三色のエマイユ・シャンルヴェ 《アール・デコ様式による聖クリストフのプラケット》 神の愛と恩寵に守られた人生 28.0 x 25.3 mm フランス 1910 - 20年代


突出部分を含むサイズ  縦 28.0 x 横 25.3 mm

重量 6.2 g



 今からおよそ九十年から百年前、1910年代もしくは 20年代のフランスで制作された聖クリストフのプラケット。プラケット(仏 une plaquette)とは四角いメダイのことです。正方形を成す全体の形、各色エマイユの幾何学的配置、浮き彫りにされた人物と背景の表現は、いずれもアール=デコ期ならではの特徴を示します。本品の材質は真鍮またはブロンズに金めっきを掛け、ガラス・エマイユを施しています。

 本品の浮き彫りは最も人気のある聖人クりストフに仮託し、神の愛と恩寵に守られて人生を歩む人の姿を表しています。





 本品の表(おもて)面は正方形を二重の枠で囲み、内枠の内側は角を落として八角形としています。八角形の画面には、幼児を肩に乗せて歩む聖クリストフ(聖クリストフォロス、聖クリストファー)を浮き彫りにしています。

 浮き彫りの様式化が進んでいるために一見して分かりづらいですが、聖クリストフは深い川の中を歩んでいます。怪力無双の大男クリストフは、引き抜いた立ち木の杖を手にしています。深い流れの巨大な水圧に抗(あらが)うクリストフは、到達すべき向こう岸をまっすぐに見つめ、歩を進めています。

 しかしながら渡河の半ばで、肩に乗せた小さな男の子があまりにも重くなり、クリストフは異変を感じます。肩の上の幼児は全宇宙の支配権を示すグロブス・クルーキゲル(世界球)を左手に持ち、右手で天を指さして、自分が天地の造り主、神なる幼子イエス・キリストであることを宣言しています。クリストフが渡し守をしていたのは、神に出会うためでした。この瞬間、神はクリストフの祈りに答え給うたのです。幼子イエスの巨大な重量を支えるために、クリストフは肩の上を振り返る余裕もありませんが、この大男の心は平和と喜びに満たされていることでしょう。





 幼子イエスを肩に乗せて渡河するクリストフの姿は、ヤコブス・デ・ヴォラギネによる聖人伝「レゲンダ・アウレア」("LEGENDA AUREA") に収録された伝承を基にしています。同書によると、大男である武人クリストフは世界で最強の君主に仕えることを望み、まずはじめに、最強と思われるカナンの王に仕えました。しかしながら王が悪魔を恐れていることがわかったので、次に悪魔の家来になりました。やがて悪魔が神を恐れていることを知ると、神に仕えることを望みましたが、どうすれば神に出会えるかがわかりません。隠者に相談したところ、人を背負って深い川を渡す仕事をすれば神に出会える、と教えられました。ある日小さな男の子が現れて、向こう岸に渡してくれるようにと頼まれたクリストフは男の子を肩に乗せて運び始めますが、途中で男の子が非常に重くなり、やっとの思いで向こう岸にたどり着きました。男の子は世界を創ったキリストで、世界よりも重かったのです。クリストフはこうして神と出会い、神に仕える者となりました。

 上の写真はアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471 - 1528)が 1511年に制作したウッド・エングレーヴィングで、大英博物館に収蔵されています。中央に大きく描かれているのはキリストとクリストフですが、向かって右側の岸辺には隠者の姿が見えます。隠者が手にするランプは「知恵」の象徴であり、「ロゴス」(λόγος ことば)の象徴でもあります。「知恵」あるいは「ことば」とはイエス・キリストのことに他なりませんから、ランプを手にした隠者の姿は、キリストを背負ったクリストフの姿と同じ象徴的意味を有します。「ヨハネによる福音書」 一章一節から五節を引用します。ギリシア語原文はドイツ聖書協会のネストレ=アーラント二十六版、日本語は新共同訳によります。


     Nestle-Aland 26 Auflage    新共同訳
     Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.    初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
     οὗτος ἦν ἐν ἀρχῇ πρὸς τὸν θεόν.    この言は、初めに神と共にあった。
     πάντα δι' αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν. ὃ γέγονεν    万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
     ἐν αὐτῷ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων:    言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
     καὶ τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει, καὶ ἡ σκοτία αὐτὸ οὐ κατέλαβεν.    光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。


