ルルドにおける聖母出現の50周年を記念して、1908年にフランスで制作された美麗なメダイユ。ブロンズに銀めっきを施しています。縦 63ミリメートル、横 79ミリメートル、最大の厚さ
4.6ミリメートル、重量 148グラムというたいへん立派なサイズで、手に取るとずしりとした重みを感じます。
本品は宗教彫刻を専門とするリヨンの金銀細工師、マリ・ジョゼフ・アルマン=カリア (Marie Joseph Armand-Calliat,
1862 - 1939) の手になる傑作です。マリ・ジョゼフの父トマス・ジョセフ (Thomas Joseph Armand-Calliat)
は、1822年、レ・ザブレ(Les Abrets ローヌ=アルプ地域圏イゼール県)に生まれ、金銀細工の名手として1853年から活躍したあと、1901年にリヨンで没しました。息子マリ・ジョゼフは父が没するとその仕事を継ぎ、1902年から数々の美しい作品を発表しました。アルマン=カリア父子はリヨンの誇りであり、その偉業を永久に記念するため、父子のアトリエがあったリヨン旧市街の通りは「アルマン=カリア通り」(La
rue Armand-Calliat) と名付けられています。
本品は上部が優雅に緩やかなアーチを描く横長の銘盤形に造形されており、一方の面には中央にルルドの聖母、聖母の右(向かって左)にベルナデット・スビルー、聖母の左(向かって右)に天使を、それぞれ肉厚の浮き彫りで表しています。
ルルドの聖母は、ロマネスク彫刻のマンドーラ形光背(紡錘形光背)を思わせる枝ぶりの薔薇に囲まれています。天上なる永遠の存在、聖母マリアの立ち姿が中央部分に大きく表されているために、メダイユのこの面には静謐な空気がみなぎっています。しかしながら硬直した冷たさを見る者にまったく感じさせないのは、慈愛に満ちた聖母の横顔もさることながら、聖母を右脚を軸とするコントラポストの姿勢で表し、ロザリオを持つ手の位置、衣の襞とも左右非対称とし、さらに聖母の両脇に跪くベルナデットと天使の姿勢を変えることで、「静のなかの動」ともいうべきリズムが画面に与えられているせいです。
永遠なる天上界でイエズス・キリストの右の座に座す天の元后、聖母マリアが、転変極まりないこの地上界に出現したという「ルルドの御出現」。天上界と地上界にまたがるこの出来事を、空気の齟齬(そご)無くひとつの画面に収めた手腕は、メダイユ彫刻家マリ・ジョセフ・アルマン=カリアの卓越した芸術的才能を証明しています。
聖母を囲む薔薇は、古来マリアの象徴であり、聖母はロレトの連祷 (Litaniae Lauretanae) においてロサ・ミスティカ、すなわち奇(くす)しき薔薇とも呼ばれます。5世紀のラテン詩人セドゥーリウス (Coelius/Caelius Sedulius,
5th century) は、薔薇を優れて聖母を象徴する花と考え、よく知られた作品「カルメン・パスカーレ」("CARMEN PASCHALE" 「復活祭の歌」)第2巻で人祖の妻エヴァと聖母マリアを対比して、聖母を薔薇に喩えています。セドゥーリウスによると、薔薇の花芽は棘のある繁みから生まれますが、棘に傷つくことなく美しい花を咲かせます。ちょうどそれと同じように、薔薇の花たる聖母マリアは、薔薇の棘たるエヴァが犯した罪に傷つくことなく、かえってエヴァの罪を清めます。このメダイユにおいても、聖母は裸足であるにもかかわらず、傷付くことなく薔薇の上に立っています。
(下) 参考図像 Bruder Furthmeyr, Mary and Eve under the Tree of the Fall, 1481, book illustration, Bavarian State Library, Munich エヴァが人々に与えている木の実は、死をもたらす罪の象徴です。これに対してマリアが人々に与えているのは、生命をもたらす聖体です。
ルルドの聖母は「ロザリオの聖母」とも呼ばれますが、「ロザリオ」はもともと「薔薇の花輪」という意味です。聖母はルルドに出現した際、聖母はロザリオを持っていました。この浮き彫りにおいても、ルルドの聖母はロザリオを手にした姿で表されています。
聖母は穏やかな表情で、傍らに跪(ひざまず)くベルナデットをまっすぐに見つめ、その眼差しを優しく受け止めています。1858年3月2日、13回目の出現の際に聖母がベルナデットに話した言葉が、ラテン語式綴りの標準フランス語に訳されて、1858年の年号とともに、メダイユの最下部に刻まれています。
ALLEZ DIRE AVX PRETRES DE BATIR ICI VNE CHAPELLE. JE VEVX QV' ON Y VIENNE EN PROCESSION. | 司祭たちのところに行って、ここに礼拝堂を建てるように言いなさい。わたしは行列を組んでここに来てもらいたいのです。 |
