マドンナ・デル・ディト 親指の聖母
Madonna del dito




(上) 伝カルロ・ドルチ 「親指の聖母」 グイド・レーニ作 「エッケ・ホモー」 受難の聖母子のメダイ カトリック芸術本流の作品 直径 19.6 mm フランス 1910 - 30年代 当店の商品です。


 「マドンナ・デル・ディト」はマーテル・ドローローサ(MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)を描いた作品です。マドンナ・デル・ディト(伊 "Madonna del dito")という作品名は、イタリア語で「親指の聖母」という意味です。この愛称はヴェールとマントを深くかぶって悲しみに沈む聖母が、マントで手を被いつつ、マントの袖から覗かせた片方の親指で、もう一方の袖口を押さえる特徴的な描写に基づきます。


【カルロ・ドルチの真作聖母像と、マドンナ・デル・ディト】



(上) Carlo Dolci, "Vergine Annunziata", c. 1653 - 55, Huile sur toile, 52 x 40 cm, Musée du Louvre, Paris


 カルロ・ドルチ(Carlo Dolci, 1616 - 1686)はフィレンツェでメディチ家に仕えたバロック画家で、数々の美しい聖母像で知られます。カルロ・ドルチの聖母像には、「マドンナ・デル・ディト」と酷似する数点の作品が含まれます。上の写真はカルロ・ドルチが 1655年頃に描いた「受胎告知の聖母」("Vergine Annunziata")で、パリのルーヴル美術館(Musée du Louvre, Paris)に収蔵されています。




(上) Carlo Dolci, "Madonna Addolorata", c. 1655, Oil on canvas, 82.5 x 67 cm, Inscribed on the reverse: REGINA MARTIRUM ORA PRO NOBIS, The National Gallery, London


 上の写真はカルロ・ドルチが 1655年頃に描いた「悲しみの聖母」("Madonna Addolorata")で、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, London)に収蔵されています。




(上) Carlo Dolci, "Madonna Addolorata", c. 1681, Oil on canvas, 47 x 38 cm, Statens Museum for Kunst, Copenhagen


 上の写真はカルロ・ドルチが 1681年頃に描いた「悲しみの聖母」("Vergine Addolorata")で、コペンハーゲンのデンマーク国立美術館(Statens Museum for Kunst, København)に収蔵されています。


 「マドンナ・デル・ディト」はこれらの作品とたいへん似ているゆえにカルロ・ドルチの作品とされてきましたが、近年ではカルロ・ドルチの聖母像に倣って制作された他の画家の作品と考えられるようになってきました(Francesca Baldassari, "Carlo Dolci", Editore Arteme, Milano, 1995 等)。

 「マドンナ・デル・ディト」はさまざまな構図で何点も制作されており、聖母の向きに関しても右向きの作品と左向きの作品が存在します。「マドンナ・デル・ディト」をテーマに製作される信心具や聖画に関しても、聖母の向きには右向きと左向きの二通りがあります。


【「マドンナ・デル・ディト」とシドッチ神父】




 「マドンナ・デル・ディト」は我が国に縁が深い聖母像です。なぜならば、1708年に日本に潜入して捕らえられたイタリア人司祭、シドッチ神父 (Giovanni Battista Sidotti, 1668 - 1714) が、「マドンナ・デル・ディト」の銅板油絵を所持していたからです。上の写真はシドッチ神父が所持していた聖母像で、現在は東京国立博物館に収蔵されています。

 シドッチ神父は屋久島に上陸して発見され、薩摩藩によって長崎奉行所に護送されましたが、長崎奉行所には切支丹(きりしたん キリスト教)に関する充分な知識を持つ者がいなかったために、神父を取り調べることができませんでした。そこで神父は江戸に送られ、当時の日本で最高の知識人とも呼ぶべき新井白石の取り調べを受けることになります。白石は神父の取り調べを通して神父の人柄に感銘を受けるとともに、神父からの聞き取りによって世界の事情を知り、さらに切支丹の教えが当時一般に考えられていた邪宗では決してないこと、宣教師はヨーロッパによる日本侵略のためのスパイではないことを理解しました。その結果、白石は幕府への取り調べ報告書「羅馬人処置献議」において、次のような異例の答申を行います。現代語訳あるいは解釈は、筆者(広川)によります。


     第一、本国へ返さるることは上策也 此事難きに以て易き歟
   第一に、本国に返されるのは良い方法である。これを実行するのは難しいが、それでも後々に禍根を残さない方法であろうと考える。
     第二、かれを囚となしてたすけおかるる事は中策也 此事易きに以て難き歟    第二に、神父を囚人として養っておかれるのは、良いとも悪いとも言えない中間の方法である。これは容易に実行できるが、後々禍根を残すのではないかと考える。
     第三、かれを誅せらるることは下策也 此事易くして易かるべし    第三に、神父を死刑にされるのは悪い方法である。これは容易に実行できるが、考えの無い安易な解決策であろう。


 白石はキリシタンを邪宗と見るのが間違いであること、またキリシタン信徒やバテレン(パードレ 神父)を処刑したり棄教させたりするのが下策であることを、その明晰な頭脳を以って理解し、幕府に働きかけたのです。数十年前であれば確実に処刑されていたであろうシドッチ神父が、拷問を受けることもなく棄教もしないままに、二十両五人扶持を与えられ、茗荷谷の切支丹屋敷で身の回りの世話をされて生活するという異例の待遇を受けたのは、白石の答申の結果でした。しかしながらシドッチ神父の世話役であった老夫婦が神父に感化されてキリシタンになったことが露見したために、神父は切支丹屋敷の地下牢に収容されて衰弱死します。神父が死に追いやられる結果となったことは、「かれを誅せらるることは下策也」と断言した白石にはさぞかし無念であったことでしょう。

 シドッチ神父の「マドンナ・デル・ディト」は、上に示したカルロ・ドルチの真作のうち、ロンドンのナショナル・ギャラリーに収蔵されている「悲しみの聖母」に最もよく似ています。しかるにナショナル・ギャラリーの「悲しみの聖母」は、絵の裏にラテン語で「殉教者たちの女王よ、我らのために祈り給え」(羅 REGINA MARTIRUM ORA PRO NOBIS)という祈りが書き込まれています。祈りの言葉はシドッチ神父の運命を預言しているかのようですが、その一方で、シドッチ神父は聖母に抱かれて天に召されたに違いないとも思わせてくれます。



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