 フランス語クリストフ(仏 Christophe)はギリシア語クリストフォロスに由来します。他方クリストフォロス(希 Χριστόφορος)は、クリストス(キリスト)の語根(Χριστ-)と、運ぶ人を表すフォロス(-φορος)を、繋ぎの音(-ο-)で接合した合成語です。すなわちクリストフォロスは「キリストを運ぶ人」という意味であって、実在した歴史上の人物の名前ではありません。この事実が端的に示すように、キリストを肩に乗せて荒天の中を進む聖クリストフの姿は、キリストを心に受け容れて、キリストと共に地上を旅する教会と信仰者を象徴しています。




 とりわけ本品は八角形の枠内に水(川の水)があり、クリストフはその中に浸かっています。本品のクリストフ像は、洗礼を通してキリストを受け容れる魂を、美術によって可視的に表現したものと考えられます。

 洗礼はキリスト教において最重要の儀式であり、魂が救済されるために絶対に必要な条件です。洗礼は神の働きによるゆえに、誰を通して施されたものであっても、その効力に差はありません。洗礼を施す人が異教徒であっても無神論者であっても構わないのです。この考え方はキリスト教神学において、エクス・オペレ・オペラートー(羅 EX OPERE OPERATO 為されたる業によって)という句で表されます。いったん施された洗礼は、誰に施されたものであっても、常に有効です。

 洗礼は魂が救済される必要条件であるゆえに、新生児の魂を危険に曝さないためには、一刻も早く洗礼を施さなければなりません。しかるに寒い季節に新生児の全身を水に浸けると、風邪をひいて簡単に命を落としかねません。したがって近代以降の洗礼は、額に数滴の水を付ける方式で行われています。これは受洗者が新生児でない場合も同様です。




(上) ランス司教聖レミ(St. Remi/Rémi de Reims, c. 437 - 533)から洗礼を受けるクローヴィス(Clovis Ier, c. 466 - 511) François Louis Dejuinne (1786 - 1844), "Baptême de Clovis à Reims le 25 décembre 496", 1839, l'huile sur toile, 143 x 180 cm, musée national des châteaux de Versailles et de Trianon, Versailles


 しかるに少なくとも十一世紀頃まで、遅くは十六世紀頃までの西ヨーロッパにおいて、洗礼には浴槽のように深いプールを使用し、全身もしくは体の大部分を沈める方式が行われていました。このような洗礼用プールに全身を浸すと、受洗者がプールから出たときに水が滴り落ちて、聖堂の床が濡れてしまいます。それゆえ当時は礼拝に使う聖堂とは別に、洗礼専用の建物がありました。これを洗礼堂と言います。1152年から 1363年にかけて建設されたピザのサン・ジョヴァンニ洗礼堂(伊 il Battistero di San Giovanni)は良く知られた例で、ここの洗礼用プールは数人の大人が同時に全身を浸すことができるサイズです。

 洗礼は新生の儀式です。しかるにキリスト教の象徴体系において、八は再生、新生を表します。それゆえ多くの洗礼盤、洗礼用プールと洗礼堂は、八角形の平面プランで造られています。


(下) ピザ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の洗礼用プールと説教壇 il fonte battesimale e il pulpito, il Battistero di San Giovanni, Pisa




 そのことを知ったうえで本品の意匠に目を向ければ、クリストフの渡河の場面が八角形の枠に囲まれている意味が分かります。クリストフは八角形のプールに浸かり、洗礼を受けているのです。洗礼を受けるとは、イエスを受け容れ、信仰を持つことに他なりません。クリストフォロス(希 Χριστόφορος キリストを身に帯びる人、キリストを抱く人)という名で呼ばれるこの聖人は、イエスを受け容れた信仰者の象(かたど)りに他なりません。





 反宗教改革の時代に生きたカトリックの画家ペーター・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577 - 1640)は、アントウェルペン司教座聖堂翼廊の三翼祭壇画において、クリストゥストレーガー(独 Christusträger)すなわちクリストフォロス(希 Χριστόφορος キリストを運ぶ者)を主題に一連の作品を描き、「キリストを受け容れる信仰」という不可視のテーマを美しい絵画に表現しています。上の写真はルーベンスの三翼祭壇画を開いて撮影したものです。本品を制作したメダイユ彫刻家テラックもまた、ルーベンスと同様に、困難な旅を続ける地上の教会と信仰者、及びそれを庇護したまう神の限りなき恩寵を、この浮き彫り作品において巧みに可視化しています。

