カニヴェの歴史 第二部 18世紀フランスにおけるカニヴェ
canivets français du XVIIIe siècle



フランスのカニヴェの起源

 以上、ドイツとオランダの切り絵細工について論じましたが、18世紀のフランスにおいても「カニヴェ」と呼ばれる切り絵細工の聖画が発達しました。18世紀フランスのカニヴェは職業的な芸術家による作品ではなく、スカプラリオ(scapulaire 司祭の肩布に由来する布製の信心具)、幡(はた)の刺繍、行商人が売り歩いた聖像、アニュス・デイ(agnus dei 教皇の祝福を受けた蠟製の「神の子羊」)などと同様に、カルメル会の修道女たちが慎ましやかな手仕事によって製作したものです。

 カニヴェの素材は羊皮紙、犢皮紙(とくひし 死産した子牛の皮で作った紙)、紙、稀に種なしパンが使われました。カルメル会の修道女たちは、滑り止めのために表面を粗くしたフルシェット (fourchette) という薄い木の板にこれらの素材を置き、鵞ペンの先を削る小型ナイフ(カニフ)と小さなハサミを巧みに使って、聖画の周囲にレース状の切り絵細工を施しました。「カニヴェ」(canivet) という名称は、このナイフ(カニフ canif)に由来します。

 フランスにおけるカニヴェの起源ははっきりと分かっていません。ドイツ、オランダの切り絵細工 (Scherenschnitt, papierknipkunst/papiersnyden) の影響を受けていることは確かであると思われますが、これとは別に、フランス独自の起源があるとする説も提唱されています。カンブレ (Cambrai) の歴史家アルシル・デュリユ (Archille Durieux, 1826 - 1892) 1864年に発表した「カンブレジの歌と俗謡」(“Chants et Chansons Populaires de Cambrésis”, Mémoires de la Société démulation de Cambrai, t. XXVIII, 1re partie, 1864, p. 181-404) によると、18世紀のカンブレにカデ=ルセル (Cadet-Rouselle) という名前の知恵遅れの男がおり、カニフを使って非常に巧みに紙を切り、鳥や花や建物を表現したということです。カデ=ルセルによる切り紙細工は、最上のレースにも比される繊細さであったと伝えられます。

 カンブレジ (Cambresis) は、ノール=パ・ド・カレー地域圏ノール県の都市カンブレを中心とする地方の古名で、六角形のフランス国土の最北部、ベルギーと国境を接するあたりです。18世紀のフランスにおいて、この地方でカニヴェが盛んに製作されていたのは事実であり、アルシル・デュリユのカンブレ起源説は一定の説得力を持っています。おそらくドイツ、オランダの切り絵細工とカンブレに発祥した切り絵細工が合流し、ひとつの大きな流れとなって、フランスにカニヴェの花を咲かせたのではないでしょうか。


18世紀フランスにおけるカニヴェの形態と魅力

 18世紀フランスのカニヴェはカルメル会の修道女たちの手仕事による作品で、聖人や宗教的シンボルを描いた小さな水彩画の周囲に、繊細な切り絵細工を施しています。水彩画の多くは稚拙であり、洗練という点では銅版画による19世紀のカニヴェに遠く及びませんが、後世のものに無い魅力として、次のような点が挙げられます。




(上) 18世紀フランスのカニヴェ 「インマクラータ・コンケプティオー」(IMMACULATA CONCEPTIO 無原罪の御宿り) 114 x 71 mm レイド・ペーパーに水彩で手描き 当店の商品です。


 まず、修道女たちが一点ずつ製作した18世紀のカニヴェには、心からの祈りを込めて製作されたものにしか無い深い味わいがあります。後に見るように、19世紀のカニヴェはカトリックの教義と価値観を広め、信徒を教育する役割を担いました。これに対して18世紀のカニヴェは、そのような社会的役割を持ちません。それだけにいっそう純粋な信仰心の表われとして、描画や細工の稚拙さにもかかわらず、観る者の心を動かします。

 また18世紀のカニヴェは、一人ひとりの修道女による個別の祈りが形象化したものであり、それぞれ一点ずつしかありません。これは同一の版を使用して多くの枚数が製作され、社会へと送り出された19世紀のカニヴェと大きく異なる点です。18世紀のカニヴェは一般社会から隔絶された修道院のなかで、厳格な修道規則に従って生活する修道女たちが、その宗教的想像力をはばたかせて製作した聖なる作品であり、神との対話そのものなのです。

 18世紀当時、カニヴェの作り手である修道女たちは修道院の敷地から出ることを許されず、外界から隔絶されていましたから、世俗に染まらない子供のようなナイーヴさを持っていました。作り手のそのような性格は、カニヴェの素朴な作風に反映しています。

 最後に、18世紀のカニヴェは定型化を免れています。修道女たちが歴史的正確性や政治的制約に縛られることなく描いた水彩画は、いわば時間を超越して天上界に遊ぶが如きものです。18世紀のカニヴェは世人の鑑賞に供する美術作品というよりも、観る者に天上界を開示し、その魂を神と対話させる祈りの表われとなっています。


 18世紀に盛んに制作された手製カニヴェは、1840年頃からはダンテル・メカニーク(仏 dentelles méchaniques)に移行します。ダンテル・メカニークは機械で製作した透かし細工の紙に、宗教的主題の版画を刷った美しい品物です。ダンテル・メカニークはカニフによる切り紙細工ではありませんが、一般にはカニヴェと呼ばれています。ダンテル・メカニークは 1900年頃まで刷られました。



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