フレデリック・ミストラル (Frédéric Mistral, 1830 - 1914) の詩、「ミレイオ」(Mireio または「ミレイユ」
Mireille)の創作100周年記念メダイユ。フレデリック・ミストラルはマイヤーヌ(Maillane プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ブーシュ=デュ=ローヌ県アルル郡 註1)に生まれた作家です。プロヴァンス語(註2)文学の旗手として知られ、プロヴァンス語による数々の作品を発表しました。そのひとつが「ミレイオ」(標準フランス語では「ミレイユ」)で、ミストラルはこの作品により
1904年にノーベル文学賞を受賞しました。(註3)
ミレイオはプロヴァンスの裕福な農場主の娘でしたが、貧しいかご編み職人ヴァンサンと愛し合っていました。ミレイオの父はこれを許さず、娘のために他の結婚相手を探し、家を逃げ出したミレイオはカマルグのサント=マリ=ド=ラ=メールにたどり着いて、ふたりのマリアに祈ります。疲れと暑さで朦朧となったミレイオに現れた聖女たちは、天国の幸せをミレイオに語り、ミレイオは心安らかに死んでゆきます。
本品は「ミレイオ」の創作100周年を記念して 1959年に制作されたブロンズのメダイユで、直径 68ミリメートル、厚さ 7ミリメートル、重量
140グラムというたいへん立派な作品です。表(おもて)面にはサント=マリ=ド=ラ=メールにたどり着いた少女ミレイオが、遠景にサント=マリ・ド・ラ・メール聖堂を見る様子が浮き彫りにされ、次の言葉がフランス語で記されています。
Mireille, poème de Frédéric Mistral フレデリック・ミストラルの詩 「ミレイユ」
Centennaire MCCMLIX MCMLIX 100周年 1859 - 1959年
メダイユの作者はニームに生まれパリで活躍した彫刻家M. L. M. クルビエ (Marcel Louis Maurice Courbier,
1898 - 1976) です。(註4)
裏面の最上部には、ミストラル式綴りのプロヴァンス語で、「ミレイオ」の最初の一節を記しています。
Cante uno chato de Prouvenco (chant I) われ、プロヴァンスの少女を詠はむ。
上記の句を含む「ミレイオ」第一歌は次の通りです。プロヴァンス語の表記はミストラル式綴りによります。訳詩は私(広川)によります。プロヴァンス語の意味を正確に日本語に移すことを主眼にしたため、韻文にはなっておりません。
Cante uno chato de Prouvènço. | ... | われ、プロヴァンスの少女を詠はむ。 |
Dins lis amour de sa jouvènço, | 若き乙女の愛のうちに、 | |
A travès de la Crau, vers la mar, dins li blad, | ラ・クロを通りて、海へ、麦のなか、 | |
Umble escoulan dóu grand Oumèro, | 偉大なるホメロスには及ばざる詩人なれど | |
Iéu la vole segui. Coume èro | 彼の人に倣いたし。彼のありしごと。 | |
Rèn qu'uno chato de la terro, | この地なるひとりの乙女のみを、 | |
En foro de la Crau se n'es gaire parla. | ラ・クロの人のみ語る話を。 |
裏面の中心には小舟に乗ったふたりのマリア、すなわちマリア=ヤコベとマリア=サロメが浮き彫りで表され、少女の祈りがプロヴァンス語で記されています。
O Santi Mario que poudes en flour chanja nosti plour.... 聖なるふたりのマリア様、われらの嘆きを花に変え給う御方がたよ…
メダイユの実物は商品写真よりも重厚な色合いのパティナに被われ、経年を感じさせる美しいコンディションです。特筆すべき疵(きず)や摩耗はありません。ご希望により、別料金にて額装いたします。他の写真はこちらをクリックしてご覧くださいませ。
註1 マイヤーヌはアルルとアヴィニヨンの中間、タラスコンの北東約15キロメートルにある村です。少し南へ下りるとカマルグです。
註2 フランスの言葉は北フランスのオイル語と南フランスのオック語に大きく分けることができます。標準フランス語とされているイール=ド=フランス方言はオイル語の一種です。これに対してプロヴァンス語はオック語の一種です。
「オイル」(oil)、「オック」(oc) という言語グループの名称は、「はい」(ウィ oui) にあたる言葉に由来します。イール=ド=フランス方言の「ウィ」は「オイル」が訛化(がか)したものです。
註3 なお「ミレイオ」を読んで感動したグノー (Charles Francois Gounod, 1818 - 1893) はミストラルに手紙を書いてこの詩をオペラにしたい意向を伝えました。ミシェル・カレ (Michel Antoine Florentin Carre, 1821 - 1872) による台本はミストラルの気に入り、1864年3月19日、パリのテアトル=リリーク (Le Theatre-Lyrique) で、5幕のオペラ「ミレイユ」が初演されました。
註4 クルビエの作品6例
"Cheval" 「馬」 製作年不詳
"Femme Nue" 「女性裸像」 製作年不詳
"Femme Nue" 「女性裸像」 1952年
クルビエはフランス・レジスタンスの闘士ジャン・ムーラン (Jean Moulin, 1899 - 1943) の友人でした。
ジャン・ムーラン
下の写真はシャルトルにあるジャン・ムーランの記念碑で、彫刻はクルビエの作品です。
下の写真はやはりジャン・ムーランに捧げた1968年の作品で、落下傘で降下するレジスタン(resistant レジスタンスの戦士)を表しています。この作品はエクサンプロヴァンスにあります。
下の写真は二ームの公園 (le Jardin de la Fontaine) に置かれた1925年の石彫り「少女と子山羊」です。この作品は1942年に損壊し、いったん修理されましたが、1944年にふたたび壊され、公園から撤去されてしまいました。
"La Jeunne Fille au Chevteau" 「少女と子山羊」 1925年
「少女と子山羊」を縮小したブロンズ製レプリカ一点が個人の注文によって製作され、1943年に「ニーム美術展」 (l'Exposition des
Beaux-Arts de Nimes) で展示されました。
なお「少女と子山羊」のモデルになったのは当時17歳であったニームの少女マルセル・バテュ (Marcelle Battu) です。その後結婚してマルセル・ポルジュ
(Marcelle Polge) となった彼女は、対独協力の廉(かど)で逮捕されて髪を刈られ、1944年10月2日に処刑されてしまいました。処刑後、マルセルは無実であり、フランスが一転して戦勝国となった当時の狂躁の犠牲となった疑いが強まりましたが、結局真相は不明のままです。
(下) マルセル・ポルジュが逮捕された際の写真。
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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