ミネルヴァ)の盾には三つのフルール・ド・リスが付いており、女神がマリアンヌ (Marianne)、すなわちフランスに他ならないことがわかります。マリアンヌは槍を振り上げずにむしろ防御の姿勢を取っており、アメリカ独立戦争において、フランスがアメリカ側を援護する立場で戦ったことを表しています。

 メダイユの上部には、次の言葉がラテン語で記されています。

NON SINE DIIS ANIMOSUS INFANS  神々(の助け)が無ければ、幼子は勇敢であり得ない。

 これはホラティウス (Quintus Horatius Flaccus, B.C. 65 - B.C. 8) の「カルミナ」第三巻第四歌 ("CARMINA" Liber III, Carmen IV) からの引用です。


 猛獣の足下にオギュスタン・デュプレの署名 (DUPRE) があります。





 もう一方の面には向かい風に髪をなびかせる自由の女神の整った横顔が浮き彫りにされています。こちらの面のデザインに関して、フランクリンは特に何も言っていませんので、女神像はオギュスタン・デュプレの独創でしょう。最も美しい古代貨幣とも言われるシチリアの10ドラクマ貨の意匠に似ています。


 シチリアの10ドラクマ貨 紀元前400年頃


 右奥には細い棒に掛けたフリジア帽が見えます。フリジア帽は自由の象徴であり、マリアンヌも被っています。フリジア帽をかけた細い棒は、ラテン語で「ウィンディクタ」(VINDICTA) と呼ばれる儀礼上の杖です。主人がウィンディクタで触れた奴隷は解放されます。

 オギュスタン・デュプレが考案した「自由の女神の横顔」と「ウィンディクタに掛けたフリジア棒」の組み合わせは、アメリカ合衆国で1793年から1797年にかけて発行されたハーフ・セントの図柄に強い影響を及ぼしています。


 1793年のハーフ・セント銅貨


 女神を取り巻くように、「リベルタース・アメリカーナ」(LIBERTAS AMERICANA ラテン語で「アメリカの自由」)の文字が刻まれています。ラテン語の「リベルタース」(自由)は女性名詞ですので、擬人化されると女神の姿になります。

 女神像の下には、アメリカ合衆国独立宣言の日付(4 juillet 1776 1776年7月4日)がフランス語で刻まれています。



【「リベルタース・アメリカーナ」 デザインの成立過程】

 1781年9月28日から10月17日にかけて、ヴァージニア植民地東岸の町ヨークタウンで大規模な戦闘が行われ、ジョージ・ワシントン (George Washington, 1732 - 1799) が率いるアメリカ軍と、ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー (Jean-Baptiste Donatien de Vimeur de Rochambeau,1725 - 1807) が率いるフランス軍は、チャールズ・コーンウォリス (Charles Cornwallis, 1738 - 1805) が率いるイギリス軍を打ち破りました。ヨークタウンは植民地におけるイギリスの最後の軍事拠点であったので、「ヨークタウンの戦い」で敗北したことにより、アメリカ独立戦争におけるイギリスの敗北が決定的になりました。

 1776年から 1785年まで、ベンジャミン・フランクリンはアメリカの代表としてパリ郊外に滞在していました。「ヨークタウンの戦い」の直後、ベンジャミン・フランクリンは、後に第二代アメリカ合衆国大統領に就任するジョン・アダムズ (John Adams, 1735 - 1824) に対して、次のように書き送っています。

 Most heartily do I congratulate you on the glorious News! The Infant Hercules in his Cradle has now strangled his second Serpent, and gives Hopes that his future History will be answerable.

 素晴らしい知らせだ。心の底から祝福させてもらおう。揺り籠の幼きヘラクレスは、二匹目の蛇を絞め殺したのだ。幼きヘラクレスがこれから独り立ちして歩んでゆく希望をくれたのだ。



 翌1782年3月、フランクリンは当時外務長官であったロバート・リヴィングストン (Robert R. Livingston, 1746 - 1813) に対して、次のように書き送っています。

 This put me in mind of a Medal I have had a Mind to strike since the late great Event you gave me an account of, representing the United States by the Figure of an Infant Hercules in his Cradle, strangling the two Serpents, and France by that of Minerva, sitting by as his nurse with her Spear and Helmet, and her Robe speck'd with a few Fleur-de-Lis. The extinguishing two entire Armies in one War, is what has rarely ever happen’d, and it gives a presage of the future Force of our growing Empire. ("The Papers of Benjamin Franklin", XXV, 651).