 ちなみに「レゲンダ・アウレア」のクリストフォロス伝は有名で、芥川龍之介はこの話に取材し、「キリシタンもの」作品群のひとつである「きりしとほろ上人伝」を書いています。「レゲンダ・アウレア」によると、幼子キリストは世界を創った造物主であるゆえに、世界よりも重いということになっています。しかしながら芥川の作品においては、幼子キリストが重い理由は、世の罪を背負ったからということになっています。「レゲンダ・アウレア」は荒唐無稽な内容が多いゆえに十三世紀当時からしばしば批判されてきました。これに比べて芥川の「きりしとほろ上人伝」は、優れて薫り高い文学作品となっています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。幼子イエス・キリストも聖クリストフも、顔の高さは一・五ミリメートル乃至(ないし)二ミリメートルほどですが、目鼻立ちはきちんと整っています。身体各部は様式されつつも正確な比例で再現されています。直線的に単純化された衣文(えもん 衣の襞)、真後ろになびく髪の表現、背景の空を埋める放射状の彫金装飾は、いずれもアール・デコ様式です。





 中世以来、クリストフの絵や像を見た者は、その日のうちに「悪(あ)しき死」、すなわち臨終の場に司祭が立ち会わない突然の死に遭うことが無いと信じられてきました。上の写真は南ドイツで 1423年に刷られた手彩色木版画です。教会を訪れる巡礼者はこの札を貰い、家の中の良く見える場所に張り付けました。版画の下部にはラテン語で次の言葉が書かれています。

  Christofori faciem die quacumque tueris, illa nempe die morte mala non morieris.   クリストフォロスの顔を見れば、その日は決して悪しき死に遭うことがない。


 下の写真はロベール・カンパン (Robert Campin, 1378 - 1444) が受胎告知を描いたテンペラ板絵で、暖炉の上の壁面に、上掲の版画と同じようなクリストフの彩色画が張られています。二枚目に示したのは拡大写真です。ロベール・カンパンが「受胎告知」を描いたこの作品は、現在ベルギー王立美術館に収蔵されています。


(下) Robert Campin, dit le maître de Flémalle, "l'Annonciation", 1420, tempera sur bois, 61 x 63 cm, les Musées royaux des beaux-arts de Belgique (MRBAB), Bruxelles






 「聖クリストフの姿(絵や像)を見る者は、その日のうちに悪しき死に遭うことが無い」という言い伝えは、ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」の冒頭部分でも引用されています。





 メダイをはじめ、器物の表面を彫りくぼめ、凹部にフリット(仏 fritte ガラス粉末)を入れて焼成する技法をエマイユ・シャンルヴェ(仏 l'émail champlevé)といいます。本品は白色不透明ガラス、黒に近い茶色の不当目ガラス、明るめの茶色の半透明ガラスを使ったエマイユ・シャンルヴェです。三色のシャンルヴェのうち、中央部分はエマイユ・シュル・バス=タイユとなっています。


 浅浮き彫りはフランス語でバス=タイユ(仏 la basse-taille)といいます。浅浮き彫りの上に半透明ガラスのエマイユ(仏 l'émail)を掛けると、美しい色彩が加わるとともに奥行きが強調され、時に神秘的な効果さえ生まれます。この技法をエマイユ・シュル・バス=タイユ(l'émail sur basse-taille)といいます。本品において、聖クリストフの浮き彫り部分は茶色ガラスによるエマイユ・シュル・バス=タイユとなっています。

 クリストフは聖人名であるとともに、その名が示す通り、キリストを受け容れた魂の象(かたど)りです。一方、土の色である茶色は人祖アダムの色であり、人間の地上性、すなわち肉体を持つ人間が地上で送る日々の生活と人生を象徴します。日々地上に生きるキリスト者は、旅する巡礼になぞらえることができます。クリストフの杖は巡礼の杖でもあります。

 クリストゥストレーガー(独 Christusträger)たる聖クリストフが信仰者の象徴であるならば、クリストフの肩に乗る幼子イエスは、信仰者が受け容れた信仰の象徴と解釈できます。本品の浮き彫りにおいて、肩の上のイエスは進むべき道を指し示しています。イエスに従うクリストフはまっすぐに前を見据え、迷うことなく歩を進めています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が現物をご覧になれば、ひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品はおよそ九十年ないし百年前のフランスで制作された真正のアンティーク・プラケット(メダイ)ですが、古い品物であるにもかかわらず、極めて良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。外周の白色エマイユに数本のヘアライン(亀裂)が見られますが、これが原因となってエマイユが剥落することはありません。

 下記は本体価格です。当店の商品は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(二回、三回など。金利手数料無し)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 23,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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