詩人アルフォンス・ド・ラマルティーヌが、死別した愛する女性への思いに駆られて詠んだ作品、「ル・ヴァロン」をテーマにし、世紀の変わり目に生きた早逝の天才、フランスのメダイユ彫刻家ジョルジュ・デュプレ (Georges Dupré, 1869 - 1909) の手によって制作された美しいメダイユ。「サリュ・オ・ソレイユ」("Salut au Soleil" フランス語で「太陽への挨拶」)という作品名で知られています。
「ミネルヴァ像の下で懇願するオレステース」によって 1896年のローマ賞一等を獲得したジョルジュ・デュプレは、ヴィッラ・メディチ滞在中に、本品と「メディタシオン」を制作しました。若きデュプレによる二点はパリに送られて絶賛され、1899年のサロン展において、いずれも三位に入賞しました。
一方の面には、茫洋たる大海を前にして、波打ち際に跪(ひざまず)く老人と子供が浮き彫りにされています。水平線上に見える太陽は、決して変わることなく日々空に昇り、人間にも動植物にも無生物にも、善良なる者にも悪しき者にも、光と温かさを平等に与えます。この大いなる自然は、あらゆる民族、あらゆる地位、あらゆる年齢の人間の心に畏敬の念を呼び起こし、人はただ言葉を失って、造物主の業(わざ)の前に跪くしかありません。
メダイユの右下に、彫刻家ジョルジュ・デュプレ (Georges Dupré, 1869 - 1909) の署名が刻まれています。ジョルジュ・デュプレは第14代のフランス貨幣彫刻師
(Graveur general des monnaies) にして高名なメダイユ彫刻家でもあったオギュスタン・デュプレ (Augustin Dupré, 1748 - 1833) の大甥(兄弟の孫)です。ジョルジュはパリ高等美術学校 (École Nationale Supérieure des Beaux-arts,
ENSB-A) に学んで、メダイユ彫刻の優れた才能を開花させ、1896年にローマ賞プルミエ・グラン・プリ(特賞)を獲得しました。
メダイユのもう一方の面には人の姿が無く、美しい海岸にカモメが舞っています。この面は昼間の光景で、澄みわたった空に太陽の光球は表現されていませんが、画面全体が明るく温かい日の光、さわやかな風、波のさざめき、カモメの鳴き声、草花の香りに溢れています。画面の左端に、ジョルジュ・デュプレのサイン
(G. DUPRÉ) があります。
メダイユには次の言葉が彫られています。
QUAND TOUT CHANGE POUR TOI, LA NATURE EST LA MÊME. / ET LE MÊME SOLEIL
SE LEVE SUR TES JOURS.
汝にはすべてが変はるとも、山河が変はることはなく、/ 汝が日々には同じ太陽が昇る。
これはアルフォンス・ド・ラマルティーヌによる 1820年の作品、「ル・ヴァロン」("le Vallon") の一節です。アルフォンス・ド・ラマルティーヌ (Alphonse Marie Louis de Prat de Lamartine, 1790
- 1869) はフランスの文学者であると同時に政治家でもあった人で、ありのままの心情を韻文に綴るロマン主義の最初の詩人として知られています。
アルフォンス・ド・ラマルティーヌ 1820年頃
ラマルティーヌは、1820年3月11日、29歳のときに、「レ・メディタシオン・ポエティーク」("Les Méditations poétiques" フランス語で「詩的瞑想」「瞑想詩集」)500部を出版しました。この詩集には1815年から1820年までの作品42編が収められていますが、「ル・ヴァロン」はそのなかのひとつです。
「ル・ヴァロン」とはフランス語で「小さな谷」のことです。「幼き日の谷」(vallon de mon enfance) という表現が作品中にありますので、おそらくラマルティーヌには幼い日に谷で遊んだ懐かしい記憶があって、いま、傷付いた心の中に幸福な幼年時代を想い起こし、アジール(苦しみからの避け所)となる心象風景の谷を思い描いているのでしょう。
ちなみにフランス語で「ル・サクレ・ヴァロン」あるいは「ル・ヴァロン・サクレ」(le sacré vallon, le vallon sacré)
というと、ギリシアの高峰パルナッソス山にある谷のことで、詩と芸術の女神ミューズたち(ムーサたち、ムーサイ)が住む聖なる谷とされていました。したがって、「ル・ヴァロン」と名付けられたこの作品に登場する谷は、詩人が幼き日に遊んだ懐かしい谷、いまの傷付いた心を慰める心象風景の谷、パルナッソスのミューズの谷が、ひとつになったものと考えることができます。
「ル・ヴァロン」の内容は次の通りです。日本語は私(広川)が訳したものです。原詩の正確な訳出を主眼にしたため、韻文にはなっておりません。
le Vallon | ル・ヴァロン | |||
Mon coeur, lassé de tout, même de l'espérance, N'ira plus de ses voeux importuner le sort; Prêtez-moi seulement, vallon de mon enfance, Un asile d'un jour pour attendre la mort. |
我が心はすべてを棄て、希望さへも棄て、 運命に懇願するも止めむ。 ただ我に、幼き日の谷を与へよ。 死を待つために、束の間の隠れ場を。 |
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Voici l'étroit sentier de l'obscure vallée: Du flanc de ces coteaux pendent des bois épais, Qui, courbant sur mon front leur ombre entremêlée, Me couvrent tout entier de silence et de paix. |