 君の報告にもあった過日の素晴らしい出来事(訳註 ヨークタウンの戦いでアメリカ側が勝利したこと)以来、前から制作させるつもりであったメダルのことをと考えている。揺り籠の中で二匹の蛇を絞め殺す幼子ヘラクレスの姿で、合衆国を表す。フランスはミネルヴァの姿を取り、ヘラクレスの乳母(nurse 世話係)として傍らに腰掛けている。ミネルヴァは槍と兜、フルール・ド・リスを散りばめた長衣を身に着けている。一つの戦争で二つの軍を丸ごと壊滅させたのは、歴史上もまれな事だ。成長しつつある我々の国が将来持つであろう力を予感させてくれる。(ベンジャミン・フランクリン資料集 25巻 651)



 フランクリンの構想したメダイユは、フランスの画家エスプリ=アントワーヌ・ジブラン (Esprit-Antoine Gibelin, 1739 - 1813) と、後に第14代フランス貨幣彫刻師長 (le Graveur général des monnaies) となるメダイユ彫刻家オギュスタン・デュプレ (Augustin Dupré, 1748 - 1833) によって、制作が進められました。




 上に示したのはアメリカ議会図書館に収蔵されているメダイユ「リベルタース・アメリカーナ」の下絵で、烏賊墨色にグリザイユで描かれています。この絵において、幼児ヘラクレスは揺り籠に乗っていますが、完成品のメダイユでは、揺り籠は盾に置き換えられています。この下絵のミネルヴァは完成品のメダイユにおけるよりも攻撃的で、肩越しに槍を振り上げています。

 「サラトガの戦い」と「ヨークタウンの戦い」を表すふたつの日付のすぐ上に、フランス語で次のように書き込まれています。

 Dessin de la médaille des états-unis d'Amérique composé par E. A. Giblin en 1873  アメリカ合衆国のメダイユの下絵 E. A. ジブランの構図 1783年





 下はオギュスタン・デュプレによる鉛筆画です。メダイユのデザインに関する議論の場で描かれたものらしく、大雑把なスケッチですが、メダイユ作成前の最終図案に近いものと考えられます。左右が反転しているほか、E. A. ジブランの下絵の段階で見られた実際のメダイユとのデザイン上の差異が、ほぼ無くなっています。ヘラクレスの揺り籠は盾に置き換えられていますし、ミネルヴァの槍の構え方も防御的になっています。

 この下絵の現物は、パリの装飾芸術美術館 (le Musée des Arts Décoratifs) に収蔵されています。オギュスタン・デュプレのイニシアル "A. D."、及び "A. Dupré fecit"(ラテン語で「A. デュプレが作成した」の意)のスタンプが押されています。





 フランクリンはこのメダイユにおけるミネルヴァ、すなわちフランスの表現について、1782年3月付のロバート・リヴィングストン宛書簡に

「フランスはミネルヴァの姿を取り、ヘラクレスの乳母(nurse 世話係)として傍らに腰掛けている。」(... and France by that of Minerva, sitting by as his nurse...)

と書いています。しかし実際の戦闘において、アメリカの同盟国フランスは精神的な支持や経済的援助に留まらず、武力行使によって共にイギリスと戦いました。したがって実際のメダイユにおいては、フランクリンの原案に無かった猛獣を登場させて、ミネルヴァをこれと戦わせています。ここで猛獣がイギリスを象徴していることは言うまでもありません。


 メダイユ「リベルタース・アメリカーナ」は金、銀、ブロンズで鋳造され、金のメダル二枚はフランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットに、銀とブロンズのメダイユはアメリカとフランスの各界有力者に贈られました。鋳造された「リベルタース・アメリカーナ」の数は、およそ300枚と考えられています。




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