ベルナデットはヴェールを被り、右手にロザリオ、左手にシエルジュ(大ろうそく)を持って跪いています。その目は聖母をまっすぐに見つめています。
右側には瞑目した天使が上体を屈め、胸の前に手を合わせて跪いています。天使の顔と体は真横から捉えられていますが、左右の翼と腕の位置をずらして描写し、立体感を与える工夫が為されています。浮き彫り彫刻であるメダイユに特有の表現です。天使の背後にはアルマン=カリアのサイン
(ARMAND-CALLIAT) が彫られています。
メダイユのもう一方の面には、教皇ピウス10世 (Pius X, 1835 - 1903 - 1914) の祝福を受けながらルルドのバシリカを目指す老若男女の群れが浮き彫りにされています。ティアラ(三重冠)を被った教皇は、画面の左で天蓋付きの台座に置かれた椅子に座し、右手を挙げて祝福の姿勢を取っています。その手前に姿が見えるふたりはいずれも枢機卿で、ラテン語でガレルム
(GALERUM)、イタリア語でガレロ (galero) と呼ばれるつばの広い帽子を被っています。ガレルムは1962年から1965年まで開かれた第二バチカン公会議において廃止され、現在では公式の場で使われることが無くなりました。
ルルドはタルブ司教区に属しています。手前右で後ろ姿を見せているのは、当時のタルブ司教シェファー師 (Mgr. François-Xavier
Schœpfer, 1843 - 1899 - 1927) です。司教はミトラと呼ばれる帽子をかぶり、右手には牧杖を象った司教杖(しきょうじょう)を持っています。
巡礼者たちは右端の遠景に見えるグロット(岩穴)を目指しています。グロットに据えられた無原罪の御宿りの像が小さく見えています。もう一方の面とは打って変わって、聖母の姿はうっかりすると見落とすほどに控え目で目立たず、魂の救いと心身の癒しをルルドの聖母に求める人々の姿が画面を支配し、その祈りと願いを画面全体に充溢させています。
巡礼者の群れは無個性な群像ではなく、幼い子供から杖をついた老人まで、ひとりひとりの顔形と姿勢が表情豊かに描き分けられています。アルマン=カリアは、腰を下ろしている松葉杖の人物を最も手前の目立つ位置に配することにより、この面の主役が聖母でも、教皇や枢機卿、司教でもなく、むしろ聖母に救いを求める人々であることを、強調的に表現しています。
メダイユの最下部には、1908年の年号とともに、次の言葉がフランス語で刻まれています。
NOVS CONCEDONS L'INDVLGENCE PLENIERE DV JVBILE AVX FIDELES CONTRITS CONFESSES ET NOVRRIS DE L'EVCHARISTIE QVI VISITERONT LA GROTTE DE LOVRDES CETTE ANNEE (BREF DE PIE X) | 痛悔の告解を為して聖体を拝領し、ルルドのグロットを今年訪れる信徒には、聖年の全免償を与える。(ピウス10世の小勅書) |
教皇と枢機卿たちが立つ台座に、アルマン=カリアのサイン (ARMAND-CALLIAT) が刻まれています。またメダイユの縁には「ブロンズ」(BRONZE)
の刻印があります。
卓越した芸術家であるマリ・ジョゼフ・アルマン=カリアは、メダイユの二面に相異なる方向性を与えて相互に補完させ、1908年という時代ならではの作品に仕上げています。すなわち中央に聖母を配した面には伝統的なイコノロジー(図像表現)を取り入れ、深い宗教性と写実性、永遠と時間、静と動の調和的な表現に成功しています。またもう一方の面では、聖母に救いを求める巡礼者の群れを描くことにより、未曾有の世界大戦(第一次世界大戦
1914 - 1918年)が起きる前夜に平和と癒しを求めた人々の切望、宗教に回帰した時代精神の歴史的証言としています。
彫刻の素晴らしいテクニックと相俟って、天上と地上を違和感なく調和させ、表現しきったことにより、このメダイユは第一級の美術工芸品と呼ぶに足る芸術性を与えられています。作者のマリ・ジョゼフ・アルマン=カリアはフランスのキリスト教彫刻史に名を残す重要な人物ですが、このメダイユはとりわけ優れた芸術品であり、宗教的分野、世俗的分野を通じて、アンティーク・メダイユ彫刻の最高傑作のひとつと言っても過言ではありません。
メダイユの保存状態は、極めて良好です。オリジナルの箱は失われていますが、摩耗はまったく見られず、大きな疵(きず)もありません。ご希望により、手頃な別料金にて額装いたします。下の写真は
6,300円の額装です。