暗き谷より延ぶる細き道あり。 丘の脇より木々茂り、 我が頭上に蔭を重ねて曲がりつつ、 静寂と安らぎにて我の全てを包み込む。 |
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Là, deux ruisseaux cachés sous des ponts de verdure Tracent en serpentant les contours du vallon: Ils mêlent un moment leur onde et leur murmure, Et non loin de leur source ils se perdent sans nom. |
そこなる二つの流れ、翠(みどり)の橋に隠れ、 蛇行し、谷の高低をなぞる。 水も、せせらぐ音も、あるとき一つになりたるが、 源から遠く離れず、名も無きままに消ゆ。 |
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La source de mes jours comme eux s'est écoulée: Elle a passé sans bruit, sans nom et sans retour; Mais leur onde est limpide, et mon âme troublée N'aura pas réfléchi les clartés d'un beau jour. |
我が生の源も、これと同じく流れ出(い)で、 音も無く、名も無く、消え去りて戻らじ。 水は澄めども、我が魂は苦しみて、 美しき日の明るさを思はじ。 |
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La fraîcheur de leurs lits, l'ombre qui les couronne, M'enchaînent tout le jour sur les bords des ruisseaux. Comme un enfant bercé par un chant monotone, Mon âme s'assoupit au murmure des eaux. |
二つの流れの冷たき川床、流れを覆ふ木々の蔭、 流れのほとりに我を留めて放さず。 優しく物憂い子守唄の、子を眠らするにも似て、 我が魂、水のさざめきにまどろむ。 |
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Ah c'est là qu'entouré d'un rempart de verdure, D'un horizon borné qui suffit à mes yeux, J'aime à fixer mes pas, et, seul dans la nature, A n'entendre que l'onde, à ne voir que les cieux. |
ああ、此処は翠の城壁に囲まれ、 見晴らしは限らるるとも、我が眼には足れり。 我、歓びて歩みを留め、ひとり山河のうちにありて、 水音のみを聴き、天空のみを見む。 |
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J'ai trop vu, trop senti, trop aimé dans ma vie; Je viens chercher vivant le calme du Léthé. Beaux lieux, soyez pour moi ces bords où l'on oublie: L'oubli seul désormais est ma félicité. |
我が生にてあまりに多くを見、感じ、愛せり。 此処に来たるは、生きてあれども、レーテー(忘却)の安らぎを得るため。 美しき所よ。我がために、忘却の国となれ。 もはや忘却のみが我が幸福なれば。 |
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Mon coeur est en repos, mon âme est en silence; Le bruit lointain du monde expire en arrivant, Comme un son éloigné qu'affaiblit la distance, A l'oreille incertaine apporté par le vent. |
我が心は安らぎのうちにあり。我が魂は静寂のうちにあり。 騒がしき世の遠き音も届かば消えて、 離れたるゆえに弱き、遥けき音にも似て、 風に運ばれ、耳に微かに聞こゆ。 |
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D'ici je vois la vie, à travers un nuage, S'évanouir pour moi dans l'ombre du passé; L'amour seul est resté, comme une grande image Survit seule au réveil dans un songe effacé. |
雲を通して此処より望まば、 我が生は過去の陰に失はれ、 残るは愛のみ。目覚めたる後、夢消えぬれば、 大いなる姿のみ残る如くに。 |
