幼子殉教者 ヘロデに虐殺されたベツレヘムの幼子たち
les Saints Innocents



(上) Pieter Bruegel the Elder, "Massacre of the Innocents" (details), c. 1565 - 1567, Oil on panel, 109 x 158 cm, the Royal Collection


 「マタイによる福音書」 2章の記録によると、東方のマギは幼子イエスを礼拝した後、イエスの所在をヘロデに報告することになっていましたが、ヘロデの元に戻らないように天使に命じられ、そのまま東方に帰りました。マギが帰った後、ヨセフの夢に天使が現れ、マリアとイエスを連れてエジプトに逃れるように告げ、聖家族はエジプトに向けて出発します。マギに裏切られたと知ったヘロデは怒り、イエスの命を奪うために、ベツレヘムに住む二歳以下の男の子を皆殺しにしました。

 このとき殺戮された幼子たちは、日本語で「幼子殉教者」、フランス語で「サン・チノサン」(Saints Innocents 「聖なる幼子たち」の意 註1)と呼ばれています。「幼子殉教者」はカトリック教会及び東方正教会において「救いの初穂」、最初の殉教聖人と考えられて、二世紀以来、その殉教が記念されており、現在のカトリック教会では12月28日、東方正教会では12月29日が祝日となっています。虐殺された幼子の人数は不明ですが、東方正教会では 14,000名、コプト教会では 144,000名とされています。


【幼子たちの虐殺の史実性】

 マギの礼拝と幼子たちの虐殺は、「ヤコブ原福音書」21章から22章1節にも記録されていますが、キリスト教外に記録を見出すことができません。それゆえキリスト教に批判的な歴史学者には「幼子たちの虐殺」の史実性を疑う人たちがおり、ヴォルテール (Voltaire, 1694 - 1778) の「哲学辞典」("Dictionnaire philosophique", 1764) 中、「イノサン」(Innocents) の項を嚆矢とします。

 しかしながらキリスト教外に歴史記録が見出せないからといって、この事件の史実性を疑う理由にはなりません。残虐行為が横行していた当時にあって、虐殺されたのは無名の幼子たちで、少人数でもありました。特にヘロデの場合、自分の王位を安定させる上で障害となり得ると考えた多数の人々をためらうことなく殺害し、妻のひとりであるマリアムネ1世とその母及び弟、及びマリアムネ1世との間に儲けた二人の息子さえも殺しています。したがって無名の幼子たちの虐殺がヘロデによる他の残虐行為の陰に隠れて、古代の歴史家たちから大きな注目を集めなかったとしても不思議はありません。

 上述のように、東方正教会やコプト教会では数万人ないし十数万人の幼子が殺されたとしていますが、当時のベツレヘムはそのように大きな人口を抱えてはいませんでした。実際のベツレヘムの人口を約千人と考えて現実的な試算をするならば、殺された幼子の数は十人か二十人ほどと考えられます。

 現在のわが国で幼子が殺されれば人数にかかわらず大きな事件となりますが、応仁の乱や戦国時代に遡らないまでも、一昔前、例えば太平洋戦争末期の沖縄においては、二十人の子供が殺されても記録に残らないという事態は十分にあり得たはずです。また現代においても、戦争や紛争、内乱の渦中にある国、地域においては、現在のわが国では考えられない残虐非道な事件が日常的に起こり、外部に知られないままに終わっています。

 ベツレヘムにおける幼子の虐殺は、弱者の人権など顧みられなかった二千年前、わが国で言えば弥生時代に、当時はまだ属州でさえなかった(註2)ローマ帝国外、すなわちローマの歴史家たちから見れば文明圏外の辺境で起こった出来事ですから、イエスに関心があるわけでもない異教徒の歴史家の注目を集めなかったのは、むしろ当然といえましょう。


【聖書のテキストと解釈】

 新約聖書正典中、幼子たちの虐殺を記録する「マタイによる福音書」は、キリスト教に既に改宗し、あるいはこれから改宗しようとするユダヤ人のために書かれた福音書です。それゆえこの福音書には、イエスこそが旧約で預言されたメシアであることを示すために、預言書をはじめとする旧約聖書の引用が多く見られます。そのため、「マタイによる福音書」を深く読み込むためには、旧約聖書の知識が必要です。


