ノートル=ダム・デュ・マリレ マリレの聖母のバシリカ
La Basilique Notre-Dame du Marillais, le Marillais, Maine-et-Loire, en
région Pays de la Loire
(上) ラ・バジリク・ノートル=ダム・デュ・マリレ(la Basilique Notre-Dame du Marillais マリレの聖母のバシリカ) フランスの古い絵はがき
フランス北西部ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏のアンジュー地方は、ガリアで最も早く聖母が崇敬された場所です。五世紀のアンジェ司教
聖マウリリウス(聖モリール St. Maurilius / Maurile / Maurille d'Angers, 363 -
453)は、聖母生誕の祝日(九月八日)を司教区を挙げて祝うべきことを、429年頃に定めました。アンジェで始まった聖母生誕の祝日は
「フェリア・アンデガウェンシス」(羅 FERIA ANDEGAVENSIS アンジェの祝日、またはアンジューの祝日)と呼ばれ、やがてキリスト教世界全体に広まりました。
伝承によると、アンジェ司教聖マウリリウス(聖モリール)が隠者聖フロランを訪れようとロワール川近くの森を歩いていると、幼子イエスを腕に抱いた聖母が出現し、九月八日に聖母の生誕を祝うように求めました。聖母が現れた付近には現在ル・マリレ(Le
Marillais)の町があり、聖母出現の地点には、聖マウリリウスに現れた聖母と同名の聖堂ラ・バジリク・ノートル=ダム・デュ・マリレ(la basilique
Notre-Dame du Marillais ル・マリレの聖母のバシリカ)が建っています。ラ・バジリク・ノートル=ダム・デュ・マリレは、北西フランスで最も有力な聖母マリアの巡礼地です。
【聖マウリリウスと聖母出現の伝承】
アンジェから西に四十キロメートルほど離れたロワール川の左岸にモン・グロン(Mont Glonne)と呼ばれる小高い丘があり、隠者聖フロラン(Florent
d'Anjou)が庵を構えていました。アンジューの聖フロラン(フロラン・ダンジュー St. Florent d'Anjou)は、ロルヒの聖フロリアン(フロリアン・フォン・ロルヒ Hl.
Florian von Lorch)の兄弟と伝えられる人物です。後者は消防士の守護聖人としてよく知られています。
ある日聖マウリリウスが聖フロランを訪ねるためにアンジェを発ち、エーヴル川(l'Èvre)を越えて湿地の多い森に入ると、幼子を腕に抱いた白い衣の女性がポプラの木の上に現れました。女性は自らの誕生の日である九月八日を毎年祝うように、聖マウリリウスに求めました。アンジェ司教であった聖マウリリウスは、女性の求めに従い、九月八日を聖母生誕の祝日としました。これがフェリア・アンデガウェンシスすなわち聖母生誕の祝日の由来であると伝承されています。
【ノートル=ダム・デュ・マリレ聖堂の歴史】
聖マウリリウスの時代から三百数十年が経った頃、カタルーニャ遠征の帰途に、マリアの聖地ル・マリレに参詣したカール大帝(Karolus Magnus,
Karl der Große, Charlemagne, c. 747/748 - 814)は、ル・マリレの聖堂が小さ過ぎてマリアの聖地に相応しくないと感じ、聖堂を改築することに決めました。大帝が剣を抜いて岩を三度打つと、岩は二つに割れました。大帝は剣を空中に高く投げ上げ、「この剣が落ちるところに聖堂を建てる」と宣言しました(註1)。ノートル=ダム・デュ・マリレ聖堂はこうして立派な建物に変わり、重さ百リーヴル(約五十キログラム)の金の鐘が寄進されたほか、その後もカロリング家の寄進によって美しく飾られました。
(下) カール大帝 ノートル=ダム・デュ・マリレ聖堂のヴェリエール(ステンドグラス)
しかしながらその後しばらくするとノルマン人が勢力を広げ、フランス各地も大規模な破壊と略奪に遭いました。ル・マリレの聖堂もノルマン人の被害に遭い、金の鐘は行方不明になりました。しかしながら十一世紀になって、金の鐘はノートル=ダム・デュ・マリレのすぐ近くを流れるエヴル川(l'Èvre)で、漁師の網にかかって引き上げられました。鐘が川に沈んでいた理由は分かっていません。
911年、サン=クレール=シュル=エプト(Saint-Clair-sur-Epte イール=ド=フランス地域圏ヴァル・ドワーズ県)において、フランス王シャルル三世(Charles III,
dit "le Simple", 879 - 929)はノルマン人の首領ロロ(Rollon, c. 846 - 933)と和睦を結び、しばらくの間ノルマン人による被害が収まりましたが、ノートル=ダム・デュ・マリレ聖堂も聖フロラン修道院も、その頃には既に荒廃の極みにありました。ノートル=ダム・デュ・マリレ聖堂では壁が残った礼拝堂に木の屋根を架けて巡礼者の受け入れを再開しましたが、1282年に火災が起こり、この礼拝堂も焼失しました。
