アメデ・ドナティアン・ドゥブルマール
Amédée Donatien Doublemard, 1826 - 1900
アメデ・ドナティアン・ドゥブルマール (Amédeé Donatien Doublemard) は 1826年、北フランスの小村ボーラン(Beaurain ピカルディー地域圏エーヌ県)に、農村保安官(garde champêtre 村長に任命されて警察業務を行う人)の息子として生まれました。
1842年、16歳のときにパリのエコール・デ・ボザール(École des Beaux-Arts, École nationale supérieure des Beaux-Arts 国立装飾美術学校)に入学してフランシスク・デュレ (Francisque Duret, 1804 - 1865) に彫刻を学びます。サロンへの初出展は 1844年です。ローマ賞メダイユ部門にて 1853年に三等、1854年に二等、1855年にはアンリ・シャピュ (Henri-Michel-Antoine Chapu, 1833 - 1891) とともに一等を獲得し、翌年から三年間ローマへ留学しました。パリに戻ったドゥブルマールは、人気彫刻家として名士の胸像を数多く手掛け、また公共の大型モニュメントの製作にも携わりました。1877年にはレジオン・ドヌール章シュヴァリエを受章、1889年のパリ万博では銀メダルを受賞しています。
ドゥブルマールは彫刻家フェリクス・シャルパンティエ (Félix Charpentier, 1858 - 1924) の師としても知られています。
「救い、護り、愛する」 フランス動物愛護会 パリ造幣局による銀製メダイユ 1897年
「救い、護り、愛する」 フランス動物愛護会 パリ造幣局によるブロンズ製メダイユ 1898年
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