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Repose-toi, mon âme, en ce dernier asile, Ainsi qu'un voyageur qui, le coeur plein d'espoir, S'assied, avant d'entrer, aux portes de la ville, Et respire un moment l'air embaumé du soir. |
我が魂よ。この終(つひ)の隠れ家に安らへ。 希望に胸膨らませたる旅人が、 町に入(い)らむと市門にて腰を下ろし、 夕べの香気をひととき吸ひ込むが如くに。 |
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Comme lui, de nos pieds secouons la poussière; L'homme par ce chemin ne repasse jamais; Comme lui, respirons au bout de la carrière Ce calme avant-coureur de l'éternelle paix. |
この旅人の如く、足の塵を振り払はむ。 この道を通ひ来し人の、再び通ふ事、絶へて無ければ。 この旅人の如く、生の終はりに安らひて、 永遠の平安に続くこの静けさを、吸ひ込まむ。 |
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Tes jours, sombres et courts comme les
jours d'automne, Déclinent comme l'ombre au penchant des coteaux; L'amitié te trahit, la pitié t'abandonne, Et seule, tu descends le sentier des tombeaux. |
汝が生は、その昏(くら)く短きこと、秋の日の如し。 丘の斜面の陰翳が消え去るにも似たり。 愛に惹かるるも、憐れまるることは無く、 汝はひとり、墓場の小道を降(くだ)り行く。 |
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Mais la nature est là qui t'invite et qui t'aime;
Plonge-toi dans son sein qu'elle t'ouvre toujours: Quand tout change pour toi, la nature est la même, Et le même soleil se lève sur tes jours. |
されど山河はそこにありて、汝を招き、慈しむ。 その懐に飛び込むべし。そは汝に開かれたれば。 汝にはすべてが変はるとも、山河の変はることはなく、 汝が日々には同じ太陽が昇る。 |
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De lumière et d'ombrage elle t'entoure encore: Détache ton amour des faux biens que tu perds; Adore ici l'écho qu'adorait Pythagore, Prête avec lui l'oreille aux célestes concerts. |
山河は光と緑陰にて再び汝を包み、 汝が愛を、失はるるべき偽りの良きものから引き離す。 ピュタゴラスの愛(め)でし響きを、此処にて愛でよ。 天(あめ)が交響を聴く耳を、かの人(ピュタゴラス)とともに備へよ。 |
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Suis le jour dans le ciel, suis l'ombre sur la terre: Dans les plaines de l'air vole avec l'aquilon; Avec le doux rayon de l'astre du mystère, Glisse à travers les bois dans l'ombre du vallon. |
天にては光を追へ。地にては影を追へ。 北風とともに、広き空(くう)を飛ぶべし。 奇(くす)しき星より出(い)づる優しき光とともに、 小さき谷の蔭のうち、木々の間を軽やかに渡るべし。 |
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Dieu, pour le concevoir, a fait l'intelligence: Sous la nature enfin découvre son auteur! Une voix à l'esprit parle dans son silence: Qui n'a pas entendu cette voix dans son coeur? |
神は知性を造り給ひて、考ふるを得しめたり。 山河の基に、遂に造り主を見い出すべし。 一つの声、密やかに、精神に語る。 心の内なるこの声を、聞かざる者は絶へて無し。 |
スイスに近いフランス南東部、ローヌ=アルプ地域圏サヴォワ県に、古来有名な温泉保養地エクス=レ=バン (Aix-les-Bains) があります。1816年、この保養地を訪れた26歳のラマルティーヌは、肺病を患って療養に来ていた6歳年上の人妻ジュリー・シャルル
(Julie Charles) と出会い、熱烈な恋に落ちます。ちなみに、ジュリーよりも37歳年上の夫、ジャック・シャルル (Jacques Alexandre
