フランス動物愛護会パリ支部が、功績のあった人に贈った銀製高級メダイユ。19世紀フランスの高名な彫刻家アメデ・ドナティアン・ドゥブルマール (Amédeé
Donatien Doublemard) による作品です。
メダイユ表(おもて)面の中央、「フランス動物愛護会パリ支部」(Société Protectrice des Animaux à Paris)
と刻まれた壇の上には、古代風の衣装をまとった女神が立って右腕を伸ばし、左手には法と正義の象徴である天秤を持っています。天秤の向こう側に見える銘板には、フランス語で「1850年7月2日の法律」(Loi
du 2 Juillet 1850) の文字が刻まれています。牛、軛(くびき)を付けたロバ、猫、犬、鳩、ツバメ、鑑賞用の小鳥が女神を慕って集まり、精いっぱいに首を伸ばして女神を見上げ、喜びの鳴き声を挙げています。
「1850年7月2日の法律」とは、第二共和政の憲法制定議会議員、ジャック・ドルマ・ド・グラモン (Jacques Delmas de Gramont,
1796 - 1862) が中心となって成立させた法律で、人間の支配下にある動物を公衆の面前で虐待した者に対し、1フラン乃至15フランの罰金、及び1日乃至5日の収監を定めました。この法律は、1959年9月7日、公衆の面前に限らずに動物虐待を禁じる新法が成立したことにより、廃止されました。
メダイユ表(おもて)面の左端、女神の指先に近い部分に、彫刻家アメデ・ドゥブルマールのサイン (A. DOUBLEMARD) があります。
メダイユの裏面には、オリーヴの枝に囲まれて、フランス動物愛護会の中央委員、コルティ氏の名前が刻まれています。オリーヴは古代ギリシア及びローマにおいて希望、勝利、栄光の印であり、またユダヤ・キリスト教文化においては平和と和解の象徴です。
メダイユの縁に、材質を表す "ARGENT"(銀)の文字、及びパリ造幣局のミント・マークであるコルヌ・コーピアエ(豊穣の角)が刻印されています。
このメダイユは 110年以上前に製作された真正のアンティーク品ですが、縁の数か所が軽く凹んでいる程度で、突出部分の摩耗も少なく、特筆すべき問題の無い良好な保存状態です。
【フランス動物愛護会 (SPA) について】
1824年、世界最初の動物愛護団体である「動物虐待防止会」(the Society for the Prevention of Cruelty
to Animals) がロンドンで設立され、1840年にはヴィクトリア女王の認可を受けて、「王立動物虐待防止会」(the Royal Society
for the Prevention of Cruelty to Animals, RSPCA) となりました。
フランス動物愛護会 (la Société Protectrice des Animaux, S.P.A.) は、イギリスの RSPCAを手本に、エチエンヌ・パリゼ医師
(Étienne Pariset, 1770 - 1847) によって 1845年12月2日にパリで設立されたフランス初の動物愛護団体です。同会は1860年、フランスの法律に基づいて、公益法人
(utilité publique) として認可されました。
フランス動物愛護会は「ソヴェ、プロテジェ、エメ」(Sauver, Protéger, Aimer 「救い、護り、愛する」)を標語とし、現在ではフランス国内に12箇所の無料診療所と57箇所のシェルターを擁して動物を保護するとともに、年間およそ700件の訴訟を起こし、動物の権利のために活動しています。専属の調査官4名の他、一千名を超える人々が動物虐待に関する調査を無償で行っています。
フランス動物愛護会のウェブサイトはこちらです。内容はフランス語で書かれています。写真も多く掲載されています。
【彫刻家アメデ・ドナティアン・ドゥブルマールについて】
アメデ・ドナティアン・ドゥブルマール (Amédeé Donatien Doublemard, 1826 - 1900) は北フランスの小村ボーラン(Beaurain ピカルディー地域圏エーヌ県)に、農村保安官(garde
champêtre 村長に任命されて警察業務を行う人)の息子として生まれました。
1842年、16歳のときにパリのエコール・デ・ボザール(École des Beaux-Arts, École nationale supérieure
des Beaux-Arts 国立装飾美術学校)に入学してフランシスク・デュレ (Francisque Duret, 1804 - 1865)
に彫刻を学びます。サロンへの初出展は 1844年です。ローマ賞メダイユ部門にて 1853年に三等、1854年に二等、1855年にはアンリ・シャピュ
(Henri-Michel-Antoine Chapu, 1833 - 1891) とともに一等を獲得し、翌年から三年間ローマへ留学しました。パリに戻ったドゥブルマールは、人気彫刻家として名士の胸像を数多く手掛け、また公共の大型モニュメントの製作にも携わりました。1877年にはレジオン・ドヌール章シュヴァリエを受章、1889年のパリ万博では銀メダルを受賞しています。
ドゥブルマールは彫刻家フェリクス・シャルパンティエ (Félix Charpentier, 1858 - 1924) の師としても知られています。