ジョルジュ=アンリ・プリュドム作 ジャンヌ・ダルク没後五百周年記念メダイユ 1931年


メダイユのサイズ 72.4 x 51.0 mm  厚さ 最大 5.7 mm  重量 116.6 g

フランス  1931年



 フランスの守護聖人ジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc, c. 1412 - 1431) の没後五百年にあたる 1931年の記念メダイユ。20世紀前半のフランスで活躍したメダイユ彫刻家、ジョルジュ=アンリ・プリュドム (Georges-Henri Prud'hommes, 1873 - 1947) による立派なサイズの作品です。





 メダイユの表(おもて)面にはルーアン司教座聖堂前の広場で火刑に処されるジャンヌを浮き彫りにしています。ジャンヌは後ろ手に縛られて、鎖で柱に括りつけられています。火刑の柱の上部には、イエズスの十字架に掲げられたINRI(IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM ナザレのイエズス、ユダヤ人の王)の札を思い起こさせる張り紙があり、「エレティーク、アポスタート、ルラプス」(HERETIQUE, APOSTATE, RELAPSE 異端者、背教者、異端再転向者)と書かれています。

 「ルラプス」(relaps/relapse 異端再転向者) とはいったん捨てた異端的信仰を再び表明した者のことです。中世の異端審問においては、被告人が「ルラプス」であると認められると、教会裁判所から世俗裁判所に引き渡され、死刑を含む厳しい刑が宣告されました。若く魅力的な女性であったジャンヌは、投獄されている間に裸にされて性的暴行を受け、着衣を奪われて男性用の服を与えられました。他に着る物が無かったので、与えられた服を着たところ、その男装により「ルラプス」の宣告を受けたのです。

 画面左下には点火用の松明(たいまつ)があり、炎は松明から薪(たきぎ)に燃え広がって、ジャンヌの足下を舐めています。ジャンヌの衣を通して、若い女性らしい均整のとれた体つきが透けて見えていますが、間もなくジャンヌは無慈悲な炎と煙に全身を被われて、この上なく残酷な死を遂げることになります。





 フランス国立公文書館に残る記録によると、ジャンヌの薪に点火したのは、ルーアンの死刑執行人ジョフロワ・テラージュ (Geoffroy Thérage) という人物です。ジョフロワの仕事の記録は 1407年から始まっており、ジャンヌが火刑に処された1431年の時点で、死刑執行人として25年のキャリアを持つベテランであったことがわかります。このジョフロワは、少女ジャンヌを生きながら焼くという残虐な刑に心を痛めていました。また火勢を強めるために油や炭が加えられ、風が送られたにもかかわらず、ジャンヌの心臓が燃え残り、これを燃やすために再び薪に点火しなければならなかったことに怖れを抱きました。仕事の後、兄弟二人のもとを訪ねたジョフロワは、恐ろしい悔恨にさいなまれ、聖女を焼き殺して赦され得ない罪を犯したという恐怖におののいていたとの証言が残っています。死刑の執行が日常の仕事であり、それまでに数百人の刑を執行していたジョフロワがこれほどまでに度を失うほど、ジャンヌの火刑は残虐であったことが分かります。


(下) Jules Eugène Lenepveu, "Jeanne d'Arc sur le bûcher", 1886/90, le Panthéon, Paris




 画面の左上に 1431年と 1931年のふたつの年号が記されています。1431年はジャンヌが火刑に処された年です。画面右下には彫刻家プリュドムのサイン (G. PRVD'HOMME)、その下にはフランス語で次の言葉が刻まれています。

  Ve CENTENAIRE DE LA MORT DE JEANNE D'ARC  ジャンヌ・ダルク没後五百年

 このメダイユが製作された 1931年は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期です。第一次世界大戦はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の領土拡張政策によって惹き起され、1914年から1918年まで戦われました。ドイツ自身の国土は戦場になりませんでしたが、戦争を仕掛けられたフランスはこの未曽有の大戦争の戦場となり、国中に死傷者、戦争寡婦、戦災孤児があふれました。このため大戦終結後にフランス人が抱いた対独処罰感情には、きわめて峻厳なものがありました。

 ドイツはヴェルサイユ条約によって賠償の義務を負い、その後2690億金マルクの支払いを要求されましたが、この要求を拒否して賠償額の削減を試みました。フランスとベルギーはドイツへの要求を貫こうとして、1923年、非武装地帯であったノルトラインの工業地帯(ルール地方)に進駐し、1930年まで占領を続けました。

 救国の聖女ジャンヌ・ダルクの没後五百年にあたる1931年は、このように緊迫した時代でした。翌1932年、ドイツでは7月の国会議員選挙でナチスが第一党となり、1933年1月にはヒトラー内閣が成立します。やがてポーランドで第二次世界大戦の戦端が開かれ、フランスはふたたびドイツと対峙することになります。





 このメダイユは 72 x 51 ミリメートル、最大の厚さ 5.7ミリメートル、重量 116.6グラムとたいへん立派なサイズで、手に取るとずしりとした重みを感じます。突出部分に磨滅が見られますが、およそ80年前のものとしては充分に良好な保存状態です。真正のアンティーク品ならではのパティナ(古色)が全体を被っています。

 本品は片面のメダイユですので、額装して飾るのも良い方法です。額装は当店にて承ることもできますし、お客様ご自身で工夫されても楽しいものができます。





メダイユの価格 19,000円 (税込・額装別) 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。



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