César Charles, 1746 - 1823) は、水素気球による有人飛行を最初に成功させた高名な科学者であり、「理想気体の体積は絶対温度に比例する」という、高校生も知っている「シャルルの法則」の発見者でもあります。
翌1817年の1月から5月まで、ラマルティーヌはパリでジュリーのサロンを頻繁に訪れます。同年8月から9月にかけて、ラマルティーヌはエクス=レ=バンでジュリーを待ちますが、ジュリーは来ず、ふたりにとって貴重な時間が過ぎてゆくなか、詩人は焦燥に苦しみます。ジュリーが来なかったのは、旅行に耐えられないほど病状が悪化していたためで、同年12月18日、ジュリーは遂に亡くなりました。詩人がジュリーの死を知ったのは、ノエル(クリスマス)の日でした。
この作品「ル・ヴァロン」の第三スタンザで、
そこなる二つの流れ、翠(みどり)の橋に隠れ、/ 蛇行し、谷の高低をなぞる。/ 水も、せせらぐ音も、あるとき一つになりたるが、/ 源から遠く離れず、名も無きままに消ゆ。
と謳われているのは、ジュリーとの人目を忍ぶ恋の日々と、あっけなく訪れた死別を表しています。
「ル・ヴァロン」の冒頭はたいへん陰鬱です。傷付いた心を救うのは死のみ、と語るこの陰鬱な調子は、第12スタンザまで延々と続き、読んでいてどうなることかと思わされますが、第13スタンザ、すなわちメダイユに引用されている詩句を含む部分まで進むと、急に雰囲気が明るくなり、最後は創造主への賛歌に終わっています。ラマルティーヌはいかにもロマン派の詩人らしく、この作品においても悲劇的感情を強調しつつも、いつも変わらずそこにあり、温かく迎え入れてくれる自然の抱擁によって、死を思うほどの悩み、苦しみ、悲しみでさえ癒されるのだ、という希望に満ちた作品に仕上げています。
なお、フランス語の「ナチュ-ル」(nature 自然)は、ギリシア語の「ピュシス」(φύσις, physis 生成、自然)と同じく、「産み出す力」が原意ですが、ラマルティーヌのこの作品では、憂き世の儚さに対置して、ナチュールが有する恒常性、頼もしい盤石(ばんじゃく)の不動性が謳われていますので、「山河」の訳語を当てました。
メダイユの上の縁には、男の子の名前と日付が丁寧な文字で手彫りされています。
À NOTRE CHER PETIT AMI ANDRÉ. 9 MAI 1907 われらの愛する小さな友、アンドレに。1907年5月9日
名前と日付の意味は推測するしかありませんが、ラマルティーヌの詩が、愛する人と死別する悲しみと、遺された者を癒してくれるナチュールの恵みを謳ったものであることを考えれば、アンドレという名前の男の子が、1907年5月9日に、天に召されたのかもしれません。
メダイユの縁には、ブロンズ製を表すコルヌ・コーピアエ(CORNU COPIAE 豊穣の角)、及び「ブロンズ」(BRONZE) の刻印があります。コルヌ・コーピアエは、1880年から1929年までの間にモネ・ド・パリ(La
Monnaie de Paris パリ造幣局)で鋳造されたメダイユに刻印されるプリヴィ・マーク(ミント・マークの一種)です。
長く生きていれば、愛する者との別れを避けることはできませんが、泣き濡れた目を挙げれば、そこにはいつも変わらない自然があります。ラマルティーヌは、その自然のうちに、紛れも無い神の業を見ました。神がおられ、全てはその被造物であるとすれば、亡くなった者の生命は滅びたのではなくて、ただ生命の本源である神、造物主の御許に帰っただけに違いありません。
神は自らお造りになった自然を通して、遺された者を抱きとめ、その悲しみを癒し給います。遺された者たちもやがては造物主の許へと帰ってゆきます。ラマルティーヌとともにこのように考えるとき、そこには決定的な別離も最終的な絶望も無く、全てを抱擁する神の愛、光として表現される至高の愛が、究極的な「帰る場所」として我々を待ってくれていることに気付きます。
このメダイユに彫られた「汝にはすべてが変わるとも、山河が変わることはなく、汝の日々には同じ太陽が昇る」という言葉は、「あなたにとっての大きな悲しみも、世界を変えるほどのことではない」という冷淡な意味では決して無いことが、「ル・ヴァロン」全篇を読み通せば分かります。愛する者と死別した詩人が、悲しみに研ぎ澄まされた魂の内奥で鋭敏に感じ取った神の愛、全ての生命の本源である愛のデュナミス(δύναμις 力)が、この言葉を裏打ちしているのです。
メダイユ彫刻家デュプレがメダイユの遠景に彫って老人と子供に見つめさせた太陽、光溢れる海岸で草花やカモメたちを照らし温める太陽は、最愛の存在を失くして悲しむ魂を包み込む、大いなる愛の形象化に他なりません。
永遠に寄せては返す波打ち際で太陽を見つめる幼児と老人は、地上に生まれてわずかな時間を生き、年老いて死んでゆく人生の短さを象徴しています。幼児と老人は、ひとりの同じ人の、数十年を隔てた姿を重ね合わせたものかもしれません。これに対してもう一方の面に刻まれた海辺から、幼児と老人は姿を消しています。こちらの面の海岸は、ふたりがいなくなった未来の光景、あるいはふたりが生まれる前の過去の光景、否、さらに正確に言うならば、人の短い一生を超越した悠久の光景です。
このメダイユを美術工芸品としての側面から取り上げるならば、天才ジョルジュ・デュプレは、波打ち際から水平線に至る遠近感のみならず、光や音、風の香りまで、余すところなく表現し尽くしています。本品はメダイユですから、色を使うことはできません。金属表面の高低差1ミリメートルにも満たない凹凸のみによって、デュプレはこの離れ業を成し遂げているのです。ジョルジュ・デュプレの芸術的感覚と超人的な彫刻技術は、真に驚嘆に値します。
このメダイユは百年以上前のフランスで製作された真正のアンティーク品ですが、特筆すべき瑕疵は無く、きわめて良好なコンディションです。ご希望により、別料金にてメダイユを額装いたします。額装料金は使用する額によって異なります。