・「エレミヤ書」 31章 15節のテキストと解釈

 神は「創世記」 12章 1 - 3節でアブラム、すなわち後のアブラハムを祝福し、「あなたは生まれ故郷(註3)、父の家を離れて、わたしが示す地(註4)に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。 あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」 と言いました。このように神に祝福されてカナンの地を与えられたことにより、アブラハムはユダヤ人の祖と見做されています。アブラハムは妻サラとの間にイサクを儲けました。イサクは妻リベカとの間にヤコブを儲けました。

 ヤコブは二人の妻レアとラケル、及びそれぞれの妻の側女(そばめ 召使)により、合わせて12人の息子を得ました(「創世記」 35章 23 - 26節)。ヤコブとラケルの間に生まれたのがヨセフとベニヤミンです。ヨセフは長じて、エジプトの祭司の娘アセナトとの間に長男マナセと次男エフライムを儲けました。ヤコブの息子のうちレビとヨセフを除く十人に、ヨセフの息子マナセとエフライムを加えた十二人が、イスラエル十二部族の始祖とされます。

 ダヴィデ王はイスラエル十二部族を統一し、その息子ソロモン王の時代まで統一は保たれましたが、ソロモンの死後、イスラエルは十二部族のうち十部族から成る北イスラエル王国と、残りの二部族から成るユダ王国に分裂します。北イスラエル王国は紀元前 8世紀半ばにアッシリアに滅ぼされ、数万人がニネヴェに連行されました。ユダ王国はその後もしばらく存続しましたが、紀元前6世紀初めにバビロニアに滅ぼされ、一万人以上がバビロンに連行されました。


 預言者エレミヤは紀元前 626 - 587年、すなわちバビロン捕囚が起こった時代に活躍しました。「バビロン捕囚」は南のユダ王国に起こった事件であり、北イスラエル王国はこの時点ですでに滅亡していましたが、エレミヤは「エレミヤ書」 31章において、北イスラエル王国(サマリア)の救済と帰還を預言しています。「エレミヤ書」 31章 5 - 6節には次のように書かれています。

 再び、あなたは/サマリアの山々にぶどうの木を植える。植えた人が、植えたその実の初物を味わう。 見張りの者がエフライムの山に立ち/呼ばわる日が来る。「立て、我らはシオンへ上ろう/我らの神、主のもとへ上ろう。 (新共同訳)

 先に述べたように、ラケルは夫ヤコブとの間にヨセフとベニヤミンを生みました。ヨセフの子であるエフライムは、ラケルの孫であり、ラケルから見れば直系の子孫に当たります。上記の箇所のすぐ後、「エレミヤ書」 31章 15節には次のように書かれています。

 ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。 (新共同訳)

 ここでエレミヤがラケルの「息子たち」と呼ぶのは、第一義的にはラケルの直系の子孫たち、すなわちラケルの孫エフライムから出たエフライム族のことです。エフライム族、及び彼らに率いられる北イスラエル王国の諸部族はニネヴェに連れ去られたまま戻らず、ラケルはそのことを嘆いているのです。


・「マタイによる福音書」 2章 18節のテキストと解釈

 ヘロデが幼子たちを虐殺した事件は、新約聖書正典中、「マタイによる福音書」 2章 16 - 18節にのみ記録されています。新共同訳により、該当箇所を引用します。

 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」

 上記引用箇所の最後(下線部分)には、「エレミヤ書」 31章 15節が引用されています。「ラマ」という言葉の意味、及びラケルの墓所の比定にはさまざまな議論がありますが、マタイはここで「ラマ」を地名と見做してベツレヘムに同定し、あるいは少なくともベツレヘムに深く結びつけて考えて(「創世記」 35:19を参照 註5)、「ラマに眠るラケルがアッシリアに子孫を奪われて嘆いている」というエレミヤの預言を、ベツレヘムの母親たちが子供を殺されて嘆いた出来事の前表と解釈していることがわかります。


 なおエジプトに逃れた聖家族は、ヘロデの死後イスラエルに帰って来ますが、マタイはこれも「エレミヤ書」31章の預言の成就と考えています。「エレミヤ書」 31章 16 - 17節には次のように書かれています。

 主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。 (新共同訳)


【美術における幼子殉教者】

 福音書の中の大きな出来事である「幼子たちの虐殺」は、特にルネサンス期及びバロック期において、多くの絵画に取り上げられました。いくつかの作例を示します。

 下の作品はフラ・アンジェリコ (Fra Angelico, c. 1387 - 1455) が 1451年から53年頃にかけてフィレンツェのサン・マルコ修道院のために制作したテンペラ画です。兵士がベツレヘムの母子たちを襲い、幼子を次々に手に掛ける様子を、ヘロデは高みから見下ろしています。絵の上部に旧約の「ヨエル書」の聖句 (4: 11)、下部に「マタイによる福音書」による句 (2: 16) がいずれもラテン語で記されており、ヨエルの預言が虐殺事件の前表と考えられていることがわかります。引用句は次の通りです。日本語訳は筆者(広川)によります。

 Inique egerunt in filios Juda, et effuderunt sanguinem innocentem in terra sua. Joeli iiii capite  彼らはユダヤの息子たちを非道に襲い、その地において罪なき血を流した。ヨエル書 4章

 Iratus Herodes occidit omnes pueros qui erant in Bethlehem. Matthaei ii capite  怒ったヘロデはベツレヘムにいるすべての子供たちを殺した。マタイによる福音書 2章



(下) Fra Angelico, "La strage degli innocenti", 1451/53, tempera su tavola, 38.5 x 37 cm, Museo di San Marco, Firenze




 下に示すのは、1611年、30歳代半ばのグイド・レーニ (Guido Reni, 1575 - 1642) がボローニャの聖ドメニコ教会のために描いた作品で、現在は同地の国立絵画館 (La Pinacoteca nazionale di Bologna) に収蔵されています。この作品において、グイド・レーニは女性たちの恐怖の表情を写実的に描くとともに、明色と暗色、暖色と寒色を並置した強いコントラストにより、絵を観る者に不安と暴力性を強く感じさせています。天上のプッティが差し出すナツメヤシの葉は、幼子たちが最初の殉教者であることを示しています。


(下) Guido Reni, "La Strage degli Innocenti", 1611, Olio su tela, 268x170 cm, la Pinacoteca nazionale di Bologna




 下に示すのはルーベンスが「幼子たちの虐殺」を描いた二枚のうちの一点です。この作品はトムソン・ロイターの前身であるトムソン社のオーナーであり、美術品コレクターでもあったカナダの富豪ケネス・トムソン (Kenneth Thomson, 1923 - 2006) が、2002年、サザビーズのオークションにて 1億 1700万カナダドル(当時の対円為替レートで 93億6000万円)で競り落とし、史上最も高価な絵画として有名になりました。ケネス・トムソンはこの絵をオンタリオ美術館 (The Art Gallery of Ontario, le Musée des beaux-arts de l'Ontario) に寄贈しました。


(下) Peter Paul Rubens, "Massacre of the Innocents", 1611 - 12, oil on panel, 142 x 182 cm, the Art Gallery of Ontario






註1 わが国では "Saints Innocents" を多く「サン・イノサン」と表記しているようですが、この表記は原語の発音と懸け離れています。この語をフランス人が発音すると、筆者(広川)には「サジナソン」に近く聞こえます。しかしながら「サジナソン」というカタカナ表記も目にしたことは無いので、止むを得ず「サン・チノサン」と表記いたしました。

註2 ベツレヘムが属するユダ王国がユダエア属州となったのは、紀元 6年のことです。

註3 アブラハムの故郷は、メソポタミア南部のウル(Ur 現イラク共和国ディーカール県ナーシリーヤ近郊)であると考えられています。

註4 カナンのこと。

註5 ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。(「創世記」 35章 19節 新共同訳)



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