1281/82年から 1310年まで聖フロランの修道院長を務めたレノール二世(Raynault II de Saint Rémy)は、カール大帝時代の基礎の上に新聖堂を建設し、爾後ノートル=ダム・デュ・マリレは「ノートル=ダム・アンジュヴィーヌ」(仏
Notre-Dame angevine アンジューの聖母、またはアンジェの聖母)として、アンジュー伯家の篤い崇敬を受けるようになりました。十七世紀のアンジュー地方には大きな町が二十二箇所ありましたが、このうち十九箇所が聖母を守護聖人としていました。またアンジェにある教会三十一箇所のうち、十六箇所が聖母に捧げたノートル=ダム教会でした。
1789年にフランス革命が起こり、王政廃止の翌日(1792年9月22日)をヴァンデミエール(Vendémiaire 葡萄月)一日とする
共和国暦が採用されました。共和国暦元年に当たる 1793年3月、メーヌ=エ=ロワール県で起きた王党派農民の反乱は、メーヌ=エ=ロワール県、及び同県に隣接するヴァンデ県の広い範囲に短期間で広がり、激しい内戦状態に入りました。この内戦をヴァンデ戦争(仏
les guerre de Vendée)といいます。レノール二世が建てた聖堂は、このヴァンデ戦争の間に再び破壊されてしまいました。
荒廃したノートル=ダム・デュ・マリレ聖堂と聖堂に付属する墓地は、1876年、メーヌ=エ=ロワール出身の神父ピエール・ヴァンサン師(l'abbé
Pierre Vincent)に買い取られました。1778年、ヴァンサン師はアンジェ司教フレペル師(Mgr. Charles-Émile Freppel,
1827 - 1891)の同意を得て、同聖堂をマリア会(la Compagnie de Marie, Societas Mariae Montfortana
註2)に譲渡しました。
同年、フレペル師はル・マリレ周辺の聖職者七十名を組織して聖職者団体「サン=ロラン=シュル=セーヴル宣教者会」(les missionnaires de Saint-Laurent-sur-Sèvre)を立ち上げ、ノートル=ダム・デュ・マリレの再建と巡礼再興の仕事を委ねました。
同会は現地に宿舎を建てて住み込み、二十年以上をかけて新聖堂を建設しました。ノートル=ダム・デュ・マリレの鐘楼は十四メートルの高さがありますが、これは第一次世界大戦後に建設されました。1925年、ノートル=ダム・デュ・マリレ聖堂はモンフォルタン修道会(la
congrégation des Montfortains)に買い取られました。こうして再興されたノートル=ダム・デュ・マリレはアンジュー最大の巡礼地になり、今日に至っています。
註1 剣を偉大な霊力を有する特別な物品と看做す観念は洋の東西を問いません。オイル語による最古の武勲詩「ローランの歌」(
"Chanson de Roland" 十一世紀)には、霊剣デュランダル(Durandal)が登場します。ピレネー山中ロンスヴォー峠において最期を迎えるとき、騎士ローランはデュランダルがイスラム教徒の手に渡るのを避けるため、これを岩に打ち付けて折ろうとしますが、却って岩が切り裂かれ、霊剣はまったく傷みませんでした。
霊剣デュランダルの行方は杳として知れませんが、一説にはニュルンベルクの国立ゲルマン博物館(das Germanische Nationalmuseum,
GNM)にある宝剣がそれであるとも、
ロカマドゥールの岩の割れ目に挟まっているのがそれであるとも言われています。デュランダルの場合は物語に神秘的要素が薄れていますが、単に硬く鋭い剣でないことは言うまでもなく、常軌を逸した性能は剣の霊力に由来すると考えられます。
翻って東洋では、わが国の古代神話において素戔嗚(すさのお)が八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得、倭建命(やまとたけるのみこと)もこの剣を使います。素戔嗚の八岐大蛇退治は東晋の「捜神記」に類話があり、少女が剣で大蛇を殺します。
明代の「三国志演義」には、劉備と孫権の剣が甘露寺の庭の大石を十字に断つ話があります。このとき二人の刀が石を断ち割ったのは、刃の物理的強さによるのではなく、曹操を滅ぼして漢王朝を再興する志によります。
註2 マリア会(la Compagnie de Marie, Societas Mariae Montfortana)はヴァンデ県ゆかりの聖人ルイ=マリ・グリニヨン・ド・モンフォール(Louis-Marie
Grignion de Montfort, 1673 - 1716)が 1705年に創立した神父と宣教者の会で、フランス西部の教化を